先日、残業についての日本人と外国人との一般的な違いについて、外資企業を引き合いに出して比較する記事を書きましたが、もしかすると、僕が外国のものが良くて日本は悪いという風に考えているととられると思いました。
そこで本日は、種苗法の改正について書き、グローバル化ということが日本にとってどのような意味があるのか、デメリットはないのかとか、これから日本人として大切にしていかねがならないことがどのあたりにあるのかということについて書こうと思います。
それは別な言い方をすれば、すべてが権利とそれを守る法律とか契約によって守ろうとする形態が、日本でどれほどなじむのだろうかという疑念でもあります。
種苗法の改正案について
確かに労働問題について言えば、海外のように自分の仕事が何かが明確に定めてある方が安心できるし、その義務を果たすことで報酬も規定されているわけだから明確ですばらしいと思わざるを得ません。
しかし、一方で、雇用を重視し、人を採用することで可能な限りその人の能力を生かす方式のほうが僕も日本人なので、感覚的にはずっとなじめることです。
もちろんそこには問題もあり、その一つのあらわれが残業という形になっているのだと思っています。
グローバル化について、その人の経験とか仕事とかによって認識は異なると思いますが、一般的な理解の水準からすると、想像以上に進んでいると思って間違いないでしょう。
そこで、現在、政府が進めようとしている種苗法の改正ですが、これも簡単に言えば、郵政民営化が外資金融にとっての最大の障壁であり世界最大の預かり資産をもっていた日本の郵便貯金を破壊するためになされたと同様に、生産農家が自ら種子を保存し翌年にそれによって作付けすることを原則禁止するという方向で進んでいるものです。
確かに海外ではすでに種子については徹底管理が行われており、日本のイチゴが韓国で盛んに栽培されても何も言えないような状況を防止するには必要であることはわかります。
ただ、栽培農家が自分で種を保存して翌年作ることまで規制されてしまうことに、僕は抵抗と危惧を同時に感じてしまうのです。
種苗法の改正案は世界標準に合わせての動きともいえるので、世界がインターネットで結ばれ情報という意味では、アメリカのニュースが国内のニュースと同じように報じられる以上、当然の帰結としての流れなのでしかたがないことなのでしょうか。
しかし、どうしても何かひっかかるものがあります。そう考えて納得してしまうのはちょっと早計ではないかという声が僕の中からも聞こえてくるのです。
ところで、グローバル化とは生活感覚としては、どのようなことなのでしょうか。
それは、体の良い個性のないどこにいっても同じという安心感がある反面、つまらないことではないでしょうか。
例えば、僕はあまり遠くに旅行をしないのですが、どこの町にいっても、同じようにチェーン店の薬局があり牛丼屋がありコンビニがあり回転寿司屋がありでそこだけ見ると自分の知ったなじみのお店があることで安心する反面、特徴がないし、どこに行っても同じだという感じがすることも否めません。
そして最終的に儲けているのは、その町の人ではなく、そうしたチェーン店を経営する企業であることを思い、地方の疲弊と高齢化を思うと将来に対してあまり明るい気持ちが抱けないのです。
ちょっと別に書かなければいけませんが、種子法についてはすでに4月1日時点で廃止されています。
種子法(正確にいうと主要農作物種子法)とは、戦後の日本で、コメや大豆、麦など主要農産物の種子の安定供給を支えてきた法律です。
こうした主要農産物は公共の資産であるので、国や地方行政が主体となってその開発や維持にお金を出して援助するという内容でした。
考えてみると、太古の昔からコメについては、僕たちの先祖が必死に守り育ててきたものです。
これが将来的に民間にゆだねられグローバルな市場の競争原理のなかに放り込まれることに不安を感じる人は多いと思いますが、僕が懸念するのは僕自身も含めてですが、こうした政府の動きについて知らない人が圧倒的に多いことなのです。
こうして種子はすべて登録される形になり、それによって開発者の権利が守られることにもなるのですが、その権利者がグローバル企業になる可能性も高いわけです。
自家栽培による種の生産を原則禁止とする種苗法の改正案とともに、日本の食がどうなっていくのか心配でなりません。
自由競争とグローバル化
こうした懸念が全くの杞憂であると主張する方も、もちろん多数いらっしゃいます。
僕にはTPP同様、ことはそれほど簡単ではなく、また2者択一のような単純さもないことは理解できます。
変化に反対するのは人間の常ですし、どちらの道が好ましいのかは、正直言ってよくわかりません。
ただモノによっては、自由競争をさせることが必ずしもいい結果にならないとは思っています。
競争原理が働けば、徹底的なコスト管理、効率管理が競争に勝ち抜くために求められます。
その結果、消費者の一人としては知らないうちに、「作られた味」を食べさせられることになります。
思いつくことを書くと、例えば、昔はニンジンはもっとまずかったし、トマトはもっとすっぱかった記憶があります。
キュウリももっと、特徴のある味を出していたと思います。
これらは、害虫に強く生育が早い、もしくは収穫期が長いとか、たくさんできるとか生産者の効率を求めて作り替えられてきました。
もはや、僕たちは記憶のなかでしか、そうしたトマトやニンジンの味はないわけだし、そもそも30代以下の年代の方は初めから知らないのではないかと思います。
それから、僕は最近、ある安いチェーン店の味に本当に飽きてしまって、少し時間をおいて大丈夫だろうと思って行ってみても、やはりおいしくないんですね。
チェーン店で食べられる食材で、その多くが効率を求めて一斉に大量加工されたものを使っているようなところは、どうしてもこうした点がみられます。
もちろん、それによって安くて決してまずくないものを食べられるので、悪いばかりではなく感謝しなければならない面もあるのですが、味に飽きてしまうのだけは、どうしようもないのです。
常においしいものを食べたい僕としては、コメだけをとっても、決して飽きさせないものを、いろんなところで作って欲しいと願っているだけです。
もっと実生活から観察しよう
僕は、この問題に結論は出せませんが、一つ提言するとすれば、種苗法だとかグローバル化だとかに、あまりにも無関心な方が多いことが残念でなりません。
ほんの少しでもいいので、自分の食とか食材とかに興味をもっていただければと思っています。
食事の時に、おいしいのかまずいのか、とか、トマトを育ててみるとか、料理をしてみるとか、そんなところから始めるのが大事ではないかと思っています。
個人的には最近、初めてぬか床を作って、初めて見ましたが、実はこのぬか漬けは、現在、スーパーではほとんど売っていないそうです。
つまり、ぬか漬けを食べるためには、自分で作るか貰うかしなければなりません。
また先日、母の日がありましたが、あのカーネーションも地植えして勝手に繁殖させてはいけないらしいです。
食材や花とかの豊かさは、僕には人生の喜びとイコールなので、これからも注意してみていこうと思っています。
20180523 by okkochaan