僕がOさんと出会ったのは、当時、僕が勤めていた人材派遣会社でアルバイトの採用をした時であった。

 

 

Oさんは、そこに応募してきたのである。

 

 

僕は管理職ではあったけれども、採用の決定権があるわけではなかった。

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仕事はデータ管理と集客ヘルプといったものでパソコン操作と電話での話ができればよいものであった。

 

 

人材派遣会社というのは、宿命的に常に人不足である。

 

 

特にある分野に特化している場合は、その業界の経験者が常に求められるので、膨大な登録者のデータは常に最新なものにし、登録者が仕事を探すタイミングと企業からの派遣リクエストを最速で合致させられるよう、エンドレスな努力が必要なのだ。

 

 

それは今ほど人不足が深刻ではなく、バブルが終わってまだその余韻が残っている頃のことである。

 

 

その会社、というよりその部署では、企業のニーズに100%応えることで顧客の不動の信頼を得ることをモットーとしていたので営業的には非常に強気かつ実際に業界で敵なしといえるぐらいの状態であった。

 

 

そして、実際にそのための努力はおしまなかったので、売上は右肩上がりであり、社員の給料も右肩上がりという、今では信じられないような状況であった。

 

 

新規顧客の開拓をすることはほぼなく、むしろ顧客を絞り込んで、その絞り込んだ顧客に対して全力投球をするというスタンスだったけれども、それでも放っておくといつの間にか顧客も増えてくるという営業的には理想的な状態だったと思う。

 

 

新規開拓をしない営業は何をしているかというと、企業の要望に応えられるスタッフを探し、人選し、必要な交渉を行い、派遣中の労務管理をしていた。

 

 

しかしデータベースに対してのメンテナンスは常に追いつかず、膨大な紙ベースのファイルも並存しており、登録から何年もたっていてスタッフ本人すら登録したことを忘れている場合もあった。

 

 

人材派遣業がどうしても人海戦術に頼らざるを得ない理由はこのあたりにある。

 

 

仮に登録者が1000人程度だけだったとしても、その1000人の職歴やスキルは常に更新されていっているので、派遣会社としてはその職歴やスキルを正確に把握しておく必要がある。

 

 

データとしては、目に見える職歴・スキルの他に、スタッフごとのパーソナリティーやそれに対する評価、適正をプロとしての視点で把握し直さなければならない。

 

 

この質と量の部分の比較がそのまま派遣会社の評価そのものとして反映されることになるのは言うまでもない。

 

 

つまり、派遣業とは、この膨大な作業を地道に行うことが必須な地味な努力の積み重ねのビジネスなのだ。

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今でこそ、サイトに登録者自身が職歴・スキルを加筆・修正することが当たり前になっているけれども、システムは出来ていても自分から進んでその作業をしてくれる登録者は決して多くはない。

 

 

積極的に仕事を探している場合とか、新規に登録するとき、派遣会社と信頼関係が築かれているという条件下で、派遣会社からお願いしなければならない。

 

 

登録者は派遣前にはお客様であるために、職歴やスキルのデータの加筆・修正は電話などによるヒアリングを通じて行うことが結局のところ最も早いわけである。

 

 

一方で、データは増えるばかりで、そのデータに貴重な宝が埋もれがちなのが現状なので、派遣社員の評価を派遣会社が行い、企業のニーズに合わせたスタッフを派遣会社が登録者のなかから選出して派遣するという現在の派遣法の建て付けが根本的に変わらない限り、この問題は解消されることはないだろうと思う。

 

 

派遣のシステムというものは、私見では、かなり歪んだものであり問題が派遣のシステム自体にあると思うけれども、これは機会があれば別のところで書こうと思う。

 

 

ともあれ、こうした会社の状況から営業がさらに効率的に動くために、登録者のデータのメンテナンスを行ってもらうために、会社はアルバイトの募集をし、Oさんはそこに応募してきた。

 

 

Oさんの応募書類である履歴書、職務経歴書であるが、非常に特異なものであり、一般的な評価をすれば完全にアウトなものだった。

 

 

多くの日本人は規格外のものを嫌う。

 

 

例えばキュウリは本来、曲がったものであるのに、まっすぐなものを要求する。

 

 

だからOさんのものは、通常であれば、間違いなく落とすべき履歴書、職務経歴書であった。

 

 

どのようなものかというと、まずタイプされたものでなく、お世辞にも上手とは言えない字で走り書きのように手書きされた20枚ぐらいのものであった。

 

 

それは、一言で言えば、いかに自分が優秀で有能でありながら仕事が順調に回り始めたと思うたびに不幸が襲いかかり辞めざるを得なかったという歴史がくどくどと書かれていた。

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時系列で思い出すことを書くと以下のようだったと思う。

 

 

私立のおぼっちゃん大学を卒業後、大手の証券会社に就職し、営業としてすばらしい成績をあげた。しかしこれはバブル期のことで、それが終わるとリストラが始まり、顧客との関係も悪くなり当時の信頼する仲間とゲーム機器の販売会社を始めたこと。

 

 

彼には証券時代に社内恋愛をし婚約までしていた美人の女性がいた。

 

 

しかし、信頼していた会社を一緒に始めた友人が彼女を奪ってしまった。

 

 

そのため、彼は会社を彼に譲り、辞めてしまった。

 

 

このことは、彼の心に深い傷を残していることは、その後の彼との交流でもしばしば感じたことである。

 

 

その後、ゴルフ道具のショップを始めたが、前の会社のようには、うまくいかなかった。

 

 

結局、店もたたんで、その後は、ウエイターや皿洗いなど職を転々としてきた。

 

 

応募書類の最後には、自分のこの仕事に対しての思い入れの強さと必ず結果を出すことを力強く請け合っていた。

 

 

僕の第一印象は、「この方は自分の職歴も整理して書けない要領のきわめて悪い人ではないか」というものだった。

 

 

こんなものは、忙しい採用担当者は読まずに落とすことは間違いない。

 

 

しかし僕は走り読みではあるけれども、不思議に惹かれるものを感じて読んでしまったのであるが、それこそ彼の狙いだったのかもしれない。

 

 

年齢や職歴から、彼は決して社会的に「売れる」人ではなかった。

 

 

その上、今回の仕事については、登録者に寄り添って、必要な情報やニーズを聞き出さなければならないこと、電話での会話も多くなることから、会社は当然、若くて接客センスがあり事務能力にも長けている女性を想定していた。

 

 

だが、僕は違った考えをもっていた。

 

 

それは、映画「アラビアのロレンス」での忘れられないセリフがこびりついていたからである。

 

 

アラビアの部族間の統合に深く入り込み、自からイギリス人を捨ててアラビア人の衣装をまとい、規律を守れなかったアラビア人(そのアラビア人は、隊列に遅れたのを危険を冒してまで救った人でもあった)をやむなく銃殺し、子供のように可愛がっていた従者が誤って地雷で致命的な負傷をし敵に捕まって惨殺されるよりはと、アラビア人のように拳銃で殺したあと、徐々に狂気めいてきた時の場面である。

 

 

周囲を見渡せば、いつしか信頼できる従者もおらず、一癖も二癖もありそうな犯罪者ばかりである。

 

 

そこで、ロレンスはつぶやくのだが、そのセリフに僕は長いこと支配されていた。

 

 

「まともな奴はつかえない」

 

 

不幸にして、僕はいまだにこれを信念のように思っている。

 

ところが、実際の僕は、気が弱く本当にちょっとしたことで気が滅入ったり、くよくよしたりしてばかりいる。

 

 

それは、僕の憧れでしかないのかもしれない。

 

 

こうした経緯で、僕は信じられない、手書き20ページの履歴書・職務経歴書を送ってきたOさんに会ってみようと思ったのである。

 

第三回に続く。

 

第一回はこちらです。

 

平成の酔生夢死【ホームレスOさんとの交友記】 第1回
http://wp.me/p7vgb9-cu

 

 

20170509 by okkochaan