米倉涼子さんの離婚の理由が悲しいと思っている。
僕は芸能界について、あまり知らないけれども米倉涼子さんといえば、数少ない僕が名前を知っている女優である。
初めて彼女を知ったのは、宮本武蔵のお通役だった気がする。なんというか、目立ちたがりの気の強そうな女性だなとその時は思った。
時代はくだり、米倉さんが30代に入り、結婚願望をテレビなどで口にするところを見た記憶もある。
その時も、結婚願望が強い女性は、多くの男性がそうだと思うが、なんとなく気持ちが引いてしまった記憶がある。
それにしても、ほとんど女優の名前さえ知らない僕が、なぜ米倉涼子さんをよく覚えているのだろう。たまに篠原涼子さんと混同していた気もするが、何度か区別して覚えようとして、ちゃんと覚えたと思う。
米倉という名前が将棋の米倉さんを思い出させたのか、俳優の米倉斉加年さんを思い出させたのか。
こんなことも、あまり考えてみたことがないけれども、今思うと、やはり、彼女の個性的な一度見たら忘れられない強い印象や話し方の特徴などが際立っているせいではないかと思う。
つまり、女優として優れているのではないだろうか。
単に生意気な女であれば、嫌いであるべきだし、なぜか気になるとなれば、やはり女優としての才能なのだろうと思っている。
彼女がどこでそのような才能を得たのか、生来なのか努力なのか、それは興味がないし、どうでもいい。
ただ僕は芸や芸術にかかわるという方々について、古風な考え方をもっている。
つまり、実際の演技や作品に私生活の匂いなど絶対に感じさせてはいけないということなのである。
それなのに、世の中には芸能レポーターという仕事もあるし、テレビや週刊誌が俳優の私生活を追いかけるのは、ファンの知りたいという気持ちがあるから、つまりニーズがあるから追いかけているのに違いないけれども、やはり僕には興味がないことである。
特に女優の場合、直接的に体や顔がスクリーンに出るため、実生活の匂いからの距離をとりづらい面があるからではないだろうか。
例えば、これが絵画であったり、陶芸や建築物であったりしたときに、その作者のプライベートをいちいち考えたりするだろうか?
女優という職業が、男性にとっては、恋人にしたいとか結婚したいとかの願望と一直線に結びついてしまうために、また実際にそうした効果を売りにする面が否めないために、プライベートに興味が持たれてしまうのは、致し方ないことなのかもしれないと思っている。
にもかかわらず、僕はやはり、米倉涼子さんの離婚の理由が悲しいと思っている。
米倉さんがわずか3カ月の結婚生活を経験したのは、2014年の12月かららしい。
その前の交際期間があり、予感として、旦那の悪い面をみながらも、自分がなんとか矯正できるのではないかと考えてしまったことは不幸である。
そして、僕のようなろくに女優の名前も知らない人間でさえ知っている有名な米倉涼子さんを妻にした男性は、その瞬間から、あたかも有名大学に入ったことが、良きにつけ悪しきにつけ一生つきまとう偏見にさらされると同じように、彼のことを一言でいえば、米倉涼子さんの旦那さんというレッテルから逃れられなくなるのだ。
それはコンプレックスとなり、そのコンプレックスを解消するために、支配者となろうとしてDVに走ることは、きわめて理解しやすい心理状態だ。
そして、性格の不一致から離婚、ただし離婚に応じていない期間がすでに1年半、というお互いに不幸な状態となってしまった。
ただ、僕はここで、はっきりと言いたい。
こうしたプライベートのごたごたは、米倉さんの才能に何一つ影響を与えはしないし、また芸の肥やしになどにもなったりはしないということだ。
つまり、結婚も離婚も女優としての米倉さんには、何の影響も与えなかっただろうと信じている。
一人の人間としての幸せと女優としての大成、円熟とは全く別の次元の話であろう。
ともかくも、女優、米倉涼子は、これからも女優としてあり続け感動を与え続けるしかないのだから、いろんな矛盾を気にせずに演技を極めていって欲しいと思っている。
20161013 by okkochaan