小泉今日子さんがホームページで俳優の豊原功補さんと「同じ夢を追う同士」としたあと「一部の週刊誌などで報道されている通り恋愛関係でもあります」と書いたことが議論になっているので、僕も日頃から思っている結婚観について書きます。

 

なお、小泉さんの記述と、その後の豊原功補さんが別個に出されたコメントから不倫を認めた形になっているのでタイトルに不倫と書きましたが、お二人ともこの「不倫」という言葉は使っていません。

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改めてこの稿で問題にしたいこと

 

最近の不倫報道の多くを見ていて僕が確認したことは、「人々は不倫に興味をもっている」あるいは「不倫に興味がない人もかなりの割合でいるだろう」ということです。

 

芸能人とかアーチストとか、自分が好きな人とか作品があれば、それを生み出した人や演じた人の私生活とアウトプットである作品を結びつけたいという気持ちはとてもよくわかります。

 

それはある意味、自然な人間の気持ちといっていいからです。

 

しかし、少なくても、それが一流の作品であればあるほど、日常生活と作品とは無縁であると思った方がいいでしょう。

 

なぜなら、その作者とか俳優の日常生活は、作品にくらべれば恐ろしく平凡であるだろうからです。

 

つまり期待外れになります。

 

文春砲でやたら出てきた政治家の場合はどうでしょうか。

 

この場合は、あこがれの対象ではないので、不倫という人として行ってはいけないことを公人である政治家が行い、またデートに立場上の特権(新幹線にタダで乗れるとか)を使ったとなれば怒り心頭ですね。

 

そして、一般人にとっての不倫とは、生活と直接結びつく、場合によっては死活問題となり得ることであるはずです。

 

また子供がいれば、最も不幸な犠牲者ということになり同情もあつまるし、不倫をなさった親への批判が集中することは有名人でも一般人でも同じです。

 

そして、こうしたことに共通のキーワードは何かといえば、「結婚」あるいは「結婚制度」、そしてそれがあって初めて成立する「不倫」ということになります。






一度、真剣に検討して欲しい結婚制度

 

結局、僕が言いたいのは、日本人にとって結婚とは何かということをもう一度考えてみようということになります。

 

もし不倫というものが、これ以上問題になるのならばです。

 

不倫は重くも軽くもとらえることが可能なことですが、法的には違法行為になります。

 

だから違法行為をホームページとはいえ、一般多数に公開するというのは、意味がないと考えるし何かけじめをつけたかったのでしょうが、他人にはどうでもいいことです。

 

小泉今日子さんと豊原功補さんがこのことを理解していらっしゃるかどうか、僕には疑問です。

 

ただ、それにしても、より大事なことは、結婚制度という法律は僕たちにとってどれほどの意味があるのかということです。

 

結婚が制度である以上、当然、財産管理とか親権とかが、かかわってきます。

 

よく考えてみると、いずれにしても、結婚ということは、互いの義務と権利を手にする行為であり、非常に重い意味があるというのが現代の制度です。

 

ですが、この制度、全部変えろとはいいませんが、見直してみませんか?

 

多くの日本人にとっては、結婚とは「死が二人を分かつまで」というキリスト教的な考えをもっているわけではありません。

 

また仏教はそもそも結婚制度を重視していません。

 

結婚制度というものが、富国強兵と一緒で近代国家になるために輸入された制度であることは認識すべきだと思います。

 

もちろん明治以前に長い封建社会で島国で管理された月日があり、結婚制度というより夫婦という考え方は「家」という制度を背景に存在していました。

 

姦通罪というものも背景にあるのは「家」制度をベースとした秩序を求める側からのものです。

 

なので、近代の結婚はやはり明治からと考えた方がいいと思いますが、最近の不倫報道を見ると、そこに「罪」という観念がほとんど感じられません。

 

ただ不倫はいけない、いけないからダメ、発覚しないようにやればOK。

 

これでは、ちょっと情けなさすぎる気がします。

 

夫婦別姓を勧めたい方とか同姓婚とかを推進している方とかが切り口になる気がしていますが、結婚という当たり前にある制度を疑ってみて初めてその価値もあるいは無価値もわかるのではないかと思います。

 

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20180206 by okkochaan