僕は人材派遣の営業の仕事を始めたとき、営業も未経験だったしテレアポだとか飛び込み営業だとかが嫌でしかたがありませんでした。
実際に、スーツの内ポケットに退職願をしのばせて提出寸前までいったこともあります。
確か、3週間ぐらいは退職願を持っていたと思います。
結局、退職願は出さず、それどころか営業として良い成績を出すこともでき、トップセールスになることが出来ました。
全然別な意味で、あの時、退職していたら自分の人生はどうなっていたろうと考えることはあります。
たいして変わらなかったかもしれないし、全く予想もつかない人生になったかもしれません。
しかし、僕は、あの時、辞めなかったことが良かったとも悪かったとも思っていません。
この記事は、当時の僕と同じように、人材派遣の営業がつらいと感じている方に読んでいただければと思って書きました。
参考になるかどうかはわかりません。
ただ、ささやかな体験談としてお読みいただければと思っています。
営業が嫌でうつ状態
時代は、派遣法が成立して間もないころです。
その会社もいまでは大手派遣会社になっていますが、当時は、今風に言えばベンチャー企業だったと思います。
営業手法はトップダウンで、とにかく数を当たるということでした。
つまり、テレアポを取りまくり、訪問をしまくるという体力勝負です。
そんな環境なので、テレアポが嫌だとか飛び込みが嫌だとか言える状況ではありません。
商材は、人材派遣ですが、当時は、人材派遣について一般企業は仕組みをご存じない企業も多く、派遣制度についての説明も必要でした。
年功序列で新卒から育てるという企業文化も強く、人材派遣を受け入れる抵抗も強かったのです。
僕の場合は、テレアポも飛び込み営業も嫌だったのですが、しかたなくやっていました。
しかたなくやっていたので、成績などあがるはずがありません。
ひそかに転職活動もしていましたが、希望通りの転職先は見つからないでいました。
仕事が嫌で、転職活動もうまくいかず、僕は行き場がない状態でした。
僕は心身ともに病気のような状態になり、普段あまり気にしない家族でさえ、心配してくれるようになり、そんなに嫌ならやめろとまで言われました。
現実逃避で読んでいたJapan Timesが突破口になった
上記の状態で、邪魔をしていたのは、僕の変なプライドだったと今はわかります。
営業をして断られることが、頭ではわかっていても、自分の人格まで否定されたような気になり、電話にせよ訪問にせよ「まねかねざる客」であることに耐えられなかったのです。
僕は、転職活動に見ていた、Japan Timesの求人欄を営業先を探すふりをして会社でも見るようになりました。
しかし、僕は英語が得意ではありませんでした。
Janan Timesに求人を出すのは外資系企業か、そうでなくとも、英語がある程度できる人とか英語圏の人を対象にしていたので、英語ができない僕の転職もうまくいくはずがないのでした。
それでも、むきになってJanan Timesを読むふりをしていたのは、僕の悪しきプライドだったのです。
つまり、「営業はできないけど、英語はできるんだぜ」と言いたかったのだと思います。
ところが、Japan Timesに何が書かれているかなど、実は、ほとんどわからないのでした。
こんな滑稽な猿芝居を会社で続け、営業に行くふりをして外出し、散歩して戻ってくる状況が続くはずがありません。
ただ、そんな状態でも当時の上司に叱られたり指導された記憶も全くありません。
あとでわかったのですが、その上司も新規営業が全く出来ない人であり、僕が新規営業のしかたを教える側に回ったのですが、当時はそんなことは知る由もありませんでした。
そして、ある時、気づくのが遅かったのですが、このJapan Timesの求人欄を営業すればよいのではと思いました。
そして、Japan Timesで求人をしている企業にDMを送り、テレアポして訪問することを始めました。
そして、ある日、妙に躁状態になっていた時に、英語で電話をかけることを思いついてやってみたところ、これが効果抜群だったのです。
テレアポでの受付突破は、日本語が全くわからないふりをして英語で話し続けると、いとも簡単に担当につないでくれるのでした。
相手が外国人でしどろもどろになったことはありますが、多くは日本人が担当なので、担当が出たら日本語で話せばいいだけでした。
担当も実は英語が出来ない場合も多く、僕が英語で電話をかけたことを非難されることはありませんでした。
もしかすると、その方も、社内的には英語ができることを売りにしていたのかもしれません。
こうして、僕はいとも簡単に新規顧客を得ることが出来るようになりました。
Japan Timesに求人を掲載する企業は、すでに会社の重要なお客様であったことも多く、担当支店からクレームされたりすることはありましたが、大した問題ではありませんでした。
これは、例えば、「日本〇〇」という外資系企業の日本名が、Japan Timesでは、「〇〇Japan」とかなっているので、よくわからなかったからです。
その頻繁にクレームしてきた女性支店長は、その後、僕の上司となり、完璧な飲み友達となりました。
新規営業をしないのに新規取引顧客数は常にトップだった
その後、新しい手法を加えたりして、僕は新規営業をあまりしないのに、新規取引顧客数は常にトップという馬鹿馬鹿しいような状況になっていきます。
僕は今更ながら、営業と称して外出しながら、仕事などしていないのが普通なんだと思ったのです。
このことは、その後、僕が訪問件数を数多くこなすのが営業の本筋だと考えなくなった理由でもあります。
(念のため言いますが、当時のメンバーは今では想像もできないくらい個性的ですばらしい人ばかりでした。それについては別に書こうと思います。)
Japan Times以外で、新規顧客をどのように得ていったかについて簡単にお話します。
1.顧客からの紹介
これが一番多かったです。
特に大手企業の子会社の派遣会社から、対応できない案件とかについては、マージンもなく、完全に丸投げしてくれました。
しかも、その企業に同行までしてくれて紹介してくれるので、その会社からは絶大な信頼を得ることが出来ました。
また新規で営業した企業の担当が、友達と飲みながら、人に困っていることを知り、僕を紹介してくれたりもありました。
大手の証券会社では、その会社から外資系証券の社長や会長として転職した人が多くいて、いきなりそうした方々を紹介してくれたりしました。
総じて、僕の場合は、年配で年上の男性担当者に好かれる傾向がありました。
僕の仕事は、時々、ランチタイムを狙ってその会社に行き、ランチをおごって貰ったり、そのあと、一緒に散歩をしたりするぐらいでした。
ここでのポイントは、遠慮せずに失礼のない範囲で、言いたいことを言う事です。
また相手のためになることや困っていることに気づいて、痒い所に手が届くぐらいにフォローすることです。
2.上場企業の株価が上がった時にテレアポする
だんだんテレアポも全く問題なくこなせるようになったころ、僕は、上場企業に電話するタイミングをその会社の株価が上がった時と決めて、株価が上がった要因を新聞などで把握したうえで、電話をしました。
これまた、面白いぐらい簡単にアポイントがとれました。
電話をして、株価が上がったことを話題にし、その会社をほめちぎるという方法ですが、相手も悪い気がするはずもなく、一回の訪問で取引に結び付くことも多々ありました。
3.他の営業が嫌がる面倒な顧客を担当する
よほど英語のテレアポが効いているのか、本当は、英語などたいして出来ないのですが、僕はなんとなく英語ができる人ということになってしまいました。
その結果、少しでも英語がからむ案件のほとんどは僕に回ってきました。
また、他の営業が嫌がる面倒な顧客についても、なぜかそうした難しい顧客は僕に頼めという流れが出来てしまい、僕が担当することになりました。
以上で、僕は毎月の新規取引顧客数でも、売り上げでも、常にかなりの上位をキープできるようになりました。
その後のこと
上記の流れで、仕事も会社も楽しくてしかたがなくなり、どうして休日なんてあるんだろうと思うまでになってしまいました。
始めたときに、テレアポも飛び込み営業も嫌で仕方がなく、退職願を懐に入れていたことを考えると、信じられないぐらいの変化です。
もちろん、こうしたことは自分ひとりでできたわけではなく、月並みな言い方しかできませんが、上司や同僚の力も本当に大きかったのです。
その話は、月並みな話にしたくないので、別な機会があれば書こうと思います。
ただ、お客様が増えるにしたがって困った問題も起きてきました。
その会社はエリアに全く関係なく自由に活動できたので、いつの間にかいろんな場所にお客様が点在するようになってしまったのです。
この問題を解消するために、他の支店と顧客の交換も試みましたが、うまくいきませんでした。
気がつけば、山手線のほとんどの駅、総武線の西葛西までのすべて、船橋、千葉、川崎、横浜、長野までお客様が存在するようになってしまいました。
おまけに、当時、力を入れていた外資系の金融機関から凄まじい数の依頼がきて、毎朝、個別に催促されるような状況です。
ちょっと面白い話かもしれないので、紹介するとこんな感じです。
まず、電話をしてくるときに、会社名は名乗らず、苗字を言うだけです。
彼女からすれば、自分のことを知っていて当然という態度です。
実際、僕の周囲20人ぐらいの人たちは、全員彼女が誰かわかるようになっていました。
そして、僕が電話にでます。
「あーら、〇〇さん。〇〇です。ちょっとオーダーの整理をしたいんだけど、いま依頼しているのが何か言ってくれる?」
僕が端末を確認しながら、少ししどろもどろに答えます。
それに対して、彼女は、その中で、人選しなくてよいものと最優先でして欲しいものをテキパキと伝え、人選状況をチェックします。
人選が出来ていないと話すと、
「私、こまるのよねー、こまるのよねー」
とあくまで、主体は「私」において、
「なので、今、とにかく優先して欲しいのは、セクレタリーよ。
セク、セク、セク、セク、セク、セク、セク、セクよ!」
と言って、電話を切ります。
毎朝のことなので、最後のころは、受話器から耳を離していました。
こんな調子ですが、この外資系の金融機関のおかげで、毎月、僕も表彰され支店も表彰されているので、優先せざるを得ません。
なお、その後、彼女はこの会社に派遣デスクを置く提案をしたときに、いろいろと有益なアドバイスをしてくれました。
もともと派遣社員から始めた彼女でしたが、その後、世界的に大きな銀行の人事部長になりました。
こうした外資系のお客様とのやり取りを通じて、僕は外資の風通しのよい社風や、はっきりと物を言うし仕事もできる女性担当者との仕事がとてもやりやすく感じるようになりました。
ただ、お客様が山手線のすべての駅にある状態の僕は、真剣に自分が分裂して二人いればいいと考えるようになりました。
営業ではありながら、外出することは多くの機会損失を伴います。
なので、もう一人の自分にあまり頭を使わないでいい外出先での仕事を頼めればと思ったのです。
このころから、僕は営業は無意味な外出をするべきではないということを確信するようになり、今でもそう考えています。
僕は、営業が外出して安心するのは、管理する上司ぐらいで、実際には非常に非効率な動きだと思っています。
ただ、この問題は最終的には、僕の異動により解消されました。
多くの営業にあちこちのお客様を引き継ぎましたが、残念ながら、うまくいかないケースも多かったように思います。
当時の上司は、僕のお客様を分割する会議で、まるで僕が死んで、遺産相続で争っている場に立ち会ったかのように、その状況を悲しんでくれました。
この上司から学んだことは、非常に多くあるのですが、かなりの変人で、社内であまり良い話も聞かない人でした。
その変人である上司には、ある時、飲みの席で、「僕は自分のことを普通の人間だと思っています」と言ったところ、笑い出して、「誰が見ても、お前は変わっているよ。自分は変わった人間だと自己認識を改めた方がいい。」と真面目に言われたことがあります。
また別な機会に、「お前は営業を極めた」とまで言われましたが、最高の誉め言葉だと今でも思っています。
しかし、僕は自分が常識的な判断を重んじる、ごくごく普通の能力の人間だと思っています。
最後に
僕は、営業に自信がない方、辞めたいと思っている方に向けてこの記事を書きました。
テレアポも飛び込み営業も嫌で仕方がない僕でもできたのだから、出来ないはずはないと思っています。
それと、転職するにしても、今の仕事にプラスの考えをもったうえでして欲しいと思います。
しかし、もしかすると、自慢話になってしまっていないかと心配です。
人材派遣の営業については、ブラックな仕事だという意見も多いので書いたのですが、もし、営業で悩んでいる方がいらしたら、相談にあずかります。
この記事のコメント欄か、自己紹介にあるメールアドレスあてにお気軽にご連絡ください。
お読みいただき、ありがとうございました。
関連記事
20190129 by okkochaan