こんにちは、今日は憲法記念日ですね。

 

 

憲法は一貫して国民の感心が低い法律ですが、現在は政府与党はいよいよ憲法改正について具体的なアクションをとろうとしています。

 

 

そこで、僕が把握している材料から、憲法改正手続の簡単な流れと問題点、僕自身の意見を述べてみたいと思います。

 

 

1日のニュースによれば、安倍首相(自民党総裁)は東京・永田町の憲政記念館で開かれた「新しい憲法を制定する推進大会」に現職首相として初めて出席し、憲法改正への意欲を示したようです。

 

 

そこには、大御所の中曽根元首相も出席し、「現行の憲法は強制されたものであるので、改正すべきである」という持論を発言されていました。

 

 

安倍首相は、「憲法改正の機は熟した」と述べていますが、はたしてそうでしょうか。

 

 

憲法改正は衆参両院の3分の2の賛成で国民に対して発議されます。

 

 

これは衆議院、参議院それぞれで3分の2の賛成が必要であり、両院は対等な関係にあるため、通常の法律のように、衆議院で可決⇒参議院で否決⇒衆議院で可決、といった流れでは成立しません。

 

 

つまり、ここ最近の強行採決での決定はできないので、安倍首相も一見、リベラルな意見交換があるかのごとく発言しています。

 

 

「そのまま(衆参両院の)憲法審査会に提案するつもりはない。憲法改正の機運が高まってきた今だからこそ、柔軟性を持ち現実的な議論を行う必要がある」

 
憲法改正の発議で自民党の主張だけにこだわらず、与野党の幅広い合意を得て改正を目指す姿勢を示した形ではありますが、9条の撤廃を目指しているのは明らかなので、本当に憲法についての議論を盛り上げて日本国民の意思に基づく憲法を作ろうとしていると素直に思うわけにはいきません。

 

 

これについては、2日の最高裁長官の寺田氏の発言が参考になります。

 

 

「最高裁の寺田逸郎長官は3日の憲法記念日を前に会見し、施行70周年を迎えた日本国憲法について「裁判所にとって全ての法の基本に位置する最高法規で法の支配のよりどころだ」と述べた。憲法改正をめぐる議論については「国民的議論に委ねるべき問題で、十分に注視したい」と、従来の見解を述べるにとどめた。」-産経新聞5月3日より-となっています。

 

憲法については、9条の問題以外は一般にはあまり知られておらず、改憲か護憲かという立場の表明で識別してしまうという不毛な議論が多かった点は、安倍首相のおっしゃる通りかもしれません。

 

 

改憲とか護憲とかの議論はもう卒業しようというのも、もっともに聞こえます。

 

 

より本質的な日本国民としてあるべき理想の形はなんなのかということを徹底的に議論をすべきですが、実に不思議なことに、その中身の議論というものは、これまでほとんどされてきませんでした。

 

 

そして、憲法を変えたがってる自民党がもっともその議論を嫌ってきたという歴史があります。

 

 

あたかも明治憲法が発布されたときに、国民が内容も知らずに国旗をもって祝ったという外国人から見ると不思議な光景が過去にあったのですが、「現行の憲法が敗戦国として強要されたものだから変えなければならない」という理屈と明治憲法発布に旗を振って喜んだ感性とは、全く同じレベルにあることを知るべきでしょう。

 

 

僕は、現在の憲法は改正する必要はないと思っています。むしろ、憲法が生活感として、そのような位置づけ(あまり興味もなく知られていない)にあるのであれば、むしろ、すぐれた憲法とすら言えると思います。

 

 

特に現政権がこれまで、どちらかというと閣議決定や強行採決で通してきた、ずるいやり方をみていると変えるにしても現政権下で変えて欲しくはありません。

 

 

特に現在の北朝鮮との関係を利用するようなやり方が好きではありません。

 

 

国民運動として憲法改正が醸成される時まで改正不要と僕は考えています。

 

 

憲法は権力者をしばる目的で作られているので、権力者にとってはじゃまでしかたがないものであることを国民はしっかりと認識する必要があります。

 

 

例えば、憲法改正に必要な手続を定めた96条は以下のようになっています。

 

 

    第九十六条
        この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
        憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
        
        憲法改正案は、内容において関連する事項ごとに提案され、それぞれの改正案ごとに一人一票を投じることとなる。
        
        

簡単に言えば、憲法改正は以下の2ステップが必要です。

 

1.衆議院、参議院それぞれで総議員の3分の2以上の賛成が発議に必要
2.承認は国民が行い投票において、その過半数の賛成が必要

 

 

     
しかし、この手続は非常にハードルが高いため、安倍総理は「現行の日本国憲法は国民の手によって作られたものではないので、本当の日本国憲法を国民の手に取り戻すべき」と主張し、この憲法96条を改正しようとしました。

 

 

 

これはまさに本末転倒の行為でした。

 

 

具体的には両議院での3分の2のところを過半数としようとしましたが、改正されていません。

 

 

もともと憲法は権力者の権力を制限するように働くものなので、当然と言えます。

 

 

 

それを、現在、北の脅威があるからと脅して、これまでのずるいやり方(閣議決定をして議論を尽くさず強行採決に持ち込む方法)をなかったことにするような方法がどうしても賛同できません。

 

 

ただ、国民投票での過半数については、定義が曖昧であったため、手続法として日本国憲法の改正手続に関する法律 (平成19年5月制定)でその母数について投票総数の過半数と定義されました。

 

 

僕は、総国民とするには投票率から見て無理があるので、投票総数はしかたがないにしても、過半数ではなく、ここも3分の2とすべきではなかったかと考えています。

 

 

98条
投票総数(憲法改正案に対する賛成の投票の数及び反対の投票の数を合計した数をいう。)並びに憲法改正案に対する賛成の投票の数が当該投票総数の二分の一を超える旨又は超えない旨を官報で告示する

 

【最後に】

 

僕は、憲法改正には反対です。特に今のこのタイミングはいけないと思っています。

 

 

また改憲論者の言うことにも納得がいきません。

 

 

僕が引っかかることを例示します。

 

 

改憲論者:現在の憲法は強制されたものである

 

僕の意見強制されたかどうかは問題ではない。現実に70年、問題なく動かしていたという事実だけで反論として十分だと考える。
この論理で現憲法を否定するならば、漢字であるとか、輸入された文化物のほとんどとか科学とかさえも否定しなければ整合性がない。
それに独立国家として、他人が作ってくれたもので満足して悪いという理屈がわからない。それこそ日本人としてのプライドの欠如ではないだろうか。

 

 

改憲論者:現在の近隣諸国の脅威に現行法では対応できない

僕の意見憲法は自衛権を否定していない。国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄しているだけである。

 

 

改憲論者:日本語がこなれておらず変である

僕の意見:本質的な意見ではないし、その意味では、他の法律だって相当おかしいと思う。

 

 

改憲論者: 世界を見ても70年も憲法を変えていないのは日本だけである。

僕の意見: 他国がどうしているかなどは、意味のない議論である。他国には他国の事情がある。この意見は、他人が違うことをしていると不安になるという弱い心をあおっているに過ぎないと思う。隣の家が新しい家電製品を買ったら自分の家でも買わないと遅れを取ると思っているのと同じである。

 

 

それに平たく言って、70年間変えないでこられた意味を全く考察していないのはおかしな話である。

 

 

それと国民投票となった場合に、個別項目に賛否を書く事になりますが、「戦争放棄」だけは、例え憲法を改正するとしても絶対に譲れないと考えています。

 

 

ぜひ、憲法について、議論をしてみましょう。

 

 

冷静に考えれば、現憲法の良さもわかるはずだと考えています。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

20170503 by okkochaan