こんにちは、おっこちゃんです。

 

今日、4月の保育園(保育所も同じです)に落ちた ことでの悲鳴が続々とあらわれ、ちょうどあの2016流行語大賞になった『保育園落ちた日本死ね』から一年でもあるのでニュースになっています。

 

ツイッターで、#保育園落ちた2017 というハッシュタグでの書き込みを読んでみると、本当に笑えない日本の実情が見えてきます。

 

昨年末は、この『保育園落ちた日本死ね』が流行語大賞ということにたいして、つるのさんが「死ね」という言葉がはいったものが大賞になるのが悲しいとの発言がありました。

 

僕も全く同感です。

 

それに対して、流行語大賞の選考委員の俵万智さんは、以下のようにコメントしています。

 

「死ね」が、いい言葉だなんて私も思わない。でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。世の中を動かした。そこには言葉の力がありました。お母さんが、こんな言葉を遣わなくていい社会になってほしいし、日本という国も日本語も、心から愛しています。

 

あの無料ブログに書かれた『保育園落ちた日本死ね』については、プロのライターが書いたのではという話もあるのですが、僕自身は、あの強くて嫌な言葉の連続は好きになれません。

 

一行一行、社会問題を完結に網羅してののしるあたり、もしプロでないにしても、教養があり、そんな汚い言葉を発するなど信じられないようなお母さんが、二重人格者のように書き言葉では別人格になり書かれたのかも知れないとか思っています。

 

そのあたりは、誰が書いたにせよ構わないのですが、保育園の問題は深刻な問題だし、バードアイで見れば、例えば介護の問題とか、ブラック企業の問題とか、ハラスメントだとか、すべてがつながっていて、日本社会の暗部を形作っていると思います。

僕自身、人材派遣の担当者として、保育園に入るためにとか、来週から開始する仕事が確定していないと保育園をでなければならないとか、非常に切羽詰まった状況での相談を何度も受けました。

 

だから特に東京都内の深刻さとか、どこそこが保育園に入りやすいという情報でその為に引っ越した話とか、いろいろ聞いています。

 

ところで、この保育園の話ですが、素人考えではありますが、非常に不自然で、なんで?という疑問がいろいろ湧いてきませんか?

 

・ 少子化担当大臣までいながら、どうして問題解決がスムーズでないのか。

・ こどもが少ないのに、なんで保育園が足りないのか。

・ 僕の親の世代は5人兄弟など普通だったのに、それでもなんとか育てて来たし、社会全体に活気もあった。今と何が違うのか。東南アジアのより貧しい国のほうが子供たちが明るく笑顔があることはなぜなのか。

・ 陰湿な「いじめ」が後をたたず、またスカートの盗撮をする大人も後を絶たない、どこか歪んでいるのではないか。

 

人間というものが、わずか数十年で変わるものではないことを考えると、保育園を増設するということも、もちろん必要ですが、それ以上に、取り組むべき重要な事項が潜んでいると思います。

 

保育園は、もちろん共稼ぎとかが必要な夫婦であるとか、シングルマザーであるとかの為にあるわけですが、そのほとんどの理由は経済的な問題であろうと思います。

 

子供が小さいうちは出来るだけ子供と接する時間を長くとるべきだと僕は考えています。僕自身も子供は母親まかせだったので、話す権利はあまりないとは思いますが、父親だって子供と多く接触すべきです。

 

男性の育児休業もほとんど浸透していないのが実情です。

 

また僕は、問題を社会のせいにばかりすることにも違和感があります。

 

しかし、日本社会での多くの問題が、担当官庁の違いであるとかが原因であったりする、非常におかしなことが多いことも事実ではないでしょうか。

それは、結果として、主権者であるはずの国民不在の政策となりがちであり、施政者側の都合や論理で主権者不在で物事が決まっていってしまう構造上の問題です。

 

例えば以下のようなことです。

 

幼稚園は、学校教育法で定める学校の一つで、文部科学省が所管している。それに対して、保育園は、児童福祉法に基づく施設で、厚生労働省の所管である。
幼稚園は、満3歳から小学校に就学するまでの幼児を教育するための施設で、先生は都道府県の教育委員会が発行する幼稚園教諭の免許が必要となる。
保育所は、保護者が労働・疾病などの理由で保育できない0歳から小学校入学前までの乳幼児を保育するための施設で、先生は国家資格である保育士資格が必要となる。

 

つまり、幼稚園と保育園とでは、主務官庁も違うし、そこで働く人の資格も全く異なるのです。

 

もちろん、こうなってしまった歴史的な背景はあるでしょう。

 

しかし、日本の宝とも言える子供達とその親を支えるという目的からすれば、似たような施設であり、その視点が明確に示されていないことは問題だと思います。

 

似たようなことは、多々あります。

 

オリンピックは文部科学省管轄なのに、パラリンピックは厚生労働省管轄であること。このことから国際的にみても理解不能な不自然さがあり、無用な問題まで起きてしまっています。

 

金融会社は金融監督庁を恐れていて労働省はセカンドに見ているため、残業については歴史的に多くの問題がありながら、労働省は積極的に関与していません。

 

 

もっと、いろいろありますが、ここまでしかすぐには思いつきませんでした。

 

さて、こうしたことを打ち破るには、既得権を保持したいためだけに守ろうとする動きをこわさなければ難しいのでしょうか。

 

僕は、トランプ大統領について、支持も不支持もありませんが、ビジネスマンとして成功した基本の強いスタンスについては、尊敬しています。

 

・ 目標は出来るだけ高くもつこと

・ 交渉は強気で押して押して押しまくること

 

新しい価値を作るには、既存のもので時代に不適合になったものは、葬り去らなければならないと思いますが、そうしたパワーと強い指導力が今後の政治にも求められるのではないでしょうか。

 

立回りだけが上手くて、群れをなさなければ何もできない状態だと期待するだけ無駄だというムードになるだけなので、アメリカ社会でトランプ氏が大統領になったのは、偶然ではなく、支持者も多くいることを知るべきだと思います。

 

この保育園の問題でもまた、日本社会の課題が凝縮されてあると僕は考えています。

 

子供たちがどのような状態であるかというのは、その国の将来の力をはかるバロメーターでもあると思います。

 

明るく楽しく美しい日本、どのように生きていきたいのか、それは何故なのかというような議論を日本中で展開されるようになることを僕は念じてやみません。

 

20170206 by okkochaan