Originally posted 2017-12-09 22:10:49.

チャ、チャラッチャ、チャーラー!

 

ヤフーニュースによりますと野球の野村克也さんの妻の野村沙知代さんが、8日午後、突然意識不明となり救急車で病院に搬送されましたが、死去なさったそうです。

 

死因については、虚血性心不全とのことです。

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野村沙知代さんは、85歳、もちろん若いわけではありませんが、平均寿命までもいっておらず、何よりも入院などしたこともないぐらい健康だったそうです。

 

また克也氏と日課として夜レストランに食事にいっていたのですが、前夜も同じで、元気だったとのことです。

 

ただ、8日は昼過ぎまで二人とも寝ていて、若い方から見れば何いつまで寝てるのと思われるかもしれませんが、年を取るとこうしたこともよくあることだと思います。

 

ところで、めずらしくその日は沙知代さんが克也氏に手を握って欲しいといい、克也氏もめずらしことがあるなと思いながら手を握ったそうです。

 

その後、朝ご飯を食べるために起き上がったのですが、テーブルで突っ伏して救急車を呼ぶことになったようです。

 

「手を握って」というのが最後の沙知代さんとの会話だったそうで、克也氏は茫然として、「こんな別れってあるか」と気持ちの整理がつかないようです。

 

虚血性心不全とは簡単に言えば心臓につながっている冠動脈が動脈硬化などの原因で狭くなったり、閉塞したりして心筋に血液が行かなくなって起こる疾患だそうです。

 

特に普段は健康で、血管が塞がったりする予兆も気づかなければ、突然、死亡することがありますので、普段から食生活とか喫煙とかで注意する必要はあると思います。

 

しかしいくら留意しても、加齢によるものは、ある程度しかたがない気がします。

 

いかに健康に留意したといても、死は遅かれ早かれ必ずやってきます。

 

病気でなくて事故によって死亡することだってもちろんあるし、人と人との突然の別れは常にあり得ることです。

 

だから、僕は、健康への配慮以上に、いつでも、これが「今生の別れ」であるという気持ちで人と接することが最も重要ではないかとっ考えています。

 

「終活」というものが、テクニカルな問題についての準備であり、残された方々へ負担をかけないための活動だとすれば、それはもちろん意味があることではあります。

 

ただ、これにしても、僕はその人のおかれた状況によって、かなり変わるのではないかと思います。

 

もし経済的に豊かであり、家族にも慕われている存在であれば、財産分与の事と葬儀手配の希望があればそれをあらかじめ伝えておければ、終活は不要と考えます。

 

何故なら、その場合、残された遺族にとっては、葬儀準備など普段あまりなじみのない事をこなすことによって、悲しみを紛らわすことができるからです。

 

ですが、このような形は核家族が当たり前になりつつある現代ではむしろレアーな気がします。







例えば野村夫妻についてですが、子供も立派に独立し、夫婦ともに有名人であり財産もそこそこ築いて社会的には成功した人たちであっても、最後はたった二人で生活する「オシドリ夫婦」だったのです。

 

もともとは赤の他人だったのが縁があって結ばれ、長く夫婦をやってきているので、空気のようにお互いがいるのが当たり前と思っています。

 

ですが、突然に別れはやってきました。

 

こうした突然の別れに備えた心の準備をしておくことこそ本当に必要な終活ではないかと僕は思います。

 

では、その終活はどうすればよいでしょうか。

 

僕は、現在という時を、過去と未来から同時にとらえることを習慣的に行うことが大事ではないかと考えています。

 

たとえば、今日という日を、10年前と10年後から同時に距離をもって観るようなことです。

 

特に相手に対して感情的になったりしている時に、こうして距離をもってみることが非常に大事だと考えています。

 

そのことによって、あなたにとって、目の前にいる人が大事な人であれば、すぐに怒りの気持ちは失せるだろと思います。

 

そして、この世に二人しかいないような孤独感からも少しは解放されるかもしれません。

 

特に家族というものは、何かしら他人に見せるには恥ずかしいような思いを誰しももっています。

 

だからこそ、そこはプライベートな領域であり、かけがえのないものなのです。

 

10年前、10年後からの視点を持ち続けていれば、たとえ不意の不幸が起こり、あなたの方が生き残ってしまったとしても、相手はあなたのなかで生き続けているために、悲しみも静かな強いものとなるはずです。

 

いくら世間から注目された野村夫妻であっても、こうした事情は全く同じです。

 

いや、むしろ、世間一般に知られているだけ余計に二人で感じた孤独感は深いものがあったに違いありません。

 

かかあ天下だということですが、だからこそ先に行ってしまったのかもしれず、突然のお別れは後になって思えば、感謝の気持ちに変わるかもしれません。

 

つまり、長く入院して看病で疲れて、お互いの心に憎しみが生まれたりすることがなくてすんだからです。

 

野村沙知代さまのご冥福を心からお祈りいたします。

 

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20171209 by okkochaan