クブクロ黒田 不倫

僕はコブクロのファンではないけど、歌は好きなので時々聞いています。

 

で、最近、コブクロの黒田さんの不倫について、報道があったので、詳細は下記から記事をご覧いただくとして、日ごろからこうした著名人の報道について思っていることを書きとめておきたいと思います。

 

今回のコブクロ黒田さんの不倫について、相手が自殺未遂までして苦しんでいるので、過去のLINEのやり取りを郵便ポストに投げ込む行為などで黒田さん側がストーカーと認定しているとしても、やはり黒田さんのやったことは、何らかの形で償うべきものなのだと思います。

 

ただ、アーティストとして人気があり、そのファンあってこそ飯も食っていけることは事実ですが、僕の素朴な疑問は、アーティストの私生活と作品との価値は無関係ではないかということなのです。

 

コブクロは「桜」「蕾」「ここにしか咲かない花」、そして今回特に話題になっている結婚式でもよくかかるという「永遠にともに」と常に純粋な愛や思いを歌ってきました。

 

ツイッターなどでも「永遠にともに」を取りあげて、これまでコブクロの歌っていたことはすべて嘘だと嫌悪する感情をつぶやいている方々もいるし、何もいわなくても同じように思っている人はたくさんいるのでしょう。

 

ですが、僕はあえて何度でもいいますが、作品の価値とアーティストの私生活は無関係なのです。

 

無関係という意味は、作品と私生活に因果関係があるなしにかかわらず、それぞれが独立して存在するということです。

 

そこには、良いも悪いもありません。ただ存在するのです。

 

この世のすべての作品に対して、ファンになると、その作品の成立背景が気になることはよくわかるし、僕だってそうです。

 

それがファンというものなのだと思っています。

 

ですが、良い歌を創る人が良い人だとは限らないし、むしろ逆である場合の方がはるかに多いことは、これまでの歴史が証明しています。

 

それは枚挙にいとまがありませんが、ここで思いついたことだけを例示してみます。(僕は文学に偏った人間なので、音楽のジャンルが入らないのは申し訳ないですがご了承ください)

 

1.ロシアの作家ドストエフスキーは、気が短くてすぐ癇癪を起す性格でした。また博打にはまり、文無しになったこともたびたびあります。結果、出版社から、これから書く本や著作権を放棄したりして、お金をもらっていました。同時代のトルストイに比べると原稿料はなんと10分の1ぐらいだったかと思いますが、借金返済のために、文字通り馬車馬のように書きまくり、数々の名作を残したのです。

有名な「罪と罰」が世に出て間もなくのこと、同じような犯罪が起こりましたが、ドストエフスキーは自分には予知能力があるといって自慢しまくっていたのです。

 

2.「華麗なるギャツビー」の作者である、スコット・フィッツジェラルドもまたその名声とはほど遠い、不遇は生涯を送った作家です。わずか44年の生涯でしたが、「華麗なるギャツビー」で名声を得た20代後半以降は、金のためにコラムを書いたり脚本を書いたり、ドストエフスキーと同じように出版社に金の無心をしたりしていたのです。

葬儀は少人数でおこなわれた。参列した詩人のドロシー・パーカーは『グレート・ギャツビー』中のセリフ「The poor son of a bitch」(意味:かわいそうな奴だ)を泣きながら呟いていたといわれる。-wikipediaより引用-

 

僕は、コブクロの場合、作品が、純愛とか美しいものとかに限られているために、歪みが生じ、スランプを感じていたのではないかと考えています。

 

いつも聞くたびに違和感を感じる歌詞が「桜」のなかにあるのですが、それは、

「追いかけるだけの悲しみは強く清らかな悲しみは」

という言葉です。

 

悲しみは、悲しみだけで十分であり、清らかな悲しみというのがこの歌の良さを台無しにしている気がしているのです。

 

清らかな悲しみって何だろうと、いつも考えてしまいます。

 

この言葉の使い方は、あまりにも安易であり、不正確だと思うのは僕だけでしょうか。

 

僕は、作品の価値と私生活は無関係だと言いましたが、誤解されるかもしれないので、より正確に言うと、「作品の価値と私生活には因果関係はあるかもしれないし、ないかもしれない。ただ、二つは別個に存在する。」ということなのです。

 

アーチストとして食っていけるかどうか、若いころには不安も多かったはずですが、成功し、それどころか、家庭をもち子供にも恵まれ、ある時点で、自分たちが歌っていることがとても現実離れした絵空事であるように感じてしまうことが無意識にでもあるのではないかと僕は思います。

 

ゆえに、2人とも不倫に走った可能性は高いと思います。

 

それは、栄養を失い養分を求める植物と同じことなのです。

 

もちろん、だからといって不倫していいと言っているわけではないですよ。

 

今回の不倫報道でファンの一定数は離れてしまうでしょうが、それは仕方がないことです。離れていくファンの方は、歌の清らかさと同じような聖人君子であることをコブクロに求めていたからです。

 

ですが、表現者と作品とは何度もいいますが、別物なのです。

 

それを一緒にしか考えられない人たちが「ファン」なのでしょうか。

 

ps コブクロについて、だいぶ前に書いた記事がありました。これは気が向いたらご覧ください。

株式会社ミノスケの坂田美之助さんとは

 

20210513 by okkochaan