ホームレス 犯罪者

しばらくOさんが来ない。

 

3カ月ぐらいたったろうか。日ごろからOさんは、万一の場合に僕に迷惑がかからないように身に着けるものとか持ち物に僕についての情報を一切残さないと言っていたので、身寄りがないからと言って僕に連絡が来ることは無い。さては、ついにどこかで行き倒れたのかとちょっと気になっていたら、ひょっこり現われた。

 

様子もとくに変わりない、いつものサラリーマン姿である。

 

もっとも彼のスーツは古着屋で500円で買ったものだが、よく見ると生地は透けて見えるほど薄い黒である。僕はこんな薄い生地のスーツを見たことがない。それで寒い季節になったときに、僕は着古した冬物のスーツをOさんにあげたけれども、縫い込んだ僕の名前も丁寧に消していたのである。

 

Oさんは、いつも律儀にネクタイを締めていたが、当時すでにノーネクタイも普通になりつつあったので、かえってあやしい感じもした。また、かばんはスーツに不釣り合いなぼろさで、黒い布地のカバンにぎっしり何か詰まっていた。

 

ともあれ、いつものように僕のアパートに帰り、飯を炊いてカレーを作り、二人で3合を食べ終えてから、Oさんが最近おこったことを語り始めのだが、その内容はホームレスのOさんが犯罪者として誤認逮捕され司法取引をしたという驚くべきことであった。

 

Oさんによれば、痴漢と間違われ、その上、ホームレスのOさんが犯罪者ではないかと疑われて、一カ月近く拘留されていたとのこと。

 

法律関係はよくわからなかったが、痴漢と間違われた点は、Oさんに全く否がないとも言えない話である。

 

Oさんによれば、起こったことは以下のようであった。

 

Oさんは、ホームレスなのに面白いところがあった。それは、もともと住んでいた船橋から東京まで電車通勤していた点である。

 

しかも、毎日、同じ電車の同じ車両に乗っているというのだから、このこだわりも半端ないが、Oさんの性格から僕には理解できることであった。

 

ただ、船橋といってもアパートはもうないわけだし、宿泊はいつも使っているネットカフェにいくだけである。知り合いはいたかもしれないが、ホームレスになり関係は希薄であったと思う。

 

どうして毎日、律儀に「通勤」するのだろうか。もっともOさんは、フリーパス、つまり無賃乗車が全く問題なくできるスキルをもっていたからできた事ではあるけれども、リスクだってあるだろうと思えたが、Oさんの自動改札をぬける技は完璧であり、なおかつ駅員が見ている小さな駅でこの技を使うことはなかった。

 

Oさんが僕のアパートにくるときは、いったん、手前の大きな駅で途中下車をし、一区間分の切符を買っていたのであった。

 

それでも、なぜサラリーマンと同じように、毎日「通勤」する必要があるのか僕には本当には理解できなかったかもしれない。おそらく稼ぐポイントも決まっていて、Oさんは、実はかなりのルーチンワークをしていたのではないかと思っている。

 

Oさんの主な収入源である自販機下からコインを拾うことや、券売機に忘れられたリ、落ちていたりするSuicaを拾い、それを解約して一枚あたり500円を得たりとかで、おそらく朝の通勤時間が終わったあたりが稼ぐためのゴールデンタイムだったのではないかと思う。

 

これで毎日のネットカフェの代金とか食費を出していたのだから僕には真似ができないと思っていたし、Oさんにすれば真面目にサラリーマンをしている僕が馬鹿に見えるときもあっただろう。

 

さて通勤の話に戻るが、Oさんの話では、Oさんが痴漢にあっていたとのことなのである!

 

Oさんは普通のサラリーマンに見えたし、毎日同じ時間に電車に乗っているし、嫌な臭いもしないので、Oさんに痴漢をした女性もまさかOさんがホームレスだとは思っていなかったと思う。

 

女性は30代半ばぐらいで、東京駅で降りるので、丸の内あたりで働いているOLの方らしかった。

 

顔立ちのはっきりした美人で、仕事もできそうであり、痴漢をするようには絶対に思えないタイプであり、Oさんは痴漢をする原因をストレスではないかと言っていた。

 

Oさんは、痴漢をされても嫌ではなかったらしく、気持ちもいいので、毎日彼女と一緒に通勤していた。

 

他で書いたのだけれども、Oさんは、一流大手証券会社の社員だった時に社内恋愛をしており、恋愛期間中は、通勤もいつも一緒だったと言っていたから、その頃のことを思い出していたのかもしれない。

 

ところが、ある日、いつものように同じ電車に乗って、彼女に近づいていくと、彼女がOさんを避けるのであった。

 

始め、Oさんは、彼女が気づかないのかと思って、彼女の周りでアピールしていたらしいのだが、彼女は明らかにOさんを避けていることを知った。

 

Oさんは、そこであきらめればよかったのだが、何事も白黒をはっきりさせたい性格のOさんは、女性に裏切られたような気持になったらしい。(裏切られたもないと思うけれど。)

 

Oさんと彼女は話をしたこともないわけだし、いかなる約束もしたわけではない。彼女は金持ちの人が万引きをするように、スリルを楽しんでストレス発散していたのかもしれず、痴漢にあきたか気分が乗らなかったのか急にOさんが嫌いになったなどが理由として考えられるけれども、こと女心については、理解力がないOさんは我慢ができず、駄々をこねる子供のように彼女の周りで怪しい動きをしてしまったらしい。それでもOさんが彼女の体にさわるなどはしていない。

 

そこからの経緯を僕はよく覚えていないのだが、よくある駅長室で警察官を待つとか、「僕は痴漢をしていない!冤罪だ!」と主張するとかのやり取りはなく、場面はいきなり警視庁に変わる。

 

どうやって生計を立てているかという質問に対し、Oさんは正直に話したらしいが、警察は40を超えて仕事もないホームレスが3年間も犯罪を犯していないはずがないと断定され、取り調べを続けたらしい。

 

Oさんは痴漢として逮捕されたわけではなく浮浪罪という軽犯罪法の罪で別件逮捕されたわけだが、この別件逮捕は乱用については但し書きも条文にあり禁止されている。人権問題と別件逮捕とのはざまにあって微妙なバランスをかろうじて保っているものが浮浪罪なのである。

 

浮浪罪を乱用すれば、一斉にホームレスを逮捕することも出来てしまうが、現実にそれは起きていないことからも、この問題の微妙さがわかると思う。

 

もちろん警察はOさんの自白の強要などはしなかった。

 

しかし、Oさんの行動範囲とか捜査中の事件などに照らして、Oさんが何かの犯人であることを証明しようと頑張ったらしい。

 

痴漢の嫌疑はどうなったのか、Oさんの話をよく覚えていないのだが、Oさんに5万円の金があるわけもなく親類や兄弟はいても絶縁状態であり、問題にされなかったか、Oさんの主張を通して痴漢はしていないことを認めたかどちらかであろう。

 

「いえ、痴漢をされていたのは僕のほうです」とOさんは言ったのだろうか。この点もよくわからない。

 

Oさんは非常にはっきりした話し方をするし、頭も良さそうなので、警察は詐欺罪とか麻薬の売人であるとかを疑ったのかもしれない。

 

しかし、いくら調べても警察はOさんの犯罪を見つけることができなかった。

 

3年間も仕事をしないでいる40歳を超えたホームレスの男が犯罪に関与しないわけがないという警察の常識はくつがえされてしまったのである。

 

困ったのは警察である。

 

軽犯罪法が禁じている別件逮捕の乱用をくつがえすには、Oさんの犯罪を見つけるしか手がなかったのだが、Oさんがやった悪いことと言えば無賃乗車ぐらいであり痴漢もしていない。

 

どう考えても一カ月ちかい拘留は人権問題に発展する可能性もあり、それは避けたい。

 

Oさんによれば、警察は誤認逮捕を認め司法取引を提案してきたという。

 

その内容は、

1.今回に限り無賃乗車の罪は問わないが、今後無賃乗車はしないこと。

2.そのかわり、Oさんは警察の誤認逮捕について将来にわたり一切異議申し立てをしないこと。

の2点であった。

 

おそらく警察もOさんが非常に弁が立つこと、頭の回転が速いことなどを考えての提案だったと思われる。

 

こうしてOさんはまた僕のアパートに週一回くることになり、翌朝は僕と一緒に「出勤」するようになったのだが、もちろん無賃乗車は続けていたと思う。

 

ただ今回あらためて気づいたことは、確かにOさんは犯罪を犯したり決していないタイプだなということであった。

 

Oさんの状況からもっともありそうな窃盗についても、Oさんは全く興味がない様子であった。

 

むしろ、Oさんがやるのは、例えば、古道具屋で二束三文で買ったカバンに欠陥を見つけ、それをもって製造した会社を訪問し、お詫びを受け取るといったようなことである。

 

ホームレスのOさんがサラリーマンスタイルで企業を訪問し、企業からは丁重なお詫びを受けるという偉そうなことを堂々とやるのが得意なのであった。

 

「どうかこのことはご内密に」と担当者が言い、Oさんが鷹揚にうなずく様子を想像すると笑ってしまうのだが、担当者はOさんがそれを古道具屋で購入したことを察していたかどうかはわからない。

 

こうしたクレイムは一定数あり、慣れているのかもしれない。

 

また、今回あらてめて気づいたことは、Oさんは女性との関係性の構築が苦手であることである。

 

語調も強いし妥協もしないのだが、いわゆるクッション言葉もないし、僕がみても女性とうまくやっていける面が少ないと思うので、これは、Oさんの損なところだと思う。

 

もっともOさんが女性の扱いがうまい人であれば、ホームレスではなくヒモの道を選んだかもしれないが、多くのホームレスの方々と同じく、Oさんは独立心が強い人だったのである。

参考:

浮浪罪 -「寅さんのような生き方」は法に触れるか?

平成21年版 犯罪白書 第7編/第3章/第1節/2

貧困は「犯罪」になったのか? ホームレスの台風・避難所拒否事件から考える

ホームレスが意外と高収入!?の理由

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ホームレスとアルバイト【ホームレスOさんとの交友記】 第2回 出会い

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20210617 by okkochaan