ドン・キホーテ 小説 感想
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ドン・キホーテの話を何となく知っている方は多いと思います。

 

しかしあの長い小説を通読した方となるとかなり少ないのではないでしょうか。

 

ここでは、小説ドン・キホーテを紹介し、ちょっとでも興味をお持ちになる方が一人でもいればと思っています。

 

ただ他の小説でもそうですが、ネタバレ的なものは極力少なく書こうと思います。

 

それは、もしあなたがこの小説を読むときに少しでも雑音が入らないようにして欲しいからだし、僕自身ネタバレを書くことにも読むことにも全く意味を感じないからです。

 

何といっても、実際にこの本を読むのがベストだし、この本は、読まないことで人生の大きな損失になるぐらいの価値があるのです。

 

ただ、もし読書の習慣がないけど、たまにはまとまった読書をしてみたいと思ったならば、この本を僕はお勧めしたいと思います。

 

堂々たる古典でありベストセラーであり、数知れない作家も愛読してきた小説なのです。

 

ネットの世界や動画に新たな生命を吹き込むのは、現在あるコンテンツなどを参考にするよりも、こうした古典に親しむほうが近道かもしれないと僕は考えています。

 

これらを踏まえて、ドン・キホーテ的なものとは何を指すのか、そして現代の日本でドン・キホーテ的に生きることが大事だと思う点について書きました。

竜頭蛇尾にならないきわどいライン

僕は子供のころに絵本でドン・キホーテを読みました。

 

そして、風車の絵とそれに立ち向かうドン・キホーテの様子はいまでも覚えています。

 

この話は、小説の早い所で出現します。

 

また冒頭の騎士道物語に読むふけり過ぎたあまり、脳みそが干からびてしまい、現実世界と騎士道世界の区別がつかなくなったという設定により、この物語の方向は定められました。

 

おそらく、この着想を得た時のセルバンテスは、さながらアルキメデスが風呂場で発見した時ぐらいのものがあったのではないでしょうか。

 

当時の騎士道物語は、ちょうど戦後復興期のころの日本の少女漫画が、ある一定の形をもっていて、そのファンもいれば主に男性から少女漫画みたいだと馬鹿にされてもいた状況と似ています。

 

こうした物語はいつの時代でも需要があるように思います。

 

例えばあの水戸黄門が結末はわかっているのについ見てしまうのと同じです。

 

ドン・キホーテは騎士道物語という流行の背景から、そのパターンを否定し、あらたな価値を作り上げたと言えます。

 

騎士道物語と違って、ドン・キホーテは美男子ではない50歳のくたびれたおっさんだし、愛馬のロシナンテは農耕馬であり、意味としては「駄馬のなかで一番の馬」という意味だそうです。

 

こんなさえない主人公のパターンも今では普通にありますよね。

 

僕が、今思いついたのは、小林よしのりさんの「おぼっちゃまくん」ですが。

 

そして従者であるサンチョ・パンサも影のように付き添うわけではなく、冗舌なおしゃべりであり、心の友であるロバに乗っています。

 

騎士が持つ思い姫であるドルネシアは豚の塩漬けを得意とする農婦ですが、ドン・キホーテは見たことすらないときています。

 

この登場人物のキャラとその布陣により物語の骨格は出来上がったと言えますが、そうだとしても、これはちょっと油断すれば即、通俗的な話に落ちる可能性が高いものです。

 

それをかくも長い物語にし、スペイン人の典型までおしあげたのがセルバンテスの才能なのです。

 

 

ドン・キホーテとサンチョ・パンサの会話の魅力

ドン・キホーテは文庫本でいうと前編3冊、後編3冊という長い小説です。

 

細かな章にはそれぞれ長いタイトルがつけられていて、そこでどのような冒険があるのか書かれています。

 

主人公はもちろんドン・キホーテですが、実は従者のサンチョ・パンサも主人公並みに重要です。

 

そして、その主な理由はこの小説のかなりの部分がドン・キホーテとサンチョ・パンサの会話で成り立っているからです。

 

サンチョ・パンサは水戸黄門のうっかり八兵衛のイメージ。

 

しかし絶対にわき役ではなく、準主役といっていいぐらい高い頻度で登場しています。

 

多くの場合、頭がおかしくなったドン・キホーテのおふくろ役といったところで、常識的な判断に従って行動していますが、ロバへの愛情とか後編で嘘ではありながら領主になったときの話など、実に幅広い面ももっているのです。

 

会話としては、サンチョがボケ役であり、ドン・キホーテがツッコミ役となり、ドン・キホーテは騎士道物語や古典文学の知識と己の信念をもってサンチョに訓戒めいた話をするといった展開となっています。

 

まあ、こう書くとつまらなく思われてしまうのですが、そのやり取りのディテールのひとつひとつが実に実に面白いです。

 

 

後編のユニークさ

 

ドン・キホーテという小説が前編・後編の2部構成になっていることはすでに書きましたが、この後編は前編にも増してユニークであり、これが400年も前に書かれた(日本では関ヶ原の戦いなどをしていたころ)とは信じられないほどです。

 

しかし、同世代のイギリスにシェークスピアという文学・演劇の神様がいたことを思えば、驚くにあたらないことなのでしょうか。

 

後編ではドン・キホーテの狂気は影をひそめますが、すでに前編の小説が出版され、ドン・キホーテとサンチョ・パンサは有名人になっているという設定なのです。

 

「俺たち有名人になったんだって??」という感じです。

 

そして、小説を読んださる侯爵夫妻がドン・キホーテとサンチョ・パンサをからかってやろうとして滞在させたりします。

 

偽ドン・キホーテも出てくるし、さらにドン・キホーテの偽物語も出版されていて、ドン・キホーテが激高したり・・・。

 

いやもう、本当に面白いです。

 

 

君もドン・キホーテになろう

 

この小説を読んで、自分もドン・キホーテのように生きられたらと思った人も少なくないはずです。

 

かくいう僕もそうです。

 

そうなるためには、ドン・キホーテ的とは何かということを理解する必要があります。

 

僕が考えるドン・キホーテ的なものとは以下のようになります。

 

一人の姫への思いをつらぬく

ドン・キホーテは会ったこともない農婦ドルネシアを徳と美貌を兼ね備えた女神のように崇拝し、毎晩祈りをささげます。

 

もちろん、騎士道の定めに従って、騎士たるものかしずく姫がいなければならないという発想が初めにあったからです。

 

そして弱気を助け強気をくじくという騎士道の目的に邁進できるのもドルネシアがいるからだと信じて行動します。

 

ドン・キホーテ側の勝手な思い込みで、旅先で女性に惚れられた(実は錯覚とか策略)時でも、ドルネシアがいるからという理由で断っているのです。

 

これは、ずいぶん不自由な気もしますが、ドルネシアがドン・キホーテの使命とか信念が具現した象徴ととらえれば理解できるかもしれません。

 

使命や信念であれば、簡単に曲げることはできないし、それはドン・キホーテの存在理由にかかることになるのです。

 

兵士が戦地に行くのも国のためというより、愛する家族や母親のためなのですから。

 

計算された狂気をビジネスに生かす

前編で、風車を魔法使いがあやつる巨人と誤認して突撃したり、羊の大群を敵の軍隊と誤認して突撃したりしていますが、これらの冒険はまずドン・キホーテに、騎士にとって、冒険が向こうからやってくるという考えがあるからです。

 

そしてそれを止めるサンチョ・パンサ。

 

この構図をビジネスに置き換えると、常にあらたな挑戦をしていく経営者(リーダー)とそれを支える幹部との関係にも見えます。

 

経営者(リーダー)にとって最も大事なことは、挑戦する心であって、頭脳は二番目です。

 

現代でいえば、記憶や演算はコンピューターにまかせればいいので、本当に重要な仕事はアイデアの発想であり、その実行力なのです。

 

そして、それを支える人や環境があればいいわけです。

 

逆にいかに頭が良くても、挑戦する心が欠落していれば見込みなしと思うべきでしょう。

 

本質をひたすら見据えて目をそらさない

旅館が城に見え、旅館の経営者が城主と奥方にみえるのは風車の場合と同じこっけいな誤認なのですが、本当にそれだけでしょうか。

 

小説のなかで、ドン・キホーテは物には2面性があり、眼に見えるものと眼に見えないものがあるといった意味のことを言っています。

 

そう考えると、ドン・キホーテの脳みそが干からびてしまったのではなく、狂気にも一定のロジックがあるように深部での演算がCPUでなされており、その表出であるとも考えられます。

 

つまり、風車はドン・キホーテが巨人と観た時点で、風車という属性を離れて、巨人になったのです。

 

風車は権力であるとか、巨大企業であるとか、人々の偏見であるとか置き換えることが可能ですが、共通していることは、非常に強い相手であり、それにあえて戦いを挑むのはおろかな行為だという一般的な認識があることです。

 

ですが、本質をみるとドン・キホーテが正しい場合があるかもしれません。

 

後編で、ドルネシアを探しに行ったサンチョ・パンサが結局さぼってしまい、たまたま向こうからやってくるどこから見てもブサイクでがさつな農家の娘をドン・キホーテが会ったことがない思い姫、ドルネシアだと偽る場面があります。

 

ドン・キホーテも偽ドルネシアを見て、さすがにショックだったのですが、その後、例によってドルネシアは自分の敵である魔法使いの手によって姿を変えられてしまったので、その魔法を解かなければならないと考えます。

 

僕はこの考えに至ったドン・キホーテが偉大だと心底思っています。

 

さらに、驚くべきことは、この信念の強さによって、嘘をついたサンチョ・パンサすら、ドン・キホーテの言葉を信じるようになっていくことです。

 

この信念のパワーはすごいと思いませんか。

 

最後に

以上、ぐだぐだと書いてしまいました。

 

でも、結局僕が言いたいことはただ一つです。

 

ドン・キホーテを読みましょう!

 

これに尽きます。

 

文庫で6冊、図書館で借りてでも読んでみてください。

 

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20191001 by okkochaan