こんにちは、おっこちゃんです。

さっそくですが、森友学園の問題で23日に国会の証人喚問で籠池さんが「忖度
」という言葉をお使いになりました。



この難しい言葉は、もしかすると多くの日本人が意味がわからなかったかもしれないと思います。




「忖度」とは、簡単にいうと「他人の気持ちをおしはかること」です。中国では、他人の気持ちをおしはかったうえで自分に有利な言動をすることらしいです。

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さて籠池さんがどのような文脈で「忖度」をお使いになったかを振り返ります。



証人喚問で、国有地の売買をめぐり、安倍首相の口利きがあったかを問われて、籠池氏は「口利きはしていない。忖度をしたということでしょう」と答えました。


つまり簡単に言えば、安倍首相もしくは昭恵夫人が明示的な口利きはしていないけれども、昭恵夫人が瑞穂の国記念小学院の名誉校長をされているということから財務省の官僚が忖度したと籠池さんはおっしゃっているわけです。




僕は、これを信じます。




この「忖度」という言葉は、中国通の遠藤誉さんの最近の記事によれば、中国の文献では三国志に初めて現れたようです。



確かに三国志は、壮大な「忖度」の物語とみることも可能です。




森友問題についていえば、安倍首相は「役所というものは、そんなことでは動かない」、つまり「忖度」などで動くことはないと全否定されています。



しかし異例なスピードと決裁から何らかの力が働いたとみるべきだという意見は強く、籠池さんがおっしゃるように、「神風」の原動力は「忖度」であったのではないかと多くのかたは考えているのではないでしょうか。



ここは安倍首相ではなく実務を処理した役人の方々が「忖度」をしたかどうか徹底調査をすべきだと思います。

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ところで、この「忖度」は23日の夜に籠池さんが外国人記者クラブで話した際にも、欧米の方々には特にわかりずらいことだったようです。



基本が正邪、光と暗闇の二元的な世界観である欧米人にとって、「忖度」はわかりずらいのかもしれません。



皮肉にも外国人記者クラブの報道から、「忖度」のオリジナル国である中国は当然、意味をよく理解し、なぜか籠池さんを応援するという180度転換をしています。


そして、僕は、最近のニュースを考えてみた時、僕たちの世界のほとんどが「忖度」で動いていると思わざるを得ません。


たとえば、今回の森友学園が「忖度政治」であるならば、残業の問題は「忖度残業」といえるのではないでしょうか。


なんとなく上司がいると帰りずらい、もちろん帰ってはいけないなど言ったりはしないけれども帰りずらい。


そして残業してしまうということは、多くの日本人が日常的に行っていないでしょうか。



また何かについて意見を言ったり、問題について答えたりするときに、上司とか社長であるとかが自分が発言する内容について、あるいは発言することについて、どのように見られるか無意識に忖度していないでしょうか。



人間はある程度は群れていないと何も出来ないわけなので、これをきれいに言えば、「人は一人では生きてはいけない、だから人の悩みもわがことのように考えよう」という風に変化していくわけです。


そう考えると、個人のよって立つのは社会があってこそだし、その社会あるいは共同体にはベースとなる共通の価値観がなければならない、その価値観とは教育勅語にあらわれている、と籠池さんはお考えになったのかもしれません。


自由とは勝ち取るものだというのが西洋の肌に染み付いた価値観だとすると、日本人にはそれがない。だから戦後の民主主義とは日本人にとって一体なんだったのかという話になるし、閉そく感が生まれたのもその共通の価値観が失われているからだと考えたのではないでしょうか。



そこで教育が重要になってくるというわけです。


しかし、僕は少なくても「忖度政治」とか「忖度残業」とかからは完全に自由でありたいと考えます。


籠池さんは、しかし誰とも群れず一人で戦っているところは、考えは違いますが尊敬します。




今、籠池さんがそれでも尊敬すると言っている安倍首相と昭恵夫人は、人としてどうなのかと問われているのではないでしょうか。



20170329 by okkochaan