本の名前: ある男
著者 : 平野 啓一郎
発行所 : 株式会社 文藝春秋
発行日 : 2018年9月30日 第1刷発行
以後ベストセラーとなり再販を重ねる
私の5段階評価 : ★★★★
私の5段階衝撃度: ★★★★
この本を何度か読み返すか?: YES
平野啓一郎氏の「ある男」は複数の大きなテーマがあつかわれており、その意味ではいくつかの読み方が可能である。
ただテーマが混在して話がおかしくなっているということはなく、むしろ人間の意識は決して単一なことのみに占められているわけではないので、ごくあたりまえな意識の状態として複数のテーマが混在しているのは自然のことといえるだろう。
メインテーマはもちろん、自分が他人になりきり、その他人の過去を自分の過去として生きることである。
そして、そこから派生するサブテーマとして、在日の問題、犯罪者を父にもつ家族の問題、結婚相手がその死後に別人だったと判明した場合の驚きなどがある。
こうしたサブテーマは結局は人間存在のあやうさ、不安定さへと直結する。他人になりたい、あるいは知らない場所で他人として一時的にでもふるまってみたいという憧れは、その強弱はあるにせよ、だれしも抱いたことがあるのではないだろうか。
サブテーマはそれぞれ、メインテーマとして扱ってもおかしくない重みをもっているので、そうしたテーマ同士の自己主張ともいうべきものを整理して自然な流れの物語を作る技術は見事である。
そして総体として、わかりやすく言うと読後感として、「ある男」という小説は、一度読んだら決して忘れない話として、繰り返し思い出される物語といえる。つまり、こうして何度も意識的にも無意識的にも思いだされる小説というものが、すぐれた作品といえるのだろうと思う。
少しずれるが、僕自身もいつか書きたいと漠然と思っている話がある。
それは、何者にもなれなかった男の話である。
人生の黄昏を迎えつつある男は、ある日突然、自分には何ひとつなしとげたことがないと気づく。無意識に思ってはいたけれども、まともに向き合うのは怖いので、無意識にさけてきたのだ。
だが、人間関係も含めて、何ひとつ、ほんの小さなことですらなしとげたことがないことに気づいて愕然とする。
ごまかしようもない己の無力に気づいた彼は何かに打ち込めばいいのだけれども、そこは長年、自分自身にも嘘をつき続けてきたこともあり、ごまかしかたも知っているのであった。
結局、彼がやったことは、簡単に言えば師走を迎えてあわてて走り回るたぐいのことである。
SNSでやたらと友達をつくってみたり、さして親しくもない知人を親友まで昇格させようとしたり、である。
どうしたら人に好かれるのか、友達ってどうやって作ればいいのか、すべてを表面的にとらえ、女性と友達のようになったこともないので、高い情報商材を買って必死で独学してみたりするのである。
そんな滑稽と悲哀に満ちた話をおもしろおかしく語りたいと僕は思っていた。
そんな話を考えていたので、僕にとって、この「ある男」は、僕の話の登場人物に教えてあげたい、より簡単な方法なのである。
つまり、他人の戸籍を買って、名前も変えて他人になりきるのである。
口数は少ないけれども、なんどか自分の生い立ちや家族の問題など、知る限りの情報から話しているうちに、本当に自分がその戸籍を買った相手になりきってしまって、ある時点で、自分でもわからなくなるのではないだろうかと僕は考える。
それは演技力のある役者のほうが、本人よりもより本人らしいのと同じことなのではないだろうか。
話をもどすと、この他人になりたいという動機が、「ある男」の場合は、「普通の人になりたい」ということとほぼ同義である。
他人になりたい願望を変身願望というとすれば、「ある男」の変身願望は、社会の底辺以下の状態から底辺の少し上ぐらいになり目立たずに生きていきたいということになる。
それにしても、ともすると情に流れそうな場面を弁護士の視点から描くことにより、登場人物を風景画の人物像のごとく距離をもって描いていく作者の力量はすばらしいと思う。ただし、読み手によっては物足りなく感じるかもしれない。
それは感動の性質の問題なのだと思う。小説を読むことで、別世界を生きたいという願望は誰しももっているはずである。
ただその先が問題で、泣きたいぐらい感動したいとか、笑いたいとかが小説を読むことのモチベーションになっている人にとっては、残念ながらこの小説は適当な作品とは言えない。
これは平野啓一郎氏の作風に言えることかもしれないが、平野氏は決してエンターテイメントを小説の第一義にはおいていない。
にもかかわらず、平野氏の作品は心に残り、なんども繰り返し思い出され、記憶されてしまうのである。
2023.10.12 by okkochaan