アフィリエイト 稼ぐ,パソコン 仕事,アフィリエイト やり方

ここでは、
「そもそも人に教えるのが可能なのか」ということについて、
日ごろ思っていることを
書いてみたいと思います。

これは、ブログアフィリエイトに限らず、
すべてのことに当てはまると考えています。

異常なくらいマインド強化から入るアフィリエイト

アフィリエイトの教材や
アフィリエイト関係のブログを見ると、
必ず重視しているのが、
マインドです。

これは、アフィリエイトが学校などと違って、
非常に孤独な作業が続くという
特殊な事情があるためです。

しかし、他の事を学ぶ場合に、
ここまでマインドが前面にでてくるものは、
ないと思います。

たとえば、スケートを覚えようと思って、
スケート教室に入ったら、
マインド論ばかりガシガシ詰め込まれるなどと
いう事は考えられません。

ですが、マインドはいくら正しくても、
教えることなどできるのでしょうか?

それは、アフィリエイトの場合、
成功体験としての話にすぎないのではないでしょうか。

学校教育の場合

多くの方は、学校に通い、
小学校から高校まででも12年間も授業を受けて学んでいます。


大学を入れれば16年間、幼稚園を2年、
留学や大学院を2年いれてみると、
なんと20年間
学校というところをメインに過ごしているわけです。

生物学的には、高等生物になればなるほど、
成人までの時間と期間が長いというわけなのですが、
それにしても、ため息が出るくらい長いです。

これこそ、人間と他の生物の
大きな違いなのかもしれません。

では、学校には何のために行くのでしょうか。

第一義的には、大人になって困らないように、
本を読んだり手紙を書いたりできるように
文字を教えたり、
消費税の計算ができるように算数を教えたり、
社会の仕組みを知るために、
地理や歴史を教えたり・・・

こう考えると、
少なくとも小学校は必要かなとも思うのですが、
はたしてそうでしょうか。

もし、その子の身近に、
ちゃんとカリキュラムを組んで、
基本を教える人がいれば、
問題なくできるのではないでしょうか。

トーマス・エジソンが
「なぜ?なんで?」があまりにも多く、
それはほとんど障がいがある状態に近くて、
小学校で見放されてしまった話は有名です。

結局、エジソンに基礎教育をしたのは母親でした。

エジソンの疑問の根底から
丁寧に根気よく説明したことにより教育はなされ、
エジソンの好きな科学の分野については、
母親が教えられなかったので、
一人で図書館で学んだわけなので、
独学といっていいと思います。

反証は一つあれば足りると思うのですが、
つまり、僕は学校は不要と考えているわけです。

「でも、それはエジソンが天才だったからではないですか?」

という疑問が浮かぶかもしれません。

確かに、エジソンのような、
すごい業績を残せるかどうかは
天才だからと言っていいと思います。

しかし、基礎教育をほどこすまでは、
最低減、誰かが観るとしても、
そこから先は、独学で十分に
できるのではないかと思います。

アフィリエイトの場合

こうした理由で、僕は、
ネットビジネスを学ぶにあたり、
塾にいく必要を全く感じません。

今やネットで学べないことのほうが少ないからです。

ネットビジネスに塾は不要と考えます。

個人的な体験

僕は今でも、はっきりと覚えていますが、
高校2年の時に、
もはや学校で学ぶことはないと
はっきりと自覚しました

高校2年といえば、
これから大学受験でいよいよ勉強が大変になるという時期です。

しかし、傲慢な態度に見えたかもしれませんが、
その自覚は、あまりにもはっきりしていました。

本心から、
「僕に何か教えられるという人がいたらお目にかかりたい」
と思っていたのです。

それにもかかわらず、
僕が大学に進学したのは、
僕を縛りつける第二の呪縛、
つまり、
家族から離れたいと強く思ったためです。

ここから、僕の考えはさらに発展し、
「そもそも人に何か教えることは可能なのか?」
という疑問を持つようになりました。

そして、それについての答えは出ていて、
それは、
「なにびとであろうと、人に何か教えたりすることはできない」
という日本国憲法みたいな結論になのです。

もちろん知識の単純な伝達や吸収を補助することを、
通常は「教える」というので、
その意味であれば、教えることは可能です。

しかし、知識については、
自分から主体的に調べたりすることにより、
ほとんどの知識は得ることができるし、
そうしたほうが身につくものだと思います。

僕は何かを教える時に、グーグルで調べて、
そのURLを送るようにしています。

グーグルで調べる習慣がない方は、
人に聞くしかないわけですが、
ネットビジネスをやろうとしているのであれば、
いわゆる、「ググる」習慣は、
真っ先に身に着けるべきものだと思います。

ただ、調べ方がわからないとか、
わからないことがわからない場合は、
情報の取捨選択が出来るようになるまで、
整理して提示してあげています。

それは、四則演算もできない人が、
微分積分の勉強をしたりしないように、
注意してあげるようなことでもあります。

今、その人に不要な情報というものが、
残念ながらありすぎるのです。

そこで、教材という方向をぶれないように
定めるマップは必要だとは思います。

しかし、これも、きちんと努力していれば、
いずれはわかる事です。

「教える」というほどのものではないと思います。

こうした理由で、僕は、
人にものを教えるという事はあり得ない
と考えています。

あるのは、
人に教えているという錯覚と、
教わっているという錯覚、
それだけです。

賢者からの証明

私の知る限りでは、仏教はこのことに当初から気づいていました。

ゴータマ・シッダルタ(ブッダ)は、
覚者となり悟ったときに、
そのまま入滅しようとしました。

マーラ(悪魔)の勧めがあったからではありますが、
仏伝によれば、かなり心も動いたとされています。

それは、
自分の悟りを言葉で伝えることが、あまりにも困難であり、
自分の境地に達するように教えることは不可能だと考えたという説もあります。

しかし、天子たちが
「人間であるあなたが、ここまでの悟りを開くことは実に稀なことです。
ぜひ、あなたの教えを広め衆生を救ってください。」と説得したといいます。

ブッダは経典を残しませんでした。

これはキリストもマホメットも同じです。

我が国でいえば、親鸞もそうです。

ここから私たちは何を知るべきでしょうか。

僕は、もっとも重要なことは、
体験的に伝える以外できず、
言葉にできない、
あるいは、
言葉にした瞬間に意味が変わってしまうと考えています。

僕にはネットビジネスでただ一人、
師とあおいでいる人がいます。

しかし、その方は突然サイトを閉鎖されてしまいました。


でも僕は、その師から、自分だけが頼りであることを
確かに教えてもらいました。

僕がもし、将来、人に何か教えることがあれば、
真っ先に、このこと、つまり、
人に何かを教えることは不可能であることを
教えようと思っています。

20181208 rewrited by okkochaan