新型コロナ家での過ごし方
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新型コロナでできるだけ外出をしないで家にいるように言われていますが、みなさまはどうお過ごしでしょうか。

 

ほぼ100%に近い方々が、これほど家から出るなと言われたのは始めての経験だと思います。

 

サラリーマンの方はテレワークにシフトし、非正規雇用のかたの多くは雇止めにあったり、商売をしている方は収入が途絶えてまさに息の残りをかけての不安な状況です。

 

ただいずれの場合でも、多くの方は家にいる時間がこれまでより長くなっていると思えます。

 

この状況をどうとらえ、どうポジティブに考えて乗り越えていけばいいか、僕なりに考えたことを書きます。

考えを変えて、積極的に家にいる状態を創り出す

まず最も重要だと思うのは、「家にいなければいけない」という考えから自由になることです。

 

「不要不急の外出を避けて家からでないように」という強い努力義務が課されているのですが、強制されると反抗したくなるのは人間というより動物の本性ではないでしょうか。

 

少なくとも半強制に近い状況であることは事実ですが、ここは開き直ったほうがいいと考えます。

 

つまり強制されて家にいるわけですが、あえて自分が選択して自分の意志で家にいると思い込むということです。

 

実際に日本の場合は、外出しての罰金などありませんので、半強制ぐらいの状況ですから、自分の意志で家にいるといっても間違いではありません。

 

しかも、このちょっとした思考の転換が大きな違いを生む可能性は高いです。

 

現在、動画などで家にいて退屈しない方法がいろいろ出回っています。

 

それは、あくまで家にいることが強制されていて不自由であり、欲求不満やストレスをためたりするであろうという前提のもとに作られています。

 

これは、本来であれば自由に旅行にいったり飲み会にいったりイベントに参加したりという活動を制限された不満をまぎらわしたり、時間つぶしをしたりするにはどうすればいいかという発想からのものです。

 

そうではなく、自分から進んでその状態に入るのであれば、それは退屈などという概念は入り込む余地がないはずです。

 

外出禁止は禁煙に似ている

上記は、あくまでも理想論です。

 

実際には、さまざまな欲求がもたげてきて、時として強い誘惑になり、難しいのはよくわかります。

 

なかでも、人と会えないこととか、毎日会社に行っていたことが、本当はつらいことも多かったはずなのに、なつかしく思い出されたりします。

 

こうした気持ちは押さえても無理なので、常に戦い続けなければなりませんが、僕が思うに、この家にいて我慢している状態はちょうど禁煙とよく似ていると思います。

 

禁煙の場合、失敗するのはほとんど最初の1週間でのことで、そこを乗り切れば、徐々に楽になってきます。

 

同じように、家にいることも1日1日を乗り越えていくことで、あたりまえの状態になっていきます。

 

もちろん、常にいろんな方向から(とはいってもすべてはあなたの脳内での出来事ですが)反発がでてくるのは必至ですが、その気持ちを払いのけるのはだんだん楽になってくるわけです。

 

そして重要なのは、こうした対決(家から出たい気持ちとの闘い)に心を奪われることなく、別な目的を探し出すことなのです。

 

コロナ自宅待機は自分の棚卸をする良い機会

体操をしたり歌を歌ったり、本を読んだり、料理をしてみたりとかいろんなことが自宅でやることとして言われています。

 

それらを手段としていろいろやってみることは良いことだと思います。

 

ですが、もしこうした回り道をしないことができるのであれば、あなたのこれまでやってきたことについて、よく考えてみる絶好の機会ではないでしょうか。

 

それは、「自分の人生とは何だったのか」「自分は何のために生まれてきたのか」という問いを発することです。

 

たしかパスカルがパンセで言っていたように記憶しているのですが、「人間の不幸は外出することで始まる」という言葉があります。

 

つまり、外出は仕事を含めて、すべて「気晴らし」なのであり、ごまかしであって、本来の自分と向き合うことからの逃げであるというわけです。

 

よくよく自分を観察してみると、仕事、友人、会社、何らかのサークル、結婚など、必然であるものはなく、すべてが偶然の寄せ集めであることに気づかざるを得ません。

 

だからこそ「袖振り合うも他生の縁」として大事にしなければならないという論理や感情も生まれるかもしれないのですが、その作業は偶然を必然としてみるという強い意志を伴ったものなのです。

 

もし外出が気晴らしでないことを証明しようとすれば、人との関係の偶然性を必然に高められていなければならないと思います。

 

社会との関係が偶然の産物であるにもかかわらず、「袖振り合うも他生の縁」まで高められるかどうかは、自分とごまかしなしに向き合うことができるかどうかにかかっています。

 

そして、これは、怖いことでありできれば避けたいことでもあります。

 

だから、ほとんどの人は「用事」を作って、仕事にでかけたり人にあったりしてごまかすことで生きています。

 

ごまかすことが悪いのではなく、そうでもしないと怖いということが本当のことではないかと思っています。

 

最後に

なんだか偉そうな法話みたいになってしまい、自分でも驚いています。

 

と同時に、これらは僕が僕自身に向かって言っているんだなとわかりました。

 

コロナを契機に思うことがいろいろあるのですが、例えば人間の体温はみんな同じなんだという当たり前のことに感動したりしています。

 

人間はホモサピエンスで統一されていて、人種間の違いなど微々たる違いなのだとあらためて認識しました。

 

なぜなら37.5度という体温の目安が共通しているわけだし、コロナからみれば何の違いもないことだからです。

 

僕のお勧めの自分発見のために家でやることについては、別の記事で書きたいと思います。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

20200420 by okkochaan