高井戸署の暴言

 

 

 

 

 

 

 

 

高井戸署での万引き事件の捜査で中学生に対し暴言を吐いていたと事件があったことが明らかになりました。

 

 

2015年当時中学生の少年2人に対し、「認めないと逮捕するぞ」などの暴言があった事件は、いろんな考えさせられる点があります。

 

 

そのほか、「人生終わりだぞ」とか、「高校になんか行けないぞ」とか、聞くに堪えない暴言の数々です。

 

 

万引き捜査の署員、中学生に「少年院ぶちこむ」

 

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【事件の概要】

 

2015年12月に万引きで逮捕された少年が、他の2人の当時中学生の2人による教唆があったとの話から、高井戸署の捜査員は2人に任意の事情聴取を行った。

 

ただ少年の親によると、高井戸署の捜査員は初めに家に来た段階から「万引きの教唆ありき」で決めつけ高圧的な態度だっという。

 

少年の一方の親からICレコーダーで録音しておくようにアドバイスを受けての録音だったが、内容は恐喝と自白強要と断定できるものである。

 

その後、警視庁の捜査で少年2人は無実であることが証明された。

 

少年の保護者が弁護士と共に会見し、東京弁護士会に人権救済の申し立てを行っていたことを明らかにしたことで世間の知るところとなった。

 

捜査をした2人の警察官のうち、50代の警部補はすでに退職している。

 

 

 

 

【実際に少年に投げつけられた言葉】

 

「俺たちは、お前にチャンスを与えてるだけの話だから。お前チャンスがいらないんだったら、お前逮捕して、牢屋(ろうや)に入る? お前、人生終わりだからな!!」

 

「窃盗罪を負わせといて、お前たちは、ぬくぬくできると思ったら大間違いだぞ、ああ?」

 

「遊び半分でやったのか知らないけれども、てめえらのやったことは、すでに立派な犯罪行為だ。だから警察呼んでんだよ、お前、訳のわからないこと言ってんじゃねえよ、いつまでも! この野郎! わかったか!」

 

 

 

【普段からの準備で万一の時に備えておこう】

 

この事件ですが、もし録音がなければどうなったかと考えるとぞっとします。

 

 

この事件の救いは警視庁が捜査して暴言や自白強要など行き過ぎた不適切な内容があったことを認めたことですが、録音という動かぬ証拠があったから動いたのではないでしょうか。

 

 

残念ながら、自分の身は自分で守らないと厳しいというのが実情に思えてなりません。

 

 

自分ばかりでなく、映像や音声があることで、人助けだってできるかもしれませんね。

 

 

ところで、中学生2人は、実際に自白しなければ解放されないという状況で自白をしてしまっていますが、これは、中学生たちの状況を考えるとやむを得ないと思えます。

 

 

ICレコーダーを持たせた親の気転は良かったと思うし、今後にたような冤罪に巻き込まれた場合に大いに参考になります。

 

任意の取り調べの段階であれば、音声を取ることは出来るのですが、もし幸いにスマホを持っているのであれば、スマホの録音機能はかなり優秀で音声を拾う能力も録音時間もファイル管理も十分なので、絶対に活用したほうがいいと思います。

 

いざという時にあわてないように、普段から練習、確認をしておくといいと思います。

 

なぜかというと、実際に事件に巻き込まれるとパニックになってしまって普段できることができなくなったりするからです。

 

スマホだと便利ツールにボイスメモというものがついていますので、そこを開いてボタンを押すだけです。

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【この事件の恐ろしさの本質】

 

ただ、この事件がものすごく驚きのニュースかというと、そこまでは感じない方が多いと思います。

 

つまり、なんとなく、程度の差こそあれ、こうしたことは警察内で行われているのではないかという疑問を持っている方が多いということです。

 

しかし、この事件の本当に恐ろしいのはそこではありません。

 

 

僕は、「偏見や思い込みからまぬがれられない人間の弱さ」、これこそが、この事件の恐ろしいところだと考えます。

 

 

日常生活や仕事での人間関係の問題として「偏見」や「思い込み」で、「ありき」で決められてしまい嫌な思いをした経験はほとんどの方があるのではないでしょうか。

 

僕は、はるか昔のこの少年と同じ年齢の中学生のころの実に嫌な出来事を思い出してしまいました。

 

 

 

【僕の中学生時代の嫌な体験】

 

当時、隣のクラスの年配の男性の担任教師で、非常に生徒に人気があり慕われている先生がいました。

 

その先生は授業中に生徒に教科とは関係のない、しかし含蓄のある面白い話をしていたようで、それが人気の原因でした。

 

ただ、僕はその先生と全く接触がなく、顔を知っている程度でした。

 

ところが、ある朝、授業が始まるか始まらないかぐらいのタイミングで、僕は突然、その先生に呼び出しを受けました。

 

「ちょっと来い」というので、全く理由がわからずついていきました。

 

そして下駄箱まで一緒に行き、そこに脱ぎ捨てられた靴を指さして、強い口調で下駄箱にしまい忘れた僕を非難しました。

 

僕は靴をしまい忘れたことに全く自覚がなく、また、普段はちゃんとしまっていたので、自分の靴を見ても、とっさに何のことかわからないほどでした。

 

それは、完全に僕の過失でした。僕はその朝、かなりぼーっとしていたのかもしれません。

 

ただ、その人気の先生が僕を非難する口調は、まるで常習犯の生徒をしかるような容赦ないものでした。

 

僕が完全にうっかりしていたのを悪意をもってなした行為だと決めつけているのです。

 

僕は始めて話をする先生にそこまで厳しい叱責を受けたこと、その先生が人気のある普段は生徒と笑って話をしていることを見たりしていたので、非常にショックを受けたのです。

 

それ以来、僕は、他の人が「いい人」だという人を信じることが出来なくなりました。

 

学校で、その先生とすれ違う時とか笑う姿を見ても恐怖と嫌悪の気持ちをずっと持ちながら、その学校を卒業したのでした。

 

 

 

【まとめ】

 

このように、人間はどのように良い人と言われていても、偏見から免れることはかなり難しいことだと僕は考えています。

 

でも、少しでもそうした行為(それは暴力といっていいものです)から自分は解放されたいし、接触する人たちにもそれを望んでいます。

 

完全に偏見から自由になれないにしても、そうした努力の上での相互理解がなければ、人間関係を継続させることは難しいと考えているからです。

 

万一、偏見や誤解を受けたと感じたら、出来る限り明確に相手にそのことについて話をすることが重要だと思っています。

 

そして、今回の中学生のように、あるいは大人でも弱い立場の方がそうした困難にあっている場面に居合わせた場合には、助けてあげることが大事だと考えています。

 

今回の事件のように権力をもって問題が起こった場合には、なおさらかもしれません。

 

 

20170811 by okkochaan