今朝(5月15日 00:49)のヤフーニュースによれば、読売新聞の調査で、改憲内容で憲法9条にで戦争放棄などを定めた9条1項と2項を維持した上で自衛隊の根拠規定を追加する考えに「賛成」は53%で、「反対」の35%を上回り、また改正憲法の2020年施行を目指す首相の方針については、「賛成」47%、「反対」38%だったとのことである。

これは先日の安倍首相の国会での改憲についての自民党総裁としての意見は読売新聞に書いたので熟読して欲しい、という問題になっている発言と呼応する印象だが、僕はなんとも言えないマスコミを利用したイメージ戦略としか思えず、とても嫌な感じをもった。

 

 

 安倍首相が自民党総裁として示した憲法改正の目標で、戦争放棄などを定めた9条1項と2項を維持した上で自衛隊の根拠規定を追加する考えに「賛成」は53%で、「反対」の35%を上回った。改正憲法の2020年施行を目指す首相の方針については、「賛成」47%、「反対」38%だった。-ヤフーニュースより引用-
 
 
 
そもそも僕は、連発する閣議決定から法案提出、論議を尽くしたと言いながら、議論がほとんどされずに数の力を頼んでの強行採決というこのところの法律制定に大きな不安を感じる。

 

 

民主主義が危機に陥っているとも言えるかもしれないが、それ以前に、こんな決め方ではいけないと素朴に思う。

 

 

人として、どこか道を踏み外しているような違和感がどこまでもまとわりつくのである。

 

 

多くの異なる立場や主義主張をまとめるのは、想像を絶するパワーが必要であることは理解できるけれども、だからといって、しっかりと問題の本質にせまる議論を国会の場でしないことはどうなのか。

 

 

甘いといわれるのを恐れずに言えば、たとえその場の全員が反対意見を持っている議題であっても、信念と熱をもって、相手が朴念仁であろうとも動かすことが政治家の責務であり政治家冥利につきることではないのか。

 

 

あまりみんなが賞賛するので、僕が嫌いと言うことにしている坂本龍馬に多くの日本人が惹かれるの理由もそこにある。

 

 

それは二世議員であっても同じではないだろうか。

 

 

しかし、遺憾ながら現在の安倍内閣の動きは感動とは無縁である。

 

 

むしろ閣議決定から議案提出、法案を強行採決という嫌な決め方ばかりである。

 

 

そのうえ、安倍首相が行っているのは、この閣議決定からの流れと同質のマスコミを籠絡して世論を醸成し、国会では議論を避け数の論理で決めていくという手口であり、対話を重ね意見をまとめあげていく方法ではない。

 

 

意見の相違、立場の相違を超えて国民の幸福の追求を目指していないのであり、あるのは数を頼んだ乱暴な強行採決でしかない。

 

 

この方法では、当然ながら主義・主張が異なれば敵視し排除する動きしか取れず手法としてはレベルが低いと言わざるを得ない。

 

 

野党の方々は、まさにこの点を最大の問題として突いていくべきだと思う。

 

 

そして数の論理が絶対ではなく、数の論理には面従腹背の輩がほとんどであることを知らしめることである。

 

 

ところで、この調査を行った読売新聞の記者にはジャーナリストの気概をもった人はいないのだろうか。

 

 

時の首相が頻繁に会長と会食をするからといって、その権力者に都合の良い提灯記事や調査しか書く事ができないのだろうか。

 

 

この安倍首相の正面衝突を避け、気がついたら思惑通りに事が進んでいるという手口をこれ以上許してはならないと考える。

 

 

安倍首相が熟読せよと回答した読売新聞の記事は、「改めて憲法改正にかける思いを」だけであり、理由はよくわからないが、とにかく憲法改正をしたいという強い執着だけである。

 

 

そこには、今の憲法のどこが問題なのかという視点はなく、改憲がイコール目的なのである。

 

 

そして、とって付けたように自衛隊は違憲だという、これまで自民党がいったことがない指摘が唐突に飛び出す。

 

 

北のミサイルが新型の危険なものだとの煽りもこれに加わり、認知されていない自衛隊を認知してあげなければ不憫であるという意味不明の根拠を述べるだけである。

 

 

しかも9条はそのままで自衛隊を追加するという文章的にもおかしな、改憲の意見をお持ちの方々にも納得しがたい「おかしな日本語」というより条文の意味が矛盾したものに改悪しようとする。

 

 

これはもちろん、耳障りの良い言葉で改憲のフックにしようとしているだけであり、反論しずらい、自衛隊の記載を憲法に追加して認知してあげようという一見もっともらしい提案で、それをさらに野党からも改憲案を募ることで「民主的」に決めたかのような外観を担保として加えているだけである。

 

 

現行の憲法は自衛権を否定していないことは明確である。

 

 

従って、この部分の追記は不要なのである。

 

 

そしてもちろん、2020年のオリンピックは全く関係のない話だが、これはあたかもギャンブルで負け続けた人が一気に挽回しようとする感情を利用するのと同じで、ここしばらくの経済の低迷とか大企業のみ富んでいって若者や一般国民の生活が犠牲になっての出口のない閉塞感をたまたま目の前にあるオリンピックで生まれ変わるぞという、はかない希望を与え、それを憲法改正で実現しようという心理作戦だろう。

 

 

自衛隊をちゃんと認めようという耳障りの良い言葉とミサイルの脅威のセットで、「意識調査」でも53%が賛成という結果になるのである。

 

 

独自な思考から導き出された憲法改正ではない。

ちなみに同じ調査で憲法改正が必要と回答した方は47%なので、この見え見えのカラクリに気づいている方も少なからずいらっしゃると思う。

 

 

またアンケートは聞き方によって結果が大きく変わるのは常識である。

 

 

安倍首相は、改正案を各党に要請して論議を尽くしたかのような外形を作り、自分では広く深く意見を聴いてより良い憲法を創りたいなどとは決して考えていないと思える。

 

 

僕は今、一番重要なことは、憲法改正はなぜ必要なのか、どこをどう変えなければいけないのかを国民一人ひとりがしっかりと考えることだと思っている。

 

 

この点については、野党も与党も関係ないのである。

 

 

ただ、改憲については、「国民の生活が最重要事項ではない」と名言している稲田防衛相のような人で組閣されている内閣であることも忘れてはならないだろう。

 

 

安倍首相は読売新聞の記事が掲載される3日前の4月24日夜、読売新聞の渡辺恒雄・グループ本社主筆と会食していることも。

 

 

森友問題についても、何度も答えているとおっしゃっているが、あれでは答えになっていない。

 

 

森友問題を小事にこだわり大義を忘れるかのようにおっしゃる方がいるが、その方こそ問題の大小を理解していないか安倍首相を盲目的にか都合よくかわからないが支持し、そして勘違いをしているのである。

 

 

中国、韓国との関係もそうだが、僕たちはネットなどを通じたより草の根まで浸透した広く深い海のような場所におりていって、僕たちが望む世界について語っていく必要があるのではないだろうか。

 

 

20170515 by okkochaan