レジ袋を有料化にすることにどんな効果があるのか
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ニュースによると実施時期が不透明だった、レジ袋の有料化が2020年7月から実施されるとのこと。

 

これについては効果も含めいろんな意見があるけれども、プラゴミの削減として、どうしてレジ袋ばかりいつも標的になっているのだろうと素朴な疑問を持つ方もいらっしゃると思います。

 

またサービス業の側(主にコンビニなど)からはお客に不自由をかけることでの客離れを懸念する声もあります。

 

ここでは一歩離れて現在起こっていることを解説し、今後の時流を探り、また日常生活に直接影響することを生活者の一人として考えてみたいと思います。

 

レジ袋を有料化にすることにどんな効果があるのか

 

レジ袋を有料化にすることには、直接的な効果は薄いけれども付帯効果は期待できると考えます。

 

レジ袋はプラスチック製品の2%ぐらいしか占めていないので、仮に全廃できたとしても、その効果はしれています。

 

同じプラスチックでできた製品で身近なものを割合の高い順にいうと、お弁当やお菓子の容器、ストローなどが7割近くを占めて最上位です。

 

次いでペットボトルの約15%が続きますが、ペットボトルは有用性も高いうえに、リサイクル化が容易であり、実際に日本のペットボトルのリサイクル率は9割を超えて世界にも誇れる数字を出しています。

 

結局、効果面を考えると、いろんな商品の容器として使われているプラスチックをなんとかしないことには、直接的な効果は薄いといえます。

 

プラスチック問題に最も熱心に取り組んでいるのは、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンなどのヨーロッパ諸国です。

 

それに対し、アメリカや日本は、G7での海洋プラスチック憲章(Ocean Plastics Charter)への署名を拒否しています。

 

ちなみにプラスチックの排出量でみるとアメリカが1位、日本は2位につけています。

 

日本とアメリカが海洋プラスチック憲章への署名をしなかったのは、産業界からの圧力を考慮した内政的な政治判断ではないかと言われています。

 

ちなみに今回のレジ袋の有料化についても、レジ袋の生産をしている会社からは悲鳴があがっています。

 

こんな2%のレジ袋ですが、実際に有料化にしてどんな効果があるかを考えてみます。

 

プラスチック問題についての意識改革

 

プラスチック問題については、知れば知るほど深刻な問題であることがわかります。

 

海洋プラスチック憲章の海洋プラスチックの問題について、簡単に解説しますと、放棄されたプラスチックは最終的に海に流れこみ、そこで1mm以下の眼に見えない微粒子になります。

 

これを魚が食べ、その魚を人間が食べます。海にはエサが少ないので、魚は好んでプラスチックを食べるのです。

 

プラスチックそのものに毒性は確認されていませんが、問題は、プラスチックと油など毒性があるものとの親和性が高いので、毒がプラスチックの微粒子に付着するため、これが悪い作用を及ぼします。

 

ちなみに、プラスチックは体内にたまることもなく、普通に排便で対外に出ますが、プラスチックは自然に戻らないので、また循環するだけです。

 

こうして海のプラスチックの濃度は上がり続けており、また空中のプラスチック濃度もあがっていて、もはや無菌の状態でも作らない限り、すべての人がプラスチックによる害を受けるようになります。

 

海洋汚染について考えるとき、日本の河川が戦後急速に汚れていった背景を考えてみると良いかもしれません。

 

かつては、生活用水のみならず工場からの廃液でさえ川に流せばなんとかなると考えていました。

 

もちろんこれは間違いで、川は急速に汚染されました。

 

その結果、それまで鮭が毎年登ってきた川も、ちょっと釣れば食べられる魚が釣れた日々も失われ、川はヘドロのような油を多量に含んだ土となりました。

 

川については近年の意識の向上によって、かなり改善されてきた面はあります。

 

一方で、下水設備が備わっていない田舎にいくと、田舎できれいな流れを期待する気持ちを裏切って、生活用水で信じられないぐらい汚れてしまった川があったりします。

 

次に、川は駄目でも、海なら大丈夫だという気持ちが生じました。

 

海は川とは比較にならないぐらい大きいからです。

 

ですが、これもまた間違いであったことが海洋プラスチックの問題ではっきりしました。

 

海洋プラスチックの問題をタバコの受動喫煙の問題と比較してみると、受動喫煙については、徹底して排除すればかなりの効果がみえますが、プラスチックについては、全く防ぐ手立てがないというのが実情であり、それは見えない敵との戦いに似ていて、しかもジワジワと害をもたらすのです。

 

ペットボトルについては、コカ・コーラはじめメーカー側が早くからこの問題に気づき対策を練っていますが、効果についてはよくわかりません。

 

ただペットボトルにしても微量ではありますが、プラスチックが溶け出しているそうです。

 

その結果、きれいな水を求めて天然水のペットボトルを飲むことが逆効果になることも十分に考えられます。

 

まあ、そこまで神経質にならなくてもと考えるかもしれません。

 

しかし、プラスチックは熱には弱いので、レンジでチンしたりすると溶け出しそうな気がして僕はやらないようにしているし、コンビニなどの弁当も極力買わないようにしています。

 

以上が、僕のプラスチック問題への理解です。

 

プラスチック問題をさらに徹底させると、水はプラスチック製でないマイボトルを持って飲むようになったりします。

 

しかしながら、現状ではこのプラスチック問題についてあまりご存知ない方も多いと思います。

 

レジ袋そのものの害というより、生活に密着しているレジ袋を有料にすることで、少しでもプラスチック問題について理解するきっかけにはなるかと思っています。

 

実際に家事をやり、ゴミの分別をしていると、いかにプラスチックゴミが多いかに驚くと思います。

 

プラスチックは計量でかさばるので、多く感じることを割り引いても、やはり尋常でなく多いのです。

 

そして、リサイクルには多額のコストがかかるので、日本では、熱効率のよい火力発電に利用することにより、リサイクルしているのですが、もちろん欧州諸国などではこんな方法をリサイクルとは認めません。

 

それと、一連のレジ袋の有料化に象徴されるプラスチック問題の対策についていうと、日本にはもちろんすぐれた研究者も多数いらっしゃると思いますが、政策としては国際社会の圧力を受けてやむを得ず問題を追認して実行しているという、かなり後手というか遅れていることは認識しておくべきだと思います。

 

個人的には、この勢いで、原発もなくして欲しいと考えています。

 

僕自身はいまさら多少の放射能ぐらいと思っていますが、子供たちへの悪影響はとうてい無視できることではないからです。

 

いずれにしてもレジ袋の有料化で少しでもこの問題の深刻さに気づくかたがでてくればと思います。

 

 

過剰包装、サービスのあり方についての反省

 

レジ袋の有料化で直接大きく変わるのはコンビニです。

 

いまやスーパーのほとんどはすでにレジ袋の有料化に取り組んでいますし、マイバッグもかなり普通になっています。

 

しかし、コンビニでちょっと買い物をしたいという人は、マイバッグなどの用意をしない人がほとんどです。

 

そもそも論ですが、僕は日本の顧客サービスが、少し違う方向ではないかといつも思っています。

 

企業間でサービス合戦を繰り広げるにしても、「感じの良い対応」とかを売りにするのはそろそろやめたらどうかと思っています。

 

それは出来て当然のことかもしれませんが、人としての誠意が伝わることが大事で、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

 

(若者が顧客対応できないとか、言葉の使い方をしらないとかいう問題については、ここでは省きます。)

 

それよりは、価格とか商品の質とか食品であれば安全性であるとかに価値を置くべきだし、サービス面では、利便性を最優先にすべきではないでしょうか。

 

コンビニが一番おそれているのは、客ばなれですが、僕はコンビニは利用客にとって生活の一部になっているので心配ないと考えています。

 

またお客との無用なトラブル(袋ぐらいサービスしろというもの)についても、時間が解決するのではないでしょうか。

 

ただ、本質的になんとかしなければいけないのは、そこではなくて、日本人のサービスに慣れ過ぎている意識ではないかと思っています。

 

それは、僕自身のなかにもあり、自分でいいながら恥ずかしいのですが、客の立場になると急に偉くなったような気持になることをいましめています。

 

レジについては、無人化が進んでいるので、人によるサービスを受けられるというのは、それだけで有料サービスになる日もくるかもしれません。

 

しかし、主に年配の男性が多いのですが、過剰なサービスとか「俺は客だぞ」という意識が強い方がいます。

 

もちろん、お客様には違いないのですが、それは身分関係の違いではないということです。

 

そこを勘違いしてやたらといばる方がいます。

 

ただ、こうした人は少なくなりつつある傾向があるので、時間の流れとともに淘汰されていくように思っています。

 

「淘汰」という厳しい言葉を使っていますが、それは、環境の変化に適合できずに滅んでいくという意味です。

 

似たようなことですが過剰包装についても、全く無駄なので、意識改革を進めていくべきだし、そのきっかけをレジ袋は作れると思います。

 

レジ袋の有料化が国際社会の流れに逆らえない結果として生まれたとしても、日本の場合、プラスチック問題に真剣に向き合うという動機が弱いので、現状の改革では「やってる感」を出す程度と言われてもしかたがないかもしれませんが。

 

レジ袋は全廃、もしくは値段をあげるべきではないか

 

レジ袋の有料化は2020年7月にオリンピックを見据えて義務化にしたというだけで、すでに取り組んでいるスーパーなどにはほとんど影響を与えないと思います。

 

これを徹底するには、やはり全廃しかないのではないかと思います。

 

もしくは値段をもっと上げて、最低でも10円の大台にあげるべきではないでしょうか。

 

物のもつ価値と価格が釣り合わないものは世の中にいくらでもあります。

 

例えばタバコ(タバコばかり例にあげて恐縮ですが)はご存知の通り、ほとんどが税金です。

 

レジ袋税というものを作り、10円のうち7円から8円を税として徴収するというのはなかなかいけるのでないかと僕は思います。

 

こうすれば、「有料としってもたかが5円だろ」という意識から、

「10円とられて、しかもそのうち7円も税金にとられる」という意識になり、相当な効果があると思うのですが。

 

自然も黙っていないというゴジラ幻想

考えてみれば、プラスチックももともとは石油から作られており、石油を作ったのは植物です。

 

つまり広義でいえば、プラスチックもまた自然の産物なのです。

 

ただ、土に還らないことが問題なのです。

 

あの有名なゴジラの設定も確か、環境汚染から生まれたように記憶しています。

 

ゴジラほどのものは生まれないかもしれませんが、自然はまだまだ限りなく未知のことだらけです。

 

海洋プラスチックをプランクトンのようにエサとして食べ、プラスチックそのものを消化してしまう生物が生まれないと断言できるでしょうか。

 

現在、微生物によって分解されるプラスチックの研究はかなり進んでいるようですが、そうした人間側からのアプローチではなく、生物そのものの変化により既存のプラスチックを分解できる生物が生まれることを僕は幻想します。

 

もちろん、だからといってプラスチックは問題ないというつもりはありません。

 

ただ、人間の力を超えたものは自然のなかに確実に存在すると思います。

 

 

20191229 by okkochaan