こんにちは、おっこちゃんです。
これから、電車優先席マナー法律かということについて書くのですが、これには前段があって、それは僕の今日の出来事と関係があるのです。

 

今日は東京から2000キロ飛んで、沖縄にやってきました。

 

眼下に富士山を見ることは、新鮮な驚きでしたし、これまでの生き方と今後を考える上でも、とてもモチベーションがあがりました。

 

mt-fuji-20161125

那覇には夕方ついて、それから2時間近く車を走らせ、やっとついたホテルの駐車場がいっぱいで困っていたら、警備のおじいさんの優しく親切な人柄と気遣いの細やかさにふれて、なんて沖縄の人はいい人なんだろうと思いました。

 

沖縄といえば、米軍基地をめぐっての紛争が続いていますが、この警備のおじいさんの優しさと人懐こさは、僕には新鮮であまり東京近郊で経験したことがない性質のものだったのです。

 

やっとホテルの部屋に入り、これから出かけて食事するのも面倒なので、ホテルのバイキングでめいっぱい食べまくり、ようやく落ち着いてニュースをみたら、電車内で、お年寄りの男性と優先席に座った男性が口論している動画が「You Tube」に投稿され、話題になっているという記事を読みました。

 

正直言って、この手の話題はだいぶ前からおりに触れて話題になっているので、スルーしようと思ったのですが、こんな話がSNS上で話題になることに、不思議なひっかかるものを感じました。

 

この30秒あまりの投稿の意図はよくわかりませんが、内容はあまり気持ちのいいものではありません。

 

電車の優先席に座った若い健康な男性の前にお年寄りの男性が現れ席を譲れというのですが、電車優先席の前に立ったお年寄りの男性が指をさしながら、座った男性に文句を言っている。

「日本語通じないのか」(お年寄り)
「もう1回言ってみろよ」(男性)

以下似たような問答が数回繰り返される。

動画を見ることによる臨場感は特別なものがあり、話題になった一因だとは思います。

 

ですが、やはりこの動画の投稿者はなぜこれをアップしたのか全くわかりません。

 

このケースについていえば、おそらくはお年寄りの男性の傲慢な態度に腹をたてての投稿かと思われます。

 

そして、これがSNSの怖いところだと思いますが、動画をアップするだけしておいて、それについての明確な主張はなく、ただ話題を呼んでの炎上があるだけ、となると目的は単なる炎上かもしれないです。

 

再生回数のみが投稿者の興味であって、この席を譲らない若者の行為への賛否、傲慢とも思えるお年寄りの男性の行為への賛否、それらの議論が進めばすすむほど、再生回数が増えて狙い通りということかもしれないと思うので、あえてその動画のURLも貼りません。顔も出ているようなので、やらせでなければ、勝手にSNSにだすのはどうかと思います。

 

で、この電車優先席マナー法律かという点についていえば、マナーのようですが、しかし法律というものは、かならずしも明文化されていない場合もあることは知っておいたほうがいいと思います。

 

これとは別に、鉄道会社のほうでもだいぶ前から、優先席の設置については賛否両論があり、今に至っているようです。

 

なぜ優先席があるか?これは誰でもわかるとは思いますが、念の為にいえば、お年寄りや体の不自由な方、妊婦の方に席を譲って欲しいという願いがあるからです。

 

では、これは誰の願いなのか?狭義では鉄道会社の願いであり、広義では人としての願いだと考えます。

 

人間には誰しも弱いものをいたわろうという心があるはずだ、あるいはそうでなければならないという願いがあるからです。なぜなら、それがなければ、人間は単に弱肉強食の動物に過ぎなくなってしまうからです。

優先席については、たいていの方は何がしかの意見や思い、経験があるのではないでしょうか。

 

僕自身が最近思うのは、気のせいか優先席は他の座席に比べてきれいに見えます。つまり、絶対的な使用頻度が他の座席よりは少ない、すなわち電車がすいている時にあえて座る方は少ないのではないかなと思っています。

 

現に電車にのって、他の席は埋まっているのに、優先席のみ空いているケースはしばしばありました。

 

ここで、座りたいけど座ろうかどうしようかと悩んだことがある方が実際にはほとんどではないでしょうか。

 

僕の場合は、ケースバイケースで、座ることもあれば座らないこともあります。体調や乗車時間にもよります。

 

とにかく気になる優先席、そしてマナーはとなると余計なことに気を遣うくらいならいっそ、ない方がいい、従って優先席をなくそうという意見も十分に理解できます。

 

しかし、これからの高齢化社会、判断に迷うストレスになるのが優先席なのかもしれないですね。

 

例えば、80歳を過ぎても健康なかたは60歳の弱ったかたに席を譲るべきかもしれませんが、基準が見えずどうしたらいいか困ってしまうということが、今後、多発するような気がします。

 

優先席をなくしても、互いに声をかけあい、お年寄りや体の不自由な方、妊婦の方に自然に席を譲ることができるような社会であり、逆に例え健康な若者に見えても体調が悪かったりして席を譲ってもらうことができるような社会であればいいなと、僕は思っています。

 

今日、僕は富士山を見、沖縄の人の優しさ気遣いの細やかさに触れ、自分も含めた殺伐とした社会に少しでも楽しい笑いがあればと願いました。

 

それは、決して難しいことではなく、ひとりひとりの心のなかにあることではないかという思いを強くしたしだいです。

 

僕には僕のための優先席はないと思うし、弱っているかたを見たら声をかけてあげたい、たとえ「私はまだそんな年じゃないと叱責されたとしてもいいと思っています。

 

また僕の尊敬するお笑い芸人の方々が、こんなつまらなくて恐ろしい動画など見向きもしなくなるような、笑いのうちに観た人々の心に優しさ気遣いを芽生えさせるようなコントを創っていただけたらなと思ったりしました。

 

僕自身も、そのような作品やブログを書きたいと思っています。

 

20161125 by okkochaan