「自己満イクメン、妻は興ざめで離婚 欠けていたのは…」という6/5(月) 配信の朝日新聞デジタルの記事がありました。

 

 

その記事に触発されてイクメンプロジェクトとイクメンブルー、男女雇用均等法の改正のことについて幅広く僕の日頃思っていることを書いてみたいと思います。

 

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コトバンクによれば、「イクメン」とは「子育てする男性(メンズ)」の略語。単純に育児中の男性というよりはむしろ「育児休暇を申請する」「育児を趣味と言ってはばからない」など、積極的に子育てを楽しみ、自らも成長する男性を指す。実際には、育児に積極的に参加できていなくても、将来的にそうありたいと願う男性も含まれるということになります。

 

 

2010年6月に、当時の労働大臣の長妻氏の提唱から発しています。

 

 

個人的には、イクメンにかぎらず、「○○メン」という言葉の語感が好きになれないのですが、新しい価値を創っていくには新しい言葉も必要なのかもしれないとは思います。

 

 

それにしても、○○メンは、まず麻薬Gメンを思い出してしまうし、どうもいつまでも馴染めそうもないです。

 

 

新年とか2020年の東京オリンピックを日本の再生の元年にするとか、掛け声ばかりが先行する気がしているし、僕には逃避的な発想と思えてなりません。

 

 

なぜなら、生きていくということは、絶え間なく連続していることに耐えることであるからです。残念ながらセミが成虫になるような脱皮で人間が変わることはありません。

 

 

また「イクメン」という言葉には、子育ては本来は女性の仕事という概念が含まれているという前提があるように、僕は思います。

 

 

イクメンブルーという現象がでてしまうのも、イクメンプロジェクトといった厚労省が主体になって国主導でやらなければならない理由も、その結果わずかに育休を取得する男性が増えてはいるものの、いまだに浸透していかない男性の育休取得の現状も、このあたりに原因がある気がします。

 

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残念なことに、僕の周囲にはイクメンと思われる人がいません。

 

 

あるのは、相変わらず残業をすれば評価されるといった暗黙のムードであり、父兄参観に来るのは母親ばかりという実情であり、団地や地域の行事に参加するのも女性が中心で会長などの役職だけ男性が行っていたり、家事を一切しないおじいちゃんとか、おじいちゃんが亡くなっても元気に生きているおばあちゃんとかなのです。

 

 

あの有名は「保育園落ちた、日本死ね」のツイートも女性だったと思われるし、共働きかシングルマザーが保育園の問題が深刻なはずですが、男性たちが真剣に保育園の問題を取り上げているようにも思えないのです。(これは僕の認識不足なだけかもしれないですが)

 

 

また、最近ではイクメンでうつ病になってしまうイクメンブルーというものがあり、それを防ぐためにイクメン同士のコミュニティ活動も一部で行われているらしいのですが、ごくごく一部のことではないでしょうか。

 

 

以上、とりとめなく書いてしまっていますが、僕が言いたいのは、イクメンとか男女雇用均等法の改正とか、もちろん意識喚起として重要なことであることは認めるのですが、言葉だけ先走りしているように思われ、大事なことは、より本質的な議論や考察をする事ではないかということです。

 

 

今年(平成29年)の1月1日に男女雇用均等法の改正されたものが施行されていますが、厚生労働省によれば以下の変更がありました。

 

 

 

平成28年8月2日に、事業主が職場における妊娠、出産等に関する言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針等が公布されました。
この指針は、妊娠・出産等に関するハラスメント防止措置の適切かつ有効な実施を図るために定められたものです。
平成29年の1月1日から、事業主の方は、この指針に従い、妊娠・出産等に関するハラスメント防止措置を適切に講じなければなりません。

 

 

労働法でよくある「事業主が講ずべき処置」としてハラスメント防止が付け加えられました。

 

 

ハラスメントについても、もともとセクハラぐらいしかなかった気がしますが、パワハラ、マタハラ、モラハラなどいろんなハラスメントが生まれました。僕はこれもまた言葉が先行しているように考えています。

 

 

つまり、なぜハラスメントがいけないのかをしっかりと認識させなければ、罪悪感も生れないと思います。

 

 

そうでなければ、鬱屈した行き場のない黒雲のような感情があらたなハラスメントを生んでしまうのです。

 

 

イクメンも全く同じで、イクメンという言葉を先行させても、法整備をして男性も育休を取れるようにしたとしても、なにか空回りしている状態が続いているように思います。

 

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今回の自己満足のイクメンにより離婚となってしまったという記事にしても、そのベースとしては、母親と全く同じように男性が母親になろうとする言葉が先行した滑稽な誤解が生んだ悲劇だと思います。

 

 

なぜなら、父親は「イクメン」にはなれるけれども、決して母親にはなれないからです。

 

 

つまり僕は、男性が女性になろうとする努力、女性が男性になろうとする努力は無駄だと考えています。

 

 

重要なのは相互理解でありコミュニケーションです。

 

 

一般的に男性のほうが寡黙な場合が多いし、これは生物学的に脳の構造が男女で違うからだそうですが、こうした事実についての相互理解が必要なのです。

 

 

この当たり前のことが理解できていないのではないでしょうか。

 

 

相互理解が必要な例をあげますと、たとえば、女性にとって、おしゃべりはストレス解消の重要なファクターですが、男性の多くはこれを理解しません。

 

 

男性はおしゃべりを無駄だと感じる場合が多いし、ちゃんとした場所で堂々と述べられていないことは、意見として取り上げる必要がないと考えます。

 

 

そのため、会長だけ男性であとの役員が女性というような、全国津々浦々で非常に多く見るパターンの会合において、男性は孤独で責任を一手におったりしているわけです。

 

 

最後に、僕が面白いと思った読み物を紹介します。

 

 

太宰治さんの小説で「男女同権」という短編があります。

 

 

「或る片田舎に定住している老詩人が、所謂日本ルネサンスのとき到って脚光を浴び、その地方の教育会の招聘を受け、男女同権と題して試みたところの不思議な講演の速記録」という書き出しで状況設定と説明が終わり、太宰治らしく母親からのいじめを始め女性にひどい目にあってきた話が、おもしろおかしくかたられたあと、以下のように結ばれています。

 

 

つまり、もうこれからは、女子は弱いなどとは言わせません、なにせ同権なのでございますからなあ、実に愉快、なんの遠慮も無く、庇うところも無く、思うさま女性の悪口を言えるようになって、言論の自由のありがたさも、ここに於いて極点に達した観がございまして、あの婆さん教授に依って詩の舌を根こそぎむしり取られました私も、まだ女性を訴える舌だけは、この新憲法の男女同権、言論の自由に依って許されている筈でございますから、私のこれからの余生は挙げて、この女性の暴力の摘発にささげるつもりでございます。

 

 

この小説はいろんな読み方が可能ですが、マタハラや男女雇用均等法の話に絡めて言えば、現状の問題点の本質を突いているのではないかと思っています。

 

 

青空文庫で読めますので、興味をもたれたらぜひご一読ください。

 

 

20170606 by okkochaan