平成の酔生夢死【ホームレスOさんとの交友記】 第1回 序

 

 

これから、僕の友人であるOさんの話をしようと思う。

 

Oさんは最後はホームレスだった。

 

 

「だった」というのは、最後に彼と会ってからすでに10年はたっていて、現在はその生死もわからないからである。

 

 

ただ、もしホームレスであれば長くは生きられないのではと案じていたし、彼とのつきあいで、これほど長期間、連絡がないことはなかったので、おそらくは亡くなっているのではないかと思っている。

 

この話は多くの部分が実在のOさんとの付き合いで得たものだけれども、より読者の方にOさんに興味を持ってもらい、より正確にOさんを伝えるために強調したりデフォルメしたりするかもしれない。

 

 

だから、この話をむしろフィクションとして読んでいただけると嬉しい。

 

 

いや、そもそもこの「僕」が存在しないかもしれないので、余計なおせっかいかもしれないが。

 

 

さて、僕は、これを書きながら、僕は自分自身の為に書いているという思いを強くしている。

 

 

僕は、ホームレスの友人がいることを知人や会社の同僚などに話してきたが、それは、ホームレスの友人がいるくらい友人の幅が広いことを知らしめることで、僕が何かしら不可解な領域にも精通している、ちょっと変わっているけど不思議な能力がある人だと思わせるためだった。

 

 

これは、僕自身の嫌な面だが、Oさんがホームレスであるために僕は付き合えたのではないかと思っている。

 

 

他の方についても同じかどうか、わからないけれども、僕は、人間はその渦中にある時には、その当人が起こっている出来事の意味を知ることは出来ないのではないかと考えている。

 

 

古くさい言い方をすると、親になって初めて親の気持ちがわかるという言葉も、そうしたことではないだろうか。

 

 

また長年連れ添った夫婦であっても、相手のことをほとんど知らないという事実に直面したときに人は愕然とするのではないだろうか。それがどのようなタイミングで現れるかは知る由もないが。。

 

 

だから僕は、「今を大事に生きる」という言い方を信じることが出来ない。

 

 

意味がわからない、あるいは、隠されているのに、何を大事にすればよいのかなどわかるはずがないからである。


少しだけOさんがどのようなホームレスであったかについて触れておきたい。

 

 

Oさんは、通常ホームレスから想像されるような生活、風体とは全く異なるちょっと変わった人であった。

 

 

それは、サラリーマン型のホームレスといったもので、曲がりなりにもスーツを着用しており、カバンを持ち、ネットカフェに寝泊りしていた。

 

 

ゴミ箱をあさって食料を確保することもせず、ダンボールの家も持たず、毎朝決まった「通勤電車」に同じ駅、同じ時刻に乗っていた。

 

 

特に東京であれば、彼のやり方で、男一匹なんとか食べていくぐらいは賄える様子であったのは驚きであった。

 

 

また犯罪は無賃乗車以外に手を染めることは決して無かった。

 

 

なので、彼のノウハウはこれからホームレスになる方にも、もしかすると参考になるかも知れない。

 

 

さて、以上が序文である。

 

 

これから時系列で、Oさんとの出会いと別れまでタイピングを進めていこうと思う。

 

 

第一回は【出会い】というタイトルで配信する予定ですので、ご期待ください。

 

20170507 okkochaan