書名:めくらやなぎと眠る女
発行:2009年11月25日
著者:村上春樹
発行所:株式会社新潮社お勧め度:★★★★★ぜひ読んで欲しい
村上春樹さんのおすすめは何かといわれれば、まっさきに挙げたい本がこれです。
短編集でありながら、500頁あり、十分すぎるほどの読みごたえがある本です。
村上春樹さんのファンは多いですが、僕は長いこと、その魅力が今一つわかりませんでした。
なので、正直、この分量を読み切れるか自信がありませんでした。
僕の読書法はかなり幼稚な方法です。
簡単に紹介すると、3冊から5冊の本をいつも同時に読み始めます。
5冊なら5冊を平積みして、上から読み始めます。
ちなみに、ジャンルから何から滅茶苦茶であり、英語の本の場合もあります。
そして眠くなるとか、飽きたりすると、その本を一番下に移動し、2冊目に移ります。
面白く楽しく読めない場合は、読む時期の問題とか僕自身の受け入れに問題があると考えるからです。
しかし、実際問題、僕はわりと飽きっぽい性格なので、一気に読みきることはあまりありません。
そうやって、順繰りに読んで、また初めの本に戻ると、興味を持って読めることも多いからです。
ところが、この本についていえば、初めから飽きることも眠くなることもなく、久しぶりに貪るように読めました。
そして、これだけの分量と内容のある本が、この値段で購入できることが、何か理不尽なことでもあるかのようにすら感じました。
本の紹介
小説がどんな話なのかを書くほどおろかなことはないかと思いますので、この本が僕に対して、どのような化学的変化を与えたかについて書こうと思います。
僕にとっての村上春樹の小説は、非常に不思議な感動を覚えるものです。
それは、どんなことかというと、書かれている内容と一見すると全く関係ないことが想起されるのです。
それは、僕自身の記憶の底に沈んでいるようなことなのですが、非常に繊細で大事にしていた思いであったり、ずっと忘れていたことであったりします。
思うに、村上春樹の小説は、読み手の脳の深いところの沈殿物を刺激して、ずっと眠らされていた記憶や思いを刺激し、ゆらめかせるという不思議な力を持っているように思います。
そうした想念は、あたかも記憶の底の深海で魚が動いて、一瞬、土けむりがあがった様に似ていて、放っておくと時間とともにまた記憶の底に沈殿してしまうのですが、その時、垣間見えたものは、何か非常に大事なことであったことだけは新たな記憶として残ります。
24の短編のなかには、結末が明確なものもありますが、心憎いぐらいそのあとを書かずに終わるものもあります。
読者はちょっとした消化不良のまま置いて行かれてしまった感じを受けるのですが、実はその余韻が、音叉の音がしばらく続くように心に残るような仕掛けになっているのです。
これは極上の感動といっていいと思います。
村上春樹が多くの読者に愛されている作家であるゆえんも、ここにあるのではないでしょうか。
またこの本のイントロダクションで、村上さんは、長編小説を書くことは「挑戦」であり、短編小説を書くことは「喜び」であると言っています。
また創作の方法として、長編小説を書いている間は、それしか書かず、そのインターバルで短編小説を一気に書き、同時並行はしないと言っています。
また、村上さんは自信を長編小説家と考えていると言っています。
しかし、今後変わるかもしれないのですが、僕は、村上春樹の短編のほうが好きです。
長編小説は物語であり、ストーリーの展開という要素がどうしても入ってきてしまいます。
しかし、短編小説は、かならずしもストーリー主導ではありません。
たとえそれが現実にはあり得ない事象を書いていても、いきなり極上のワインを味わえるのが短編小説でもあるのです。
この24の短編を読むことで、いくつかの人生を生きたような錯覚が生じることと思います。
20190321 by okkochaan