こんにちは、おっこちゃんです。
世間ではいろんなニュースが飛び交っていますね。
このところは、やはり金正男さんの暗殺についてですが、副大統領が遺体は北朝鮮にと発表したと思ったら、今日になって、マレーシアの北朝鮮大使が召喚され、遺体は遺族にと揉めています。
かと思うと、仕掛けたカメラに自分を映すおバカな盗撮犯がいたり、トランプ政権に暗雲が見えてきたり、芸能関係だと急に宗教に転じてプロダクションともめて本までだした女優がいたりと、まあ話題はつきないのですが、正直言って僕にはあまり興味をもてないことが多いです。
僕にとっては、第一に僕自身の生活を安定させることが大事だし、その為にお金も欲しいです。
そこで最近かかわらざるを得なくなった失業保険とか年金のことを書きます。
といっても、専門的に細かいことは書きませんし、書けません。
でも失業保険についていえば、簡単な条件(かけた年数とか年齢とか収入とか)を入力すると、もらえる額が即でる便利なサイトもありました。
それにしても、これまで漠然と失業保険や年金については思っていましたが、実際に自分がかかわって、そのあまりの少なさに愕然としています。
僕は、ネットビジネスである程度の収入を得ようとしているし、少しは実現できているのですが、それを教えてくださるお誘いの案内などで、よく年金はあてにならないと言われてきました。
想像するのと実際にもらえる金額が具体化することで変わるかどうかというのは、人によって違うかもしれませんが、それは自分の収入が低い予測をしているのと実際の明細を見る関係のようなものです。
よく引き合いに出される有名な話で、あのケンタッキーフライドチキンの創業者のカーネル・サンダースさんの話がありますね。
サンダースさんが年金を受け取りに役所に行ったのは65歳の時です。
その時に具体的な金額を見たサンダースさんは、俺の人生こんなものだったのかと思い何か仕事を始めようと決意します。そして、おばあちゃんの作ってくれた美味しいフライドチキンを思い出して、これを売ろうとビジネスを始めたわけです。
といっても、それから1000以上のレストランへの売り込みを1年以上やったかと思います。
そして最後に話を聞いてくれたところがあったわけですね。
しかし、僕は、サンダースさんの話から、人間いつからでもやり直せるとか可能性は無限だとかの話をしたいわけではありません。
現実問題として、感覚的な判断ですが、団塊の世代より上の世代はぎりぎり年金でなんとかやっていけるかもしれないですが、それ以下の世代は不可能に近いのが実情です。
そして多くの方は、その為に貯蓄をし、その為に節約をします。
しかし、給与や退職金の安さと物価高で1人あたりの貯蓄額も年々減っていたかと思います。
先進国のなかで、江戸っ子みたいに宵越しの金を持たない生活をしているのは、日本人とアメリカ人です。
しかも、そのぎりぎりの生活だったり節約・貯蓄の生活を定年までずっとして、それでは老後は不安だから定年後に再雇用とか別に就職して65歳まで働いたりします。
正規雇用者の比率は確か全労働者の4割ぐらいだったと思いますので、過半数の方には退職金だってありません。
人不足とは言われていますが、求職者はあふれていて、要するに企業が求めるような人が少ないから雇わないので、だれでもいいわけではなく、高齢者になればやはり就業には不利と言わざるを得ません。
そして、失業保険についても、「保険」という名前を外したほうがいいのではないかというぐらいの金額です。
それに面倒くさい手続きや面接に行った証明とかいろいろあります。
もちろんお金がないなかで、失業者のために国がお金を出してくれていると有難く受け取るべきなのでしょうが、はっきりいって、安すぎます。
たったそれだけのお金のために、どれほどの時間と職安側の時間と金を使うんだろうかと思います。
あの制度はよく考えてみると、給付金をできるだけ安くするように出来ているように見えます。
そこにもっともらしい理屈やわけのわからない(わかりたくなもない)計算式を入れて、受給額に合理性を与えているつもりなのだと思いますが、あの金額に「保険」という名前は語義的に適当ではないと思います。
例えば、「失業一時金」とかにして、それまでの収入と保険の支払い期間に対して一定の比率で一括支払いするとか単純化すればいいように思います。
そして、職安はより積極的な雇用の確保や就労のアドバイスに力を入れるべきだと思います。
生活保護も一部の地域でそうですが、なぜかお金を払っているのが自分たちだと勘違いしているような偉そうな対応をなさるところがあります。
失業保険や生活保護などを考えると、僕は以前から思っている通り、ベーシックインカムという制度を導入して単純化を図ればいいと考えています。
ベーシックインカムが実現しないのは、財源のせいではありません。制度が変わって失業する人も多いからだし、「働かない人が増える」という根強い懸念があるからです。
また、何かにつけてよく民間に任せるような話がありますが、求職者全般の対応を民間にさせることに、僕は、反対です。
結局、お金の問題は「幸せに生きる国民の権利」であるからで、その責任を民間に押し付けてはいけないと思うからです。
民間の企業は基本的に利益しか見ません。つまり金にならないことはやらないので、雇用や労働問題を考えたときに、まかせきるのは不適切な面があると考えるからです。
さて、ネットビジネスを教える方々は、このあたりで、老後の不安や嫌なサラリーマンを辞めて自分の力で生きていこう、それにはネットビジネスがいいと勧めます。
それは、すばらしい提案であると僕も思いますが、現実問題としてアフィリエイトで生活できるレベルの収入を得ている人は1%ぐらいではないかといわれていることを考えると、この数字をもう少しあげないことには説得力がないというか、より普通の方々を助けられないのではないかと思います。
僕は、ずっと人材にかかわる営業の仕事をしてきたのですが、その時も、希望の仕事に就ける確率というのは、それほど高くないことを痛感していました。
だから、自分のルールとしては、「僕に関わった人だけでもハッピーにする」というものでした。
年金もとても生活できるレベルの金額ではありません。
これからますます支給額は下がり、最終的には運用できなくなるという予測もあります。
そうなると、高齢者はますます切れやすくなり、万引きや孤独死などが増え、若者は高齢者を尊敬することもない、人としてどうかと思うような社会しか思い描けません。
こうした問題はどうやって解決したらよいのでしょうか。
僕には、あたかも先に大きな滝がある状況で、なんとなく流されているような不安な感覚しかありません。
人間は、「あなたも自分と同じようになりなさい」という以上のアドバイスは基本的にはできないし、そもそも論に戻るにはあまりにもドロクサイ話です。
しかし、今日は、ちょっとばかり落ち込んでいるので悲観的な考えしか出てきませんが、僕はかならずこの問題に活路を見出したいと考えています。
そしてそれは、政治でもなく、文学でもなく、ビジネスを教えることでもないという予感があります。いってみれば、それらすべての要素が必要だと思います。
とりとめなくてすみませんが、いま僕は、ぼんやりとそんなことを考えています。
お読みいただきありがとうございました。
20170221 by okkochaan