ホームレスになぜなるのか

あなたはホームレスになぜなったのですか?

 

この問いは一般人がホームレスに対して発する質問で最も多いらしいです。

 

またこの質問は行政側にとってみれば、原因を知り対策することでホームレスにならないですむ人も多いだろうという判断があると思われます。

 

ホームレスになぜなるのかという質問には、対岸の火事として他人事としてとらえている人もいれば、いかに安定しているかに見えても、足元がちょっと崩れれば自分だって同じだという危機感をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

 

人間は自分の身を守るために、ホームレスの方を対岸にいる別な人種として処理しようとするし、それは当然のことなのです。

 

確かに同じ条件で経済的な危機に陥ったとしても、ほとんどの方はホームレスになりませんので、ホームレスになぜなるのかという説明にはなりません。

 

本記事では、シリーズで書いている、ホームレスOさんとの交友記の番外編として、Oさんがホームレスになった時の状況をお話します。

 

残念ながら、ホームレスになぜなるのかという直接的な答えは出ないと思いますが、なるべく楽しく読めるように書いてみますので、お楽しみください。

 

 

兆し

当時Oさんはアパートを借りて住んでいたのですが、僕と一緒にやっていた仕事はやめてしまっていました。

 

やめたのは、Oさんの強い意志によるのですが、Oさん側の理由ははっきりしていました。

 

それは、Oさんと同時に採用された女性スタッフに我慢ができないというものでした。

 

Oさんによれば、その女性スタッフ(仮にPさんとします)は、仕事もできないくせに他の社員に取り入るのがうまく、結果的に自分よりPさんの方が評価されているとのことでした。

 

またPさんは陰でOさんについて、あることないことを言いふらし、Oさんを誹謗中傷もすれば、Oさんの功績を横取りするようなことも頻繁にあるということでした。

 

私の見たところでは、Oさんの言い分は辛く採点しても50%以上は正しいように思えました。

 

Pさんは、どこにでもいる普通の事務の女性といった印象で、特に光るものもないかわりに、仕事や会社勤務は真面目に可も不可もなくやっていました。

 

それに対してOさんは、業務への理解も深く、ポイントをとらえることが上手で、仕事には非常に熱心であり、Oさんのアウトプットしたことに対しては、すぐにフィードバックをしないといけないような人でした。

 

OさんとPさんを比較すると、どちらが役に立つかは明らかでしたが、特に直接的な成果についての評価制度をもっていたわけでもなく、結果的に仕事ができても出来なくても同じ時間給で働くというよくある状態になっていたのです。

 

Oさんのストレスもよくわかるので、僕は同僚を誘い3人ぐらいで食事をしたり飲みにいったりして、フォローしていたつもりでした。

 

お金にも困っている様子だったので、そうした飲みの場合、Oさんに負担はかけませんでしたし、その負担をかけないことが負担にならないようにも気をつけていました。

 

しかし、ある日突然、Oさんは会社に来なくなりました。

 

上司がOさんの家に行って説得を試みましたが、Oさんの意志は固く、失敗しています。

 

そして、やめて3カ月ぐらいしたころに、Oさんから連絡があり、家賃が払えないために追い出されそうになっているので、助けてくれないかと相談がありました。

 

どうやら次の仕事に就くのも難しい様子でした。僕は彼が応募してきたときの手書きの20ページにわたる職務経歴書を思い出しました。

 

盗んだバイクで走り出す 行き先もわからぬまま

 

僕はOさんの家とほぼ中間地点にある大きなDIYの店で待ち合わせをしました。

 

Oさんは、どこかで”調達”してきた自転車に乗って現れましたが、Oさんの家からそこまでは30キロぐらいはあるので、普通は自転車は使わない距離です。

 

Oさんは尾崎ファンではないので、尾崎の歌を歌いながら自転車をこいていたとは思えませんが、あの歌にあるような「自由になれた気がした15の夜」とはかけ離れた心境だったはずです。

 

盗んだバイクで走り出す
お金をと米をもらうため
自由になれない40の昼

 

そこにあったのは、とにかく生き延びたいこと、アパートを解約されないようにすることだけでした。

 

なお、このミーティングには、私の妻も彼女の強い希望で同行しました。

 

どうやら妻はOさんに興味をもったようでした。

 

また、この時点で、我々はOさんがホームレスになることは考えておらず、とにかく当面の危機回避をするためのお金と米を渡すことにしたのです。

 

またOさんもホームレスになるとは考えていなかったと思います。

 

Oさんと会った我々は、たぶんろくにものを食べてもいないだろうからまずは食事と考え、目についた回転ずし屋に入りました。

 

Oさんは20皿ぐらい食べたでしょうか。

 

もともとが、金持ちのボンボンだったので、回転ずしの薄く切ってあるハマチを始めてみたらしく、タイの刺身のように透けて見えるのに驚き、「これはハマチですか?」と言っていました。

 

そのあとコーヒーを飲みながら話しましたが、Oさんも多くの男性と同じく、女性を前にするとつい自慢話をする傾向がありました。

 

Oさんは、ゲーム喫茶の経営とゴルフショップの経営をしていたらしいですが、あるゲーム機の特許権を申請しなかったばかりに成功を逃してしまった話をしていました。

 

詳細をよく覚えていないのですが、妻がそれに対し、なにか突っ込みを入れ、Oさんがそれに反論できずにいました。

 

そのことがあってから、Oさんは妻を苦手とし、警戒するようになったのですが、妻からすれば、Oさんの、うさん臭さを見破ったと思っているのでした。

 

いずれにしても、父親の葬式には駅の改札からお寺まで行列が絶えないような家の長男に生まれ、おぼっちゃま大学を卒業して、一部上場の大手証券会社の社員となり、社内恋愛で人もうらやむような熱々状態を見せつけた後に退職して会社を作ったわけです。

 

そして一緒に退職して仕事を始めた同僚に、婚約者を取られるという事態に陥り、なぜか彼は会社をその同僚に譲ったのですが、この辺りからOさんの人生は狂ってきます。

 

そしてお人よしの僕は、Oさんに返済してもらうあてもないお金を貸し、お米をあげました。

 

突然封鎖された部屋

 

その後、しばらくOさんは僕の貸したお金と米とで食いつないでいましたが、仕事探しは相変わらずうまくいっていないようでした。

 

ある日、突然、Oさんから会社に電話があり、夜、僕の仕事が終わってから会えないかとのことでした。

 

Oさんは、これまた長い距離を有楽町まで自転車できましたが、とうとうアパートを追い出されたとのことです。

 

ある日、家に帰ってみると、部屋のドアに板張りがしてあり、釘で打ち付けられて入れない状態になったとことでした。

 

Oさんの大家さんは、家賃の一日の遅延でも許さない厳しい管理をされていたようで、Oさんはそのことも良く理解しており、家賃については、決して滞納しないように気をつけていたのですが、仕事も収入も貯えもなく、とうとう力尽きたということのようでした。

 

部屋に入れなくなったOさんは、その問題を解決することも出来ず、結局、部屋はそのままにし、それからアパートに帰らずホームレスとなったのです。

 

ホームレスになぜなるのか それはわずかな意識の差だけ

以上がOさんがホームレスになったころの出来事です。

 

あんまり面白い話ではなかったので、申し訳ありません。

 

ただ、ここで改めて、ホームレスになぜなるのか、Oさんはなぜホームレスになったのかと考えてみて、僕が気づいたことがあります。

 

それは時間軸に対する考え方の違いです。

 

ほとんどの方は、時間に対して肯定的な考え方をしています。

 

つまり、今の状態に将来なにかをプラスして、より良い状態になることをイメージして生きています。

 

学歴、資格の取得、結婚、出世、多くの収入、社会的評価、魅力的な旅行、すばらしい人との出会いなどなど、すべて、今後現れるだろうことを期待を込めてイメージします。

 

しかし、Oさんには、そうした将来についての期待が全くありませんでした。

 

僕が、その手の話をし、Oさんはどうなの?と聞いてみると、Oさんの答えは決まっていて、「いや、僕はもういい。十分です。」と言っていました。

 

未来がないのと同様に過去もなくて、よくある過去の栄光にもほぼ無関心でした。

 

あるのはただ、現在だけであり、その現在の最小限の欲求である食べ物と安全に眠れる場所の確保だけがあるという、きわめて動物に近い生活なのでした。

 

のちに、僕は週一回までと限定して宿泊と食事を提供しました。

 

そこで、Oさんと僕との間に生じる友情めいたものとかを僕はイメージしてしまいますが、それもOさんには皆無でした。

 

なぜOさんが週一回来るのかと言えば、食事と寝床のためだけであり、これはOさんからもはっきり聞いたことがあります。

 

よくある「ご恩に感謝してます」とかは絶対にOさんからは出てきませんでした。

 

ただし、これらは、Oさんが全く情をもたない動物だと言っているのではありません。

 

事実、Oさんは、僕の引っ越しの手伝いにも来てくれました。

 

この時も、ぐずぐずしている僕をリードして、仕事をてきぱきと進めてくれたのです。

 

でも、やはりOさんには自分の生活を充実されることの方が重要だったのだと思います。

 

自分の現在の自由を守ることの方が、仕事について自分を犠牲にし、当たり前の生活と一般的に思われる生活をすることよりも大事だったのです。

 

つまり、ホームレスとは、Oさんが最終的に選んだ天職だったのではないかと僕は思っているのです。

 

20210614 by okkochaan