こんにちは、おっこちゃんです。

 

僕は今日、和歌山市のマサキ珈琲店がコメダ珈琲店からパクリだと訴えられて、店舗の使用の差し止め判決が出たことについて書きました。不正競争防止法違反ということらしいです。

 

しかし、そこでもちょっと触れたのですが、問題の株式会社ミノスケの坂田美之助社長が非常に魅力的な方だと感じ入り、それを伝えたいためにこれを書いています。

 

それは、坂田美之助社長が、あのコブクロを見出して世に出した人であるという、あまり一般には知られていないことを発見したからです。

 

その辺りの事情については、コブクロのofficial websiteに、坂田社長の談話として詳しく出ています。

 

おそらく、コブクロのファンの方はよくご存じなのかもしれませんが、僕はコブクロが大阪のストリートミュージシャン出身だということ以外は、知りませんでした。

 

しかも問題のマサキ珈琲店には、コブクロからの開店お祝いのメッセージのようなものも届いています。

 

僕は、この長い談話につい引き込まれて読みましたが、そこには、コブクロと全く偶然に仕事での飲み会の帰りに道頓堀で出会ったこと、一旦は行き過ぎて駅まで行ったけれども何か気になって引き返したこと、そのように引き返すようなことはしたことがないこと、コブクロが「桜」を歌っていたこと、その後、コブクロのために音楽事務所を作り、しかも10年以上たっても所属アーティストはコブクロのみであることなどが控えめに詳しく書かれています。

 

坂田社長は音楽プロデューサーでもなく、普段、特別に強く音楽に興味を持っていたわけでもなく、まさに偶然というか運命の出会いというか、そうした類のものであったことがわかります。

 

しかも、いかに社長でその時期、商売もうまくいって余裕が多少あったとはいえ、たった一回の出会い、それも少し酒が入っての出会いで音楽も素人でありながら、CDを作るにはどうすればいいかとか、手探りでコブクロのためにだけ行動するということは、なかなか出来ることではありません。

 

このような出会いは男女の間であっても実際には稀ではないでしょうか。むしろ無理にそう思い込もうとする無駄なあがきばかり虚しく残るようなことの方が多いのではないでしょうか。

僕は坂田社長の行動力を讃えるべきなのか、それに応えたコブクロを讃えるべきなのか、それともすべてをひっくるめて3人の運命の不思議さに畏敬の念をいただくべきなのか、全くわかりません。

 

もしかすると、コブクロはもともと力があったので、坂田社長がいなくても、他のチャンスをつかんで、遅かれ早かれ同じように成功していたに違いないと考える方もいるかもしれません。

 

しかし、その点については、僕は違うと思います。

 

何故なら、その夜だって、他に多くのストリートミュージシャンがいたわけだし、また実力がありながら運をつかめなくて辞めてしまった人々も多くいるに違いないからです。実際、名を成したミュージシャンでこれで最後にしようというぎりぎりのところで芽が出て今がある方々もたくさんいらっしゃいます。

 

こうした運をつかむのが勝負だとすれば、それは実力という点からすれば、やはり紙一重の違いでしかないのではないでしょうか。

 

僕は、ジンクスのようなものは信じないのですが、どなたかがブログで書いていましたが、坂田社長の誕生日は昭和29年5月6日なので、これを並び替えると、5296(コブクロ)となります。

 

コブクロのOfficial Websiteにある記事「ある三人の、とある10年」のURLをいかに貼っておきますので、ぜひ読んでみてください。

「ある三人の、とある10年」

 

坂田美之助さんは、コブクロの2人を実の息子、いやそれ以上にかわいがっているそうです。

 

こうした事情を知って、僕には、あたかも推理小説で犯人が決まり一件落着かと思ったときに、なんとなく違和感があり、真犯人は別にいると確信するような、よくあるストーリーのように、このマサキ珈琲店のちょっと聞いただけでは、単なる笑い話のパクリネタが全く別なように見えてきてしまいました。

 

これには、何かもっと別な深い事情があるのではないでしょうか。

 

また何かわかったらお知らせしますね。

 

20161228 by okkochaan