大阪地検は森友問題での登場人物である佐川前局長を不起訴とした。

 

理由は証拠不十分および文書改ざんはあっても主要部分は変わらず内容に間違いがあるわけではないという理由だという。

 

まさに、これを受けて待ってましたとばかりに財務省は佐川氏および文書改ざんに関係した職員20名を処分するという。

 

一体、どうしてこんなことになっていくのだろうか。

 

国の文書を書き換えて、国の信頼が根底から問われているのに刑事告訴の対象にはならないことだけでも驚きだが、それに呼応して財務省が佐川氏および文書改ざんに関係した職員20名を処分するねらいは、それによって文書改ざん問題と森友問題に幕引きを図ろうとする意図は見える。

 

だが、これに違和感をもつ国民は僕だけではないと思う。

 

佐川氏は国会で嘘の答弁をして何を守ろうとしたのか

確か自由党の森裕子議員だったと思うが、昨年、佐川氏が国会で答弁している時にこんな会話があった。

 

(頭の悪い僕でもこの程度は覚えているので、頭の良い方が記憶にないといったりするのが理解不能なのだが。)

 

記憶を頼りに書くので、言葉は正確ではないがこんな感じであった。

 

森議員: 「そうやって政治家をかばっていても、権力者というのはいつかは交代しますよ。その時、新しい権力者はあなたを守ってくれませんよ。」

 

佐川氏: ・・・

 

この時、佐川氏は目をパチクリさせて、まるでびっくりした子供のような顔になったことを僕はよく覚えている。

 

佐川氏は明らかに安倍晋三首相をかばおうとしていたと僕は思う。

 

だが、この国会答弁が安倍政権に評価され、佐川氏は国税庁長官に昇りつめる。

 

そして今年の確定申告で多くの国民の批判とか国会前や各地の税務署前でのデモがあったのは記憶に新しい。

 

その後、国会に混乱を招いたという理由で自ら国税長官を辞任、そして国会の証人喚問は「刑事訴追を受けている身なので」という理由を50回ほど繰り返す中身のないものであった。

 

野党は佐川氏はすでに刑事訴追を受ける身ではないので、改めて国会に証人喚問することを求めている。

 

佐川氏は安倍首相を守ろうとしたのだろうが、最後には見放され、そして今や古巣の財務省から「処分」されることとなる。

 

佐川氏の退職金は約5000万のうちすでに20%はひかれているので、4000万、これに「処分」がくわわる。

 

ちなみに、この処分という言葉はよく使われるが、何か物を処分するという語感があり、僕は好きではない。

 

退職金は、少ない金額ではないが、国税庁長官まで上り詰めたことを考えるとすごく多いというほどでもない。

 

最近、僕は佐川氏も犠牲者に見えてきてしかたがない。

佐川氏も処分対象の20人も柳瀬氏も本当のことを話したらどうか

野党側は次々と現れる証拠書類などで攻勢を強めている。

 

麻生財務大臣はもっと多くの資料が出てくる可能性まで言っているが、かつてあれほど佐川氏を優秀な人材といいかばっていたことを考えると、大がかりなトカゲの尻尾切りにしか見えない。

 

かつて太平洋戦争が終わり、戦犯が叩かれる様子をみて、かの太宰治は、最後に船に乗った人のせいで船が沈み、すべてをその最後の人の責任にするという世の中の風潮を非難していた。

 

かくして、森友学園とか加計学園については、何が起こったか、すべてはやぶの中ということになるのだろうか。

 

僕は安倍首相こそ百歩譲って全くかかわっていなかったとしても、首相として国会に混乱をきたした責任は重いと考える。

 

安倍首相を支持する方々は、野党がいつまで森加計問題をやっているのか、もっと重要な法案がたくさんあるではないかと非難する。

 

しかし、何が本当であるかわからないままに、立場を超えて法案とか外交の問題とか働き方改革のこととかを進めようといっても無理があると僕は思う。

 

残念なことに、安倍首相の膿を出し切るとか誠意をもって丁寧に対応とかは、なされていないし、調査によると国民の7割はそう思っているそうだ。

 

働き方改革法案を衆院で強行採決し、数の論理で押し切ることが、より政治への不信感を醸成していることに気づく日はくるのだろうか。

 

おそらくは来ないだろう。

 

そうなると、あの日大の宮川選手のように勇気をもって事実を述べる人が出てくるしかないのかもしれない。

 

ムラを離れる恐怖

日本人は狭いグループ内の価値観で動くけれども、そこにはムラ(村)を離れることへの恐怖がしみついているからだと僕は思う。

 

会社、大学のつながりなど、上下関係が確立しているところから離れることは死を意味すると本能的に感じているのだ。

 

そのことが、物事の正否よりも優先される。

 

離れることが出来るのは、自らムラを形成する力がある者に限られる。

 

実力者はムラを離れて、また新しいムラを作る。

 

力のないものは、自らのスキルとかで単独で暮らすことも出来ないので、自分がいるムラがどこなのか、そのムラのなかで、自分の位置はどこなのかということを異常に気にする。

 

これは、日本人が残業を好むことにも現れている。

 

また最近の事件で言えば、日大アメフト部員の声明文にも現れている。

 

そこには不必要な折衷案ともいうべき表現が、あんなに激しいスポーツをやっている方々から出ているのかと思うほどでていて、失望した人も多いと思う。

 

国会では政党という名のムラがある。野党にしても、同じような状態であるのかもしれない。

 

つまり日本人はこの点では全く自由ではなく、ストレスフルである。

 

現代は村八分になって差別されるようなことはないのだから、一人でも多くの方が、自分の内心の声に従って発言し行動するようになって欲しいと僕は思っている。

 

その時、初めて自分の目の前にいる人や組織と対峙できるのではないだろうか。

 

20180602 by okkochaan