こんにちは、おっこちゃんです。

 

2月2日のアンビリバボーで、60年前にアメリカで起きたストーカー事件を取り上げるようです。

 

これを題材にした『ストーカーに愛された女の復讐』という映画も数年前に制作されています。

 

このアンビリバボーな点は、ストーカー行為をし、相手のリンダに硫酸をかけて失明させるという犯罪を犯したバートが出所後にリンダと結婚する点、そしてその後、表面上は、何事もなく2人で結婚生活を送っている点だと思います。

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失明して行き場がなくなったリンダの生活の面倒をみる責任は、当然、加害者であるバートにあると思いますが、あたかも幸せな結婚のような状態に落ち着いている点が理解を超えているわけです。

 

しかし、僕は人間の心は想像以上に深くて、海がまだ一部分しか解明されていないのと同様に、人の心はまだまだ分からない事ばかりだと思っています。

 

いや、人間のみらなず、昆虫や動物であっても矛盾としか思えない利他的行為をすることは、よく知られています。

 

だから、なぜと聞かれても義務以上のことについては、当事者2人でさえわからないことかもしれません。

 

長年連れ添っている夫婦であっても、相手のことなど驚くほど知らないというのが、事実ではないでしょうか。

 

ただ、僕はストーカーになる人間というものは、根底に甘やかされた環境で育ったという背景があると考えています。

 

甘やかされた環境とは、なんでも自分の欲しいものが手に入ったり、それがかなわくて泣き叫んだりすると、親が欲望をかなえてあげたりすることです。

 

こんな育ち方をしていると、欲求がかなわない時に我慢するということを学習することができません。

 

それが、好きな女性ができてうまくいかない時にストーカー行為となるのではないかと思っています。

 

 

ところで、愛にはいくつかの種類があるそうで、慈愛のアガペーのみでなく、もっと軽い感じのマニアなども愛の入るらしいです。

 

クレイジーラブは愛ではないと説教したくなる気持ちをちょっと抑えて考えてみると、ストーカー行為も愛の一形態となってしまうのでしょうか。

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まあ、言葉の定義はどうでもいい気もするのですが、少なくともストーカー行為においては、相手の容貌であったり、優しい言葉をかけてもらった思い出とか、忘れられない「いい思い出」があったりします。

 

それが拒絶、遮断されたときに、なんでも自分の思い通りにならなければ気が済まない幼児性が現れたときにストーカー化(モンスター化と言ってもいいと思います)するわけです。

 

このバートリンダの事件はクレイジーラブといったものではないと思います。

 

1.60年前、バートが32歳の時に20歳ぐらいのリンダに一目ぼれします。

2.初めは無視したリンダもプレゼントや誘いの猛攻でデートしたところ、バートの優しさに惹かれて好きになって行きます。(ちなみにストーカーは表面は優しいです)

3.結婚を考えるまでになったリンダにバートは自分が既婚者だと打ち明けます。

4.リンダはバートと付き合うことをやめます。

5.バートは弁護士であることを利用しようと考えます。人を使って嫌がらせをし相談に来るように仕向けようとします。
(この発想は特に幼児性を感じます)

6.しかし、別の男性とリンダが婚約したことを知ったバートは、やはり、人を使ってリンダの顔に硫酸をぶっかけます。

7.リンダの婚約者は去っていき、リンダは失明します。

8.10数年後に出所したバートは、リンダに結婚を申し込み、2人は結ばれます。

 

 

この赤字で書いた箇所が、通常ならやらない領域のことで、アンビリバボーというわけです。

さらに2人そろって、テレビのインタビューに答えたりもしているようです。

 

バートが我儘な幼稚な性格は、こうしたストーカー行為をリンダ以外にもしていたことからもわかります。

 

だから、僕は、こうしたストーカー行為の温床を作っている「甘やかした教育」の排除を徹底する必要があると考えています。

 

 

僕は、これを書いていて『華麗なるギャツビー』というアメリカ映画を思いだしました。

 

原作は、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・キャツビー』という小説で、ストーカーをするわけではありませんが、話の組み立てが似ています。

 

ギャツビーと愛し合っていた富豪の女性は、彼が戦争に行っている間に、別の男と結婚してしまいます。

 

しかし、あきらめきれないギャツビーは無一文から大金持ちになり、彼女の家の対岸に邸宅をかまえ、ただ、彼女の気を引くために、毎晩、どんちゃん騒ぎをやるというわけです。

 

これって、小学校とかで好きな女の子の気を引くために、騒いだり、ちょっといじめてみたりと変わりません。

 

ものすごく子供っぽいわけですが、どこが華麗であったりグレートなのか、よくわかりません。

 

でも、人間の悲しさというものを感じさせてくれる作品です。

 

もしかすると、バートとリンダは幸せなのかもしれないと思ったりするのですが、本当に人間の心というものは、深くて不思議だと思います。

 

でも、おっこちゃんとしては、できるだけ穏やかで平穏に暮らしたいと願っています。

 

 

20170129 by okkochaan