今のパチンコはつまらない、そんな声すらもう出ないぐらい確かにパチンコはつまらなくなったなと感じています。
その理由も別に調べる必要もないぐらい明らかなんですが、それでもこのテーマで書こうと思ったのは二つ理由があります。
ひとつは、最近さぼっている僕のブログでもあいかわらず見てくださる方が多いのが一円パチンコについての記事だからということです。これはちょっと責任すら感じています。
もうひとつは、パチンコがつまらない理由とそもそも現在の社会の閉塞感と何か共通するものがあるような気がするからです。
偉そうな言い方で申し訳ないのですが、パチンコがつまらない理由を考えることには、なにか意味がありそうな気がするのです。
また反対にパチンコがつまらなくなかった、つまり、面白かったのはいつ頃で、どうしてなのかについても触れたいと思います。
パチンコがつまらなくてやめてしまった方のほうが多いと思われる今、まるで青春時代を思い出すように、楽しかったパチンコを一緒に思い出してもらえたらいいなと思います。
僕のパチンコ歴
僕はかれこれ50年近くパチンコを打っています。数年間子どもが小さいころだけブランクがあります。それは物理的に時間がなかったからです。
パチンコ機種でいうと、打ち始めたのが、始めて電動のハンドルが登場したころになります。
当時は手打ちがいいか電動がいいかという議論もありましたし、どちらでも打てる機種もありました。釘が甘ければ電動で問題ないのですが、やはり手打ちのほうが正確に強く打てるので良かった記憶があります。
そのころは、パチンコで勝てる人と負ける人がはっきり決まっていました。つまり釘読みや台の傾斜の見方が出来、強く正確なストロークが打てる人が勝っていて、出来ない人は負けていました。運ではなくスキルの問題だったのです。
パチンコ店についても、いい店、悪い店がはっきりしていました。いい店は客を楽しませてくれたし、悪い店はただぼったくるだけの店でした。
今では夢のような話ですが、プロもたくさんいたし、パチンコで家を建てた人もいたのです。
パチプロの方で、忘れられないことがあるのですが、それは、パチプロの中年のおっさんのところに、赤ん坊をひもで背負った奥さんがやってきて、三人でご飯を食べている光景でした。
またエレキギターを背負ってやってくるお兄さんもいました。彼はストロークの力が半端なく、いつも勝っていたし、彼が打つと店員も含めてギャラリーが必ず二、三人はいたのです。
玉の入りが悪い時には、ため打ちといって、100発ぐらいの玉を一気に打ち込んで、強制的に入賞させて台の調子をあげる方法をとるのですが、これはバネをおかしくするので禁止されていました。だから店員がいない時に、さっとやるようにするのですが、それもとてもうまかったのです。
その後、手打ちはなくなり、エレキギターのお兄さんも来なくなりました。
そして液晶画面が始まり、海物語がでてきて、バブル期と重なり、パチンコ屋も思い切り玉を出す時代に突入します。
僕の記憶では、その頃、損もするけど勝つときも半端ない金額を得ることができたと思います。
数万円使っても、いつでも取り返せるという気持ちでいました。
またこのころ、梁山泊をはじめとする攻略会社もでてきて、パチンコは現代の錬金術とまでいわれるようになりました。
その後、デジパチが登場し、さらに1円パチンコも登場しました。
そして当局による射幸性をあおる宣伝や出玉規制がなされ、現在に至るという感じです。
今は、3Dの液晶で派手な演出をするわりには竜頭蛇尾ではずれたり出玉は信じられないぐらい少なかったりして不満やパチンコ離れの原因になっているといわれています。
パチンコが一番楽しかった時間帯
40年ぐらい前の全自動ハンドルになったころのパチンコ屋の開店前が僕は一番好きでした。
近くの喫茶店に行き、モーニングを食べながらこれから打つ台のことを考えたりしている、まったりとした時間が今思うと一番楽しかったように思います。
喫茶店でまわりをみると、みんな同じようなことを考えていると思われる客ばかりでした。
開店前に並ぶのは嫌いだったのですが、それでも10分前ぐらいにそそくさと喫茶店の会計をすませてパチンコ屋に行きました。
そして、あの荘厳なラッパの音で始まる行進曲がかかり、ほどなく店長がマイクをもってお決まりのセリフを言います。
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、ありがとうございます。」
「パチンコは1に頑張り2に粘り、3,4がなくて5に根性」
もちろんほとんどの客が負けて帰るのは、当時も今も変わりません。
しかし、間違いなく言えるのは、当時は今とは比較にならないぐらいの熱く強い期待の気持ちで必勝の思いで店に入っていったということです。
決して今のように、無感動で惰性でパチンコ屋に行ったりしませんでした。
僕が考えるパチンコがつまらない理由
パチンコの本来の楽しみとは?
パチンコを考えたのは誰なのかとか知らないのですが、原点は温泉街などに昔あったスマートボール(白い大きな玉)あたりなのでしょうか?
大きな機械ですが、傾斜した盤面には釘が打たれていて穴がいくつもあり、そこに入れば入賞となって玉がでます。買ったときにはお菓子やタバコなどの景品と交換ができます。
パチンコの原点がここにあるとすれば、パチンコ本来の楽しみは玉を穴に入れる楽しみ(なんとなくいやらしい感じも人によってはするかもしれません)なのです。いろんな障害を乗り越えて玉を穴に入れる点ではゴルフと同じです。
かつてはへそ入賞で15玉が標準だったと思いますが、現在は3玉もしくは1玉もしくは0玉となっていて、ほとんど入賞以外の意味がなくなっています。
本来の楽しみである玉を穴に入れることについての喜びがあまりにも小さいということはパチンコをつまらなくしている基本的な要因のひとつなのです。
ギャラリーがいない
パチンコ屋が遊びの場としてかつてはお客同士の交流がもっとあったと思います。
台の情報交換や打ち方についてのアドバイスなど普通におこなわれていましたが、今はそうした交流も希薄になり、パチンコは一人で行き誰とも会話せず一人で勝ったり負けたりすることがほとんどになったのではないでしょうか。
かつては爆連したりすると人垣ができたりしたものですが、今はよくもわるくもお互いに干渉しなくなりました。
これはパチンコ屋の立地も多少は関係しているのかもしれません。
それまで各駅ごとに駅前にあったパチンコ屋ですが、いまは大型化し、かつ個人経営から会社経営に移行しました。
僕が住んでいるところでも、駅前に2軒あったパチンコ屋は廃業し、そのうち一軒は全国展開している葬儀屋になっているのも時代の流れなのでしょうか。
かつては、まるで運動会ででもあるかのように、重箱にランチを詰め込んでおかずを交換したりしながら仲間と昼食を楽しんだり、イベントとしてお汁粉をだしたり、一発台(必ずあたる)の抽選会をやったりしていたのですが、もうそんな店もなくなりました。
海物語も開店時に100回の時短をすべてに設定している店もあったのです。
駅前中心のパチンコ屋から現在の大型パチンコ店への変化は、田舎の町とか村とかの小さな社会から大都会の隣との交流もない社会への変化と同じだと思います。
東日本大震災の時、パチンコ屋が被災者の方たちの交流の場になっているという記事を読んだことがありますが、パチンコにはそうした良い面があったのに、日本にカジノをつくりたい人たちがパチンコをギャンブルで依存症がその人や家族を不幸にしていると決めつけ(もちろんそんな人もいますが、そうでない人も多いのに)、パチンコを一方的に悪者にしてしまったという責任は大きいと思います。
勝ててもショボイ
演出が派手なわりに、当たっても出玉が少なく、たったこれだけのためにあれだけ大騒ぎはないだろという気持ちになり、白けてしまうことが多いです。
もちろん昔のパチンコでもパチンコ屋がなりたつためには当然負けることの方が多かったのです。
しかし少なくとも当たればそれなりに出たのは確かです。
4円パチンコで確変図柄で当てれば、その瞬間に最低でも1万円は約束されていたし、閉店時に確変中であれば、2万五千円分の特殊景品を渡してくれたりもありました。
こうした客むけの還元は今やほとんどありません。
年金生活の年寄りたちは楽しいのか
現在パチンコ屋の主な客層といえば、僕の住んでいる地方都市では年金生活をしていると思われるお年寄りの方がほとんどです。
だいたいいつも同じメンバーで、海物語のデジパチを好んで打ちます。
僕は現在はデジパチは最初に3000玉ぐらい出したらやめて、よりスペックの高い機種に移動しています。
その店の海物語は玉は入らないし、あたってもショボイから長く打つ意味がないからです。
そんな不利な条件であることを知ってか知らずか、お年寄りたちは毎日います。
僕は時々、そのお年寄りたちは楽しいのかなと考えます。
なんとなく全体の印象は惰性で打っているという感じなんですが、確かなのは、ほとんどの人は負けているということだけです。
パチンコに興奮することもなく、極端に言えば当ろうが当たるまいが関係ないように感じます。仲間うちでちょっと会話するぐらいで、別に楽しそうでもなく惰性で打っている感じです。
パチンコ業界の今後を考えると、年金生活をしているお年寄りたちだけでは、とてもお店がもたないだろうと思うし、今後はますます厳しくなることは間違いないと思えます。
昔と違って、今は店員の方もみな丁寧で感じが良いのですが、お年寄りの方々をひきつけるまでの魅力をもっているわけではありません。
コーヒーサービスを朝一でして回る、きれいなおねーちゃんたちがいるわけでもありません。
そう考えると、やはり先行きは暗いと思うしかありません。
昭和レトロのパチンコ屋があるらしい
こうして今のパチンコはつまらないからできれば昭和レトロの匂いがするパチンコ屋に戻ってみたいと考えるのは僕だけではありません。
調べてみたら、やはりありました。
ただ実際に同じように営業するのは、当局の指導でできないため、時間制で料金をとるゲームセンターとしてやっているようです。
まあ昔の台を打てるのはたのしいかもしれないけど、単なるゲームで勝っても景品もとれないのでは、つまらないですね。
昭和レトロは愛好者も多いし、おそらくこれから微増していくと思います。なぜなら人間は寂しがり屋なので、昭和レトロの世界にそれを埋めてくれるものがありそうな気がするからです。
昔の台をスペック変更して当局が許可してくれるとかがあればいいと思うのですが、また特殊景品も暗号資産であるとか普及しているポイントとかにすることによって昭和レトロと現在の技術が融合した空間を創りあげることがもしできれば、全く違った世界が見えてくるかもしれないなどと妄想しています。
参考
レトロ機打ち放題!昭和のパチンコ店を完全再現 オーナーはホールも経営「大衆娯楽を復活させたい」
舘山寺温泉街のレトロパチンコ店がリニューアル 昭和や平成の20台そろえ
最近のパチンコ関連の記事
20230123 by okkochaan
まったくもって全文同意です。
イスと台の距離は昔から不変にもかかわらず2015年以降ぐらい?から
さらに液晶画面が限界まで馬鹿デカくなり、それに伴い役モノも上下左右にぎっしり、果ては台枠の外にまで。
視界に入らないっての。液晶画面の全体すら。
一点の視界の中に液晶や役モノが収まってればこそ予告などの変化も効果的と化すわけで
そんなことも分からないんですかね今のメーカーの開発部門は?
衰退したテレビゲームの開発者らがパチンコのほうにシフトしてきてパチンコも衰退させちゃった感じ。ほんとお寒い現状。
もちろん規則改正とかスペック面の問題もありますけど、台そのものに関しては「無駄に進化(つまり退化)」させたメーカーの責任でからね。
現に今でも大海SPや沖縄5のように出玉が千発以上で一律なスペックもある。
この出玉10Rスペックでもいいから、今のつまらない台しか作れない、お寒い開発人がいっさい余計な事をせずに倖田の初代や2をすべて過去のまま発売してくれれば絶対打ちますもん。
もちろん現金機時代のデジパチでも。