こんにちは、おっこちゃんです。

 

道徳教育の教科追加について、僕は前々からどちらかというと否定的な考えを持っています。

 

今日、教育出版の小学校道徳教科書について採択しないで欲しいという要望が各教育委員会に来ているというニュースを読み、あらためてこの問題について書こうと思いました。

 

 

【今回の問題を簡単にまとめ】

 

ヤフーニュースによると、教育出版社の小学校道徳教科書に安倍首相の写真を掲載したことが問題になっています。

 

教科書の採択は各教育委員会が行っているという事情があるわけですが、問題の教科書は名古屋や松山ですでに採択が行われており、その撤回も求めています。

 

ただ同時に、その要望は同じ文面の批判はがきが大量に送ったりしている手法であるため、特定の政治思想をもつ複数の団体が組織的に運動を展開しているともみられています。

 

まあ、特定の団体についてはよくわからないので、書きませんが、森友・加計問題も納得感がないままに北のミサイルで打ち消されつつあり、民進党は自滅するのではという不安な情勢ですので、歴史的な説明をするための安倍首相の写真掲載ならともかく、関係ないところでの掲載であれば、「たとえ身に覚えがなくても、疑わしい行為は避けるべき」という政治家の不倫報道と同じような考えになるのが僕の意見です。

 

 

 

【道徳教育で目指しているもの】

 

これは、端的に下記に詳しく書かれているので、項目だけピックアップします。

学習指導要領 第3章 特別の教科 道徳

 

A 主として自分自身に関すること

(自主、自立、自由と責任)
(節度、節制)
(向上心、個性の伸長)
(希望と勇気、克己と強い意志)
(真理の探究、創造)

 

B 主として人との関わりに関すること

(思いやり、感謝)
(礼儀)
(友情、信頼)
(相互理解、寛容)

 

C 主として集団や社会との関わりに関すること

(遵法精神、公徳心)
(公正、公平、社会正義)
(社会参画、公共の精神)
(勤労)
(家族愛、家族生活の充実)
(よりよい学校生活、集団生活の充実)
(郷土の伝統と文化の尊重、郷土を愛する態度)
(我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度)
(国際理解、国際貢献)

 

D 主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること

(生命の尊さ)
(自然愛護)
(感動、畏敬の念)
(よりよく生きる喜び)

 

誰がみても反論できそうもない、良い徳目ばかり書かれています。

 

まあこれが文科省の仕事なのだから仕方ないとは思いますが、役人の方は本当に根気よくこうした資料をお作りなるなと感心するやらため息がでるやらです。

 

今年問題になっている加計問題で、内部資料がないとか到底考えられない仕事ぶりだし、道徳の項目と政治との板挟みでさぞ苦しかったのではないかと推察しています。

 

こうした徳目はむしろ、大人が再度よーく学ぶべきではないかと考えるのは僕だけではないと思います。

 

 

【僕の個人的な体験】

 

ここで、ちょっと僕自身が受けた道徳教育を思いだしたので書いてみます。

 

僕はシニア世代なので、道徳の時間というものが確か小学校であったと思いますが、逆説的にその内容に疑問をずっと持ってきたし、そもそも学校が嫌いなのですが、どちらかというと道徳の教育は必要だと思いつつも、実際の教育への期待とかについては不信感の方が強いです。

 

先生の残業過多の問題もある中で、教職員の数も減らす方向もあり、学校というものを根本的に見直してみるといいのではないでしょうか。

 

ここでは、今でも覚えている道徳教科書の話を思いだす限りで再現してみます。

 

「ある生徒が今風にいうといじめにあっていました。その理由はその子のお父さんの仕事が「汲み取り屋さん」だったからです。その子は、「お前のお父さんは、こえだめ汲みだ」とか「臭い」とか言われていじめられていたのです。いじめの先頭に立っていたのは、土地の顔役の子供とか医者の子供とかでした。

それを見た先生は、いじめた生徒を注意し、「糞尿を処理する仕事は誰かがやらなければならないこと、そもそも職業に貴賤はないこと」を説き、生徒を納得させました。」

 

この話から職業に貴賤はないという徳目を教えているのですが、僕はどうしてもこの話に無理があるし、一種のいやらしさがあるような気がしてなりませんでした。

 

つまり、その先生も心の中でくみ取り業を馬鹿にしているような、職業に貴賤なしという錦の旗を掲げて上から目線で説得しているような気がしたのです。

 

ここは、本心から貴賎なしと思っていなければ教育は出来ませんし、そうあるべきだと考えています。

 

 

【教育現場や社会の問題】

 

教師ばかりではないですが、教師の質を問われるような事件が頻発しています。

 

また先生そのものがうつ病になったり逆いじめにあったりしています。

 

こうした教育現場の問題への取り組みがなければ、そもそも誰が道徳を教えるんですかという話になると思います。

 

それと、政治の問題についていえば、集団的自衛権の国会での投票の際に、憲法を大学で教えていて国会議員になったかたが、与党所属のために、自らの教えに背いて賛成投票をした話が印象的です。

 

他人がダメだから子供がダメでも仕方がないという理屈はおかしいですが、子供は非常に柔軟な頭をもっている反面、やはり物事を知らないし経験も少ないのです。

 

したがって、洗脳はしやすいということを教育の責任として重くとらえて欲しいと思っています。

 

日本人は北朝鮮など専制国家を下に見ていますが、日本だってほんのちょっと前まではそうだったという歴史的事実をよく認識すべきだと思っています。

 

 

 

【まとめ】

 

学校嫌いの僕ですが、教育はものすごく重要だと思っています。

 

僕の場合は、自分の教育は自分ですると、高校生の時に決めてからずっと学校に頼らず一人で自分を教育してきました。

 

ですが、ほとんどの場合は学校で行うだろうし、まして義務教育です。

 

道徳教育を教科にすることの意味はあるのかもしれないし、ないかもしれないですが、人を育てるほど大事なことは単に日本にだけ限ったとしても、重要であると思っています。

 

 

 

以上、つたない意見でしたが、お読みいただきありがとうございました。

 

20170908 by okkochaan