ブログ 良い記事

最近、僕はブログで良い記事を書こうとするほど悪い記事になることに気づきました。

 

これは直観的にわかったことなのですが、僕には真実であるように思えます。

 

僕は、この発見が、僕と同じようにブログの記事を書くことで悩んでいる方の参考になるかもしれないと思うので、ここに共有したいと思います。

ブログとは何かをあらためて考えてみた

 

ブログはいろんな目的でやっていることと思います。

 

ちなみにブログという言葉は、Web Log から来ているので、それが個人のリマインダーであり他人が読んで読みづらい場合があるとしても基本的には自由であり、公序良俗に反する内容でないかぎり問題ありません。

 

ブログはこれからも、いろんな変遷をすると思いますが、その歴史は浅く、日本では普及してからまだ20年もたっていないのです。

 

しかも、もともと英語圏で始まったブログは、この20年で、日本風に矮小にゆがめられた感があります。

 

特に、日本語でしかネットの記事をご覧になっていない方は、たとえ読めなくても英語圏のブロガーのサイトをご覧になることを強くお勧めします。

 

僕のお勧めは、アメリカ人のEric Bakerさんのブログ、Barking Up The Wrong Tree です。

 

これはブログに限らないことですが、英語圏の方がかかれる記事は、非常に丁寧に文字数が多く費やされています。

 

バーカーさんのブログは書籍にもなっていて、下記の記事で案内もしていますので、興味あればごらんください。

 

成功法則のバイブルといっていい本【残酷すぎる成功法則】

 

バーカーさんのブログは、中身がすかすかの日本語のブログとは比べ物にならないし、日本でブログで稼ごうと考えている方向けに教えられていることとは徹底的に真逆のことがあります。

 

例えば、日本ではスマホの読者が読みやすくするために改行を多くとれとか、センテンスを短くしろとか言っていますが、Ericさんの文章はどちらでもありません。

 

また記事の初めに写真を入れるぐらいはしていますが、あとは徹底的に文章であり、読み通すには多少の根気がいるかもしれません。

 

では、日本でのブログは英語圏で生まれたものを日本風にカスタマイズされたのでしょうか。

 

僕は、この点は疑問に思っています。

 

意外に少数の人たちが、現在のブログの形を作ってしまい、あとに続く人が、それをまねているだけかもしれません。

 

20年前といえば、中身がスカスカでもキーワードさえ合えば簡単に上位表示が取れました。

 

従って、記事の内容よりは、いかに早く話題のニュースについて書いて出すかだけがポイントだったのです。

 

その時代に成功したノウハウは、現在、全く使えないばかりか、ブログが内容がないという理由で圏外に飛ばされているのです。

 

僕は日本語のブログにもいい点はたくさんあるとは思いますが、日本風にカスタマイズ(Televisionを省略してテレビといったり簡略な表現を作ると同じような意味で)された面も多々あるに違いないと思います。

 

そして、日本のブログばかり見ていると、不自然なぐらいお行儀が良くなり、そこでブログで良い記事を書こうとするほど結果が悪い記事になってしまうというトラップがあるのです。

 

実はこのところ1か月ばかりですが、僕はブログが全く書けませんでした。

 

悪いことに、書こうという気持ちすら起きない状態になりました。

 

もし毎日、記事更新をなさっている方がこれを読んだら、いいわけにしか聞こえないかもしれません。

 

しかし、この一か月の間、僕は書けない(書かない)理由を考えていました。

 

その間、僕は本の世界にどっぷりと浸っていましたが、本が与えてくれる内容の濃さとネット上で読む記事やメルマガ、ネットビジネスなどの決まりきった平板な表現と比較して、「僕にはインターネットなど不用なのではないか」とまで思うようになっていました。

 

それほど本が僕に与えてくれるものとネット上で得られるものとには差があったのです。

 

本が与えてくれる奥行きのある世界は、それだけで完全なものと思え、一方でパソコンから流入する情報は、どうでもいい軽薄なものと思えました。

 

YouTubeの動画は常に舌足らずであり、映像は映像に過ぎずなんらの感動もありません。

 

僕は人類の得た伝達ツールとして、本が頂点にあり、その後はテクニカルな進歩はしても内容は貧弱になってしまったと考えました。

 

そしてそのネットの貧相な世界にわざわざ戻る必要などないように感じたのです。

 

特にネット世界の悪い点は、一つのことに没頭することを阻害する要因にあふれている点です。

 

たったのワンクリック、スワイプだけで、目前の世界は消え失せます。

 

「どうせまた検索すればでてくる」「もともと内容がない」などの理由で、まさに情報を消費している感覚です。

 

これでは、まるで触覚だけで生きている昆虫となんら変わる点がないのではないかと思いました。

 

そんなことを考えながら、それでもブログへの思いが捨てきれずに悶々としていたのですが、僕は、僕自身が陥った迷妄に気づきました。

 

それは本当に単純なことなのですが、僕にとっては大きな発見でした。

 

その発見は、同時に、それまで僕が踊らされてきた迷信をも打ち砕くものでした。

 

以下、僕が発見したことを、一般に流布されている誤った考えとからめて書きます。

 

ブログを書くうえでおちいる間違った認識

ブログで良い記事を書こうとする間違い

僕は、ひところ、人に会えばブログを書くことを勧めていました。

 

悩みの解決、経済的な自立、仕事上の悩みなど当時の僕に言わせれば、すべてがブログを書くことで解決すると信じていたのです。

 

この考えは今でも変わらず、「どうしてこんなに簡単には始められるのにやろうとしないのだろう」といつも疑問に思っています。

 

しかし、せっかく自分のブログ、他の誰でもない自分のブログを始めたのに、ネット上や情報教材に書かれているブログの書き方を学んだりするせいで、あなたにしか書けない記事ではなく、不特定多数の誰が書いても同じような個性のない記事が量産されていないでしょうか。

 

現在のSEOでの上位表示のために、キーワード選定とか形式とかに(それらは決して間違ってはいませんが)必要以上にとらわれてしまい、最も大事な読み応えがあり読者の心に響くようなコンテンツから遠ざかってしまいます。

 

その結果、読者はつまらなく感じ、離れていってしまうばかりでなく、書き手もあきてしまいブログを辞めてしまうのです。

 

なので、僕の結論としては、まずは読者が読んでよかった思える有益な記事を書くことに徹するべきであり、SEO対策とかキーワード選定は、少なくとも当初は無視して書いた方が良いということです。

 

あなたのブログを楽しみにしてくれる貴重な読者を一人だけでも獲得することに専念しましょう。

 

そのためには、「良い記事」などという一般受けするものを目指し、お手本のテンプレートを意識して書くのは間違いで、ひたすらその読者のためを考えて書くことが重要と考えます。

 

その方にとっての有益な情報、有益なアドバイス、多少の独断と偏見が入ってもかまいません。

 

ただ、その一人の読者に向けて、その人のために書き、良い記事を書こうなどと思わないことです。

 

そこで初めて、あなたにしか書けない、本当の意味での良い記事がゴミ箱の底で光っているダイヤモンドのように生まれてくるのです。

 

人の意見を鵜呑みにする間違い

他人が書いたノウハウとかセミナーでの話とかは、必ず一旦は自分のなかに取り込み、十分に消化したうえで発信しましょう。

 

よく人の意見を聞かないと何も決められない人がいますが、その状態では情報発信は難しいです。

 

それは、その人に能力がないのではなく、その人がこれまで受動的な生き方をしてきた結果にすぎません。

 

自分が実際に試してみたり、他人の意見に疑問が生じたら徹底的に調べる習慣をつけましょう。

 

一般的なブログの書き方は進路を狭める

最近は、ブログもテンプレートがたくさん出てきて便利な面がありますが、僕は基本的にテンプレートは使いません。

 

もしそのテンプレートがあなたの表現方法や論旨の展開のしかたにマッチしており、そのテンプレートを使うことで、文章がよどみなく出てくるものであれば、良いテンプレートと言えると思います。

 

しかし、世に出回っているテンプレートで、そのようにマッチしたものにはなかなかお目にかかれないと思います。

 

結局、テンプレートは表現を助けるというよりは、こじんまりとまとめてしまう方に力が働くことが多く、実はあなたの大事な読者があなたの言葉で語られることを期待している黄金のようなポイントさえも、平凡にこじんまりとまとめてしまうことが多い印象です。

 

これは、ものすごく残念なことです。

 

ブログ、論文、小説、評論、社会記事などポイントをまとめることがあなたの使命であれば、それでいいわけですが、僕はそんなものを目的にしていないし、第一、僕の読者がそんなものを期待していないと考えています。

 

そうではなくて、ある事柄、それがたとえ商品の紹介であっても、あなたの視点で読者の痒い所に手が届くぐらいの丁寧さとわかりやすさで解説して欲しいと考えるべきだと思います。

 

これは、最近のグーグルの検索順位のアップデートを考えても、時流にあった方法だと思います。

 

同じような記事は二つはいらないので、そのような記事は無駄なばかりかサイト全体の評価を下げるほうに働きます。

 

 

読みやすい記事とは改行が多い記事ではない

ブログの書き方で、僕がいつも疑問に思っていることは、やたら改行を多くしたり、文章を短くしたりすべしと書かれていることが多いことです。

 

同時に小説家のような立派な文章を書く必要はないので、文章力がなくてもブログは大丈夫と読者におもねったようなことはよく言われています。

 

しかし、この比較と結論には大きな間違いがあります。

 

まず、小説家は、彼(彼女)が偉大な芸術家であればあるほど、必ずしも凝った文章を書いているのではありません。

 

そうではなく、むしろ子供でもわかるように書いているのです。

 

小説家はいかに風貌が深刻な顔をしていようとも、そのベースには読者を楽しませるという配慮が必ずあるし、子供向けには童話を書いている作家も多いことからもわかります。

 

従って、僕の主張は、小説家のように立派な文章が書けるようになることを目指せです。

 

そして良い文章とは、難しいとってつけたような言葉を使わず、こなれた言葉を工夫して使いながら、読みながら論旨の把握に困難を感じることなく流れるようにすっと頭に染み渡るような文章と考えています。

 

もちろん、こんな文章は一朝一夕では書けないかもしれません。

 

しかし、そのポイントは常に心掛け、工夫してたくさん書き、読むことで培われていくものではないでしょうか。

 

これを表面的にだけとらえて、やたら改行を多くし、中身はスカスカで、また変になれなれしかったりする文章が僕は嫌いです。

 

逆に、一見文章がつまっていても、一行読んでみるとそれが次に自然につながり、それがまた次にと言った具合に続き、気が付いてみたら読み終わっていたという文章を理想とします。

 

そして、その記事を支えるものは、記事の独自性であることは言うまでもありません。

 

記事に書き方での間違い

テンプレートを使っての記事については、すでに述べましたので、それ以外の細かな点について2点書きます。

 

写真や図は必須物という間違い

ブログをビジュアル的に惹きつける、そのとっかかりとして、写真があったほうが良いというのはわかります。

 

また説明の手段として図があったほうがわかりやすいのも確かです。

 

ですが、僕はあえて言いますが、これらを必須物と考えることは間違いだと思います。

 

その理由は、読者は必ずしも写真や図を求めていない場合も多いからです。

 

マーケティングの考え方として、砂漠の真ん中にお店をだしても誰も来ないから繁華街に出店すべしという考え方があります。

 

これまたもっともな話なのですが、ここには、鋭い方なら気づいていると思いますが、暗黙の論理の飛躍があるのです。

 

つまりここでは、需要(読者の読みたいという需要)と供給(記事の提供)という考えだけが示されていて、記事の質と内容については、一切触れられていないのです。

 

結局、たくさんの検索件数があるキーワードを使ったり、そんな協力なキーワードでは上位表示はできないから、複合キーワードを使って上位表示を狙えという単純なことしか言っていないのです。

 

もし複合キーワードをうまく使って上位表示できたとしても、その記事が他人の受け売りであったり、内容が薄いものであれば、検索してせっかく来訪してくれた方もすぐに離脱し、二度とサイトを訪問しようとしないでしょう。

 

この時、サイトのタイトルとか写真とかは印象に残っていたりするので、すぐに「あ、あのくだらないサイトだ」と気づかせるための効果が写真によって得られることぐらいです。

 

僕は出店場所にこだわるなと言っているのではありません。

 

しかし、今、一番大事なのは、商品として出品するもの(商品の案内とか読ませる記事とか)にこだわることがはるかに大事で、それができて初めてSEOやキーワードを考えるという順だろうということです。

 

ちなみに、SEO対策やキーワードなど、サイトの順位をあげるための作業(適切な写真や図を描いてもらうなども含む)は慣れたひとに依頼するということもありだと思っています。

 

毎日一記事書くべきという間違い

毎日一記事を書くということを強調する方がいらっしゃいます。

 

毎日一記事を書くことの最大の効果は、習慣化できることでしょう。

 

もし生活習慣のなかにブログを書くことを取り込めないのであれば、やってみる価値は十分あります。

 

ですが、これは個別にカスタマイズすべきことではないかと思います。

 

なんでもいいから書き続けるということも悪くはないですが、少なくとも僕には向いていません。

 

それは、時として、虚しさとの闘いの様相を帯びます。

 

そして、結果、ブログを辞めてしまった方が、どれほど多いことかと思います。

 

ブログを書き続けることは大事ですが、毎日必ずまで自分に強制するかどうかは、100記事ぐらい書いたあとでもいいので、自分のブログを書くスタイルを見つめなおしてみることをお勧めします。

 

僕の結論としては、「死ぬまでブログを書き続けろ」であり、ブログの継続以上に重要なことはありません。

 

毎日一記事書き続けるほうが合っている人もいれば、そうでない人もいるはずです。

 

記事の性質によっては、数日かかる場合だってあるでしょう。

 

もちろん、習慣化して午前中にかならず3000文字を超える記事を書ければベストかもしれませんが、無理をしてブログを辞めてしまうぐらいなら、そんな意味のない目標は立てないことをお勧めします。

 

 

量か質かという意味のない議論

 

よく言われる記事の質と量とどちらが大事か、あるいは、どちらを優先すべきかという問題についても触れておきたいと思います。

 

僕はこの話は不毛だなといつも思うのですが、この質か量かの話は、ブログ初心者と何年もブログを書き続けている人とでは当然違うのです。

 

そしてまた、結論を言えば、どちらも大事なので、あえて言えば、質の良い記事をたくさん書けとならざるを得ないのです。

 

成功した人の話から質と量の関係を類推することは簡単にできます。

 

ビートルズが成功するまで1000回を超えるどさ回りコンサートをやったこともそうだし、小説の世界で言えば、作家の全集を図書館などで眺めてみてください。

 

その世に知られる作品一つを書くために、どれほど多くの作品を書いているかを具体的に知って欲しいのです。

 

それでも、あえて言えば、良い記事を書く、つまり質にこだわって欲しいと思います。

 

それはなぜかというと、問題意識のない記事は無意味だし、発展もないからです。

 

問題意識があれば、おのずと対象に対して、様々な角度から観察することになり、それは記事に広がりと深みをもたらしてくれます。

 

そして良い記事を書くという意識にとらわれすぎると、結果的に悪い記事になることは、この記事で書いた通りです。

 

本当に大事なただ一つのことは、自分をさらけだすこと

お笑い芸人のアキラ100%さんは、すっ裸で登場して人気ですが、それを思いつくまではお客が笑ってくれなくて悩んだそうです。

 

そして裸で舞台に出て笑ってくれた体験を思い出して、裸の芸を思いついたそうです。

 

「ブログにそこまでの覚悟は必要ないでしょ」ともしあなたが思ったなら、あなたのブログもそこまでにしかなりません。

 

つまり成功する前のアキラさんと同じです。

 

これは、自分から胸襟を開かなければ、何を言っても相手の胸に響かないということと一緒です。

 

またあなたのブログは、ただの暇つぶしとしか見てくれないでしょう。

 

「文は人なり」という言葉は、ブログでもあてはまります。

 

あなたの知能程度、経験値、思考力、思考傾向、生活信条など、どのみち記事を書き続ければごまかせることではありません。

 

ならば、むしろそれを逆手にとって、積極的に自分をさらけ出すようにしてみると良いのではないでしょうか。

 

ブログを書いていると、ブログを書かない人がなにを考えているかわからなくなる時があります。

 

自分が当たり前に呼吸をするように行っているので、単純に不思議になるのです。

 

そこで思ったのは、僕がブログを人に勧めて、相手が興味がありながら不安が勝って、やろうとしない時のことです。

 

僕はその人たちに情報発信するものがないとは思いません。

 

ただ、何かしら強い抵抗があることは事実で、それが何なのか、今でもよくわかりません。

 

少なくとも「沈黙は金」と考えているわけではなさそうです。

 

必要以上にハードルを高く考えてしまっているだけかもしれません。

 

しかし、僕は、そうした発信しない人たちのことを常に考えています。

 

その人たちが、「言いたいことや感じていたことを代わりにいってくれてありがとう」と思ってくれることを願いつつブログを書いているのです。

 

結局、小説家とか芸人とかも同じだと思いますが、自分をさらけ出せるかどうかがポイントだと思っています。

 

 

ブログは芸術になれる

 

まず、この長い記事をここまでお読みいただいたことに感謝します。

 

久々に書いているので、文字数の感覚も少しずれてしまい、複数の記事で段階的に扱うべき内容を一気に書いてしまいました。

 

最後に、僕にとってもブログの位置づけということを書きます。

 

僕はブログというものが、今後さらに発展し、芸術になり得るものだと思っています。

 

仮に芸術的に完成された作品が頂点にあるピラミッドを考えるとすると、日常生活とか個別の人生、人との出会いや別れなどは、その底辺の母体になるのだと思います。

 

ブログはどうかというと、作品化する前の、中間地点にあるのではないかと思います。

 

なぜなら、意図的に言語化された時点で、それは、半分以上、書き手を離れ、独立して歩き始めるからです。

 

それに、過去のすぐれた芸術というものは、その時代の最新のツールを使う中から生まれました。

 

過去の功績に依存することなく、新しい価値を創ったのです。

 

そう考えると、ブログは、商品の紹介とか個人の雑記にとどまらず、読み手に感動を与えるものへと発展する可能性を十分に秘めているのです。

 

それは、すなわち芸術になり得ると言えます。

 

どうか、これをお読みいただいた方は、ブログという概念を一旦、白紙にもどし、とりあえず自分が使える情報発信のツールとだけとらえてなおしてみてください。

 

ピカソの「青の時代」といわれる青の絵の具ばかりで書いた一連の絵画は、当時のピカソにお金がなくて、安く手に入るのが青の絵の具だったからと聞いたことがあります。

 

それと同じように、現在の発信手段として安価で運営できるブログをぜひお持ちになり、自分だけの発信を始めてみませんか。

 

それは大げさではなく、あなたの人生を変える可能性を秘めているのです。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

感想などぜひお聞かせいただければと存じます。

 

 

20190823 by okkochaan