こんにちは、おっこちゃんです。
例の森友学園の問題ですが、保守団体の「日本会議」からも迷惑だとの発言があったようです。
「日本会議」がどれほどの力を持っているのか知りませんが、安倍首相もメンバーに入っている団体で、その目的は「憲法改正」らしいです。
まあ日本会議が公式に関わっていないとは思うのですが、そのメンバーが関わっている可能性は高いと思います。
ただ、日本会議としては、あの森友学園の理事長のような小者は切り捨てようと決めたように見えます。
僕が思うに、「つまらん事で、失策をしやがって。使えない奴だ。」と思っている方がいるように思います。
結局、他の多くの問題と同様に、真の問題はうやむやななかで、トカゲが尻尾を切る形で落ち着いてしまうのでしょうか。
今回の幼稚園教育についても積極的に擁護する人もおらず、一体、あの教育のどこがそんなに素晴らしいと思ったのか、素晴らしいと思った人に聞いてみたいです。
ですが、僕は、そうした枝葉のために本当の問題から目を反らされることをもっとも恐れます。
では、この問題の核心はなんだろうかということですが、それはキーワードで言えば、「教育勅語」だと思います。
あのよくわからない日本語を幼稚園生が意味も分からず記憶し声に出す行為はどう考えても悪いことだと思います。
僕は他のこと、例えば松尾芭蕉の奥の細道とか古今和歌集の序文であるとかを暗誦するのであれば意味があると思いますが、「教育勅語」については、懐古趣味で行うのでなければ、別な政治的な意味で行うことになるだろうと考えます。
これは教育基本法を待つまでもなく、あきらかに偏った価値観の押し付けです。
「せっかく幼稚園でこんなすばらしい教育を受けながら、小学校の教育でそれが継続できず忘れられてしまうことが忍びない。」といった意味のことを昭恵夫人がおっしゃっていますが、本心からあの幼稚園の教育勅語を暗誦させることのどこが素晴らしいのか伺いたいです。
今回、日本会議の方のみならず、多くの方が「教育勅語を暗誦させる教育は悪くない」旨の発言があり、僕はこの点が最大の問題だと思っています。
つまり、僕は教育勅語を暗誦させることが悪いと考えています。
70年も前に、明確に「排除」「失効確認」の宣言がなされた教育勅語を現在においても、推奨し、何もわからない園児に暗誦させることが良いことだと考えているとは、非常な驚きです。
では、教育勅語の何が問題なのかということについて書きます。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
あえて訳しません。
ほとんどの方は教育勅語を読んだことなどないと思いますので、気にせず読んでみてください。
おそらく、なんとなく意味はたどれると思います。
ほぼ飾りでもあるかのように父母に尽くすこと兄弟は助け合うことなど、儒教の教えを11羅列した内容です。
それ自体を悪いという人はいないと思います。
ですが、物事の善し悪しは、その伝え方にあるということ、言い換えれば、正しい間違っていない=採用という形が非常に危険であることの好事例だと思います。
で、これの問題点は2点です。
朕惟フニ(ちんおもうに): 勅語とは、天皇が臣下に与える形をとっています。これはすなわち、道徳の問題を君主が命令・強制したということとなり、主権在民の憲法の考え方からも間違いです。
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ: これは、いざ鎌倉となれば、すぐに駆けつけて、「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」天皇を守れということで、結局、教育勅語はこれが言いたかったのかと考えられます。ここでは、当然に天皇が現人神とされています。
政治的な主張として、この教育勅語があらわしているような日本に戻したいと考え活動することは自由です。僕はそんな社会は嫌ですが。。
しかしそれを、何もわからない園児に暗誦させることは問題です。
中国や韓国の方へのヘイト内容や安倍首相への感謝など論外ですが、教育勅語ならいいんでないかいとかちょっとでも考えたとしたら、とんでもない間違いです。
教育勅語を排した時の衆議院決議は「思うにこれらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国家観に基いている事実は明らかに基本的人権を損い且つ国際信義に対して疑点を残すもとになる」としているのです。
しかし、残念なことに天皇を主君と仰ぐ好戦的な人たちがいることは事実のようです。
僕はその方々の多くが国や日本人を愛しているかについて、強い疑いを持っています。
もちろん全員ではないと思います。
しかし、今回のように教育勅語まで商売道具にする輩は確実にいるのです。
20170305 by okkochaan
教育勅語が、憲法や教育基本法に反していないという政治家や文部科学省は、国民主権や基本的人権の意味がわかっていない人々である。
龍馬さん、コメントありがとうございました。
世の中がおかしな方向に進んでいますが、お互い言うべきことを発信していきましょう!
これからもよろしくお願いいたします。
初めまして。
Yahoo!の「教育勅語の教材活用どう思う」というアンケートサイトの議論に参加していました。
現行の教育基本法・学校教育法・指導要領は、民主的な自主自立の人格を培うために制定されています。人によっては、不十分かもしれませんが、概ね目的に沿ったものになっています。
教育勅語を公教育の徳育に用いることは、民主主義・自由主義に反するというのが、私の考えです。
公教育で、教育勅語を徳育の基本として持ち出せばどうなるか。その教員は、その日のうちに教育委員会の指導を受け、保護者から批判されることでしょう。そんなことをした教員は、知る限りではいませんけどね。
Yahoo!アンケートサイトの議論では、私は偏向しているそうです。法を尊重して、「偏向」とは、空いた口がふさがりません。
私の考えに近いご意見を伺うと、ほっとします。
今後も民主主義・自由主義を守るために、互いにがんばりましょう。
松村さん、はじめまして。
貴重なご意見ありがとうございました。
僕の意見は、ほぼ松村さんのお考えとイコールだと思います。
ヤフーのアンケート調査は僕も集団的自衛権が話題になっていた時に参加したことがあります。
その時の印象ですが、反対意見の方が多かったにもかかわらず、議論に加わると、ネトウヨというのでしょうか、現在の国際情勢から中国・北朝鮮と戦争が起こったらどうするという理由で意見を押さえつけるような論調が強かったです。
僕は、ネットでの意見交換が無駄だなと思って懲りてしまいました。
僕は自分の好きなことをブログに書こうと思っているだけなのですが、気がついたら政治についての記事ばかりになってきています。
もともと政治には興味がないほうでしたが、この頃の状況は、とても無視できない状況になってきています。
集団的自衛権も教育勅語も、すべて閣議決定から始めていて、憲法に抵触する問題とか70年前に両院で将来、教育勅語をまた利用するものが出てくるかも知れないことも踏まえて決定した事項を閣議決定でいとも容易に偏向し、強引に進めていくやり方が間違っていると考えています。
ネットでは松村さんの意見が「偏向」となったようですが、良識ある人間から見れば、間違っているのはどちらであるかは明らかです。
松村さんが正常なのです。
ただ教育の場であっても、教育勅語がまかり通る可能性があることを恐ろしく感じています。
それは、まさに戦時中とおなじです。
言論統制が行われ、異を唱える人間は非国民扱いにされるのです。
そして、安倍さんが嫌いな日教組とか共謀罪で牢屋に入れることができるわけです。
故に、すでに亡くなった野坂さんとか戦争を生きてこられた知識人はことごとく集団的自衛権についても反対していたのです。
今、とても恐ろいことが進行していると思います。
僕は政治に無関心な約半数を占める無党派層を覚醒させることが重要ではないかと考えています。
少なくても籠池さんを180%改心させるよりは楽ですが、僕は、籠池さんをパウロの改心のようにこれまでの信念が間違いだったと雷に打たれたように真逆に動かすぐらいの勢いで取り組むべきだと思っています。
教育勅語の問題点・・・で検索すると、もれなく「一旦緩急アレハ」の部分が指摘されています。
教育勅語が問題だ!とする方に対し、わたしは2つ疑問があります。
1つめは、、、
じゃあ、「一旦緩急アレハ」のときはどうすればいいのか?
同じ意味で、「一旦緩急アレハ」の後はなんと書いてあればいいのか?
2つめは、、、
これは戦後なんとなく腫れ物に触れるように、避けていたテーマで、本来ちゃんと考えなくてはならず、国際情勢を考えると逃げてられないではないのか?
結局、1も2も同じことのような気がしてきましたが、これらについてどのようにお考えでしょうか???
こんにちは、コメントいただきありがとうございました。
私は、教育勅語の内容の良し悪しの問題以前に、一旦国会で不適当と否認されたものを、なし崩し的に「内容は悪くないから」
というだけの理由で再び政治的に利用しようとしていることに問題を感じています。
まして閣僚である稲田さんが国会でそうした発言をなさったことには、正直、あきれています。
従って、教育勅語を評価し教科書に載せるなどするのであれば、70年前の国会での決議を一旦白紙にもどすことが手順だと
考えています。
「一旦緩急アレハ」の後に書かれていることが問題だとは思いません。
これは、周辺国に脅威があるからという理由で、集団的自衛権を強行採決した手法と同じで、
正面からの議論を避けて数の論理で進めるずるい方法ではないでしょうか。
私もブログで言いたいことを言っていますが、こうした意見すらちゃんと言えなくなる日がくるような
脅威を感じてます。