タテ型社会

僕は人間というのは、小さいころに環境から受けた影響から脱するのは難しいと思っています。

 

僕自身がずっとタテ型社会を疑いもせずに受け入れてきたわけだし、家庭は家長制度の名残を色濃く残した父親が厳しく悪いことをすると説教される環境でした。

 

だから、タテ型社会がくそ真面目で退屈だからやめたいとか言っても、初めからそんなものの影響をほとんど受けていない人から見れば、とてもバカげた悩みになるに違いありません。

 

しかし現実に日本ではタテ型社会が厳然としてある状態なので、これを書いています。

いまだに日本で強いタテ型社会

タテ社会が色濃く残っているものはいたるところにあります。

 

これまで僕がブログで題材にしたものを中心に拾ってみると、

 

雇用での経営者と労働者の関係

LGBTへの無理解

サービス残業や過労死

非正規雇用者に対する差別

女性天皇への反対

隣国である中国や韓国への敵視とかヘイト発言

パワハラ問題

DV問題

外国人労働者に対する差別的な扱い

忖度

不登校

 

これらは、すべてタテ型社会およびタテ型社会の価値観と無関係ではないことがわかります。

 

丁度、参院選をやっているので、より意識してしまったのですが、国会議員にしても女性は圧倒的に少ないし、ましてLGBTの方々とか障がい者の方々が国会議員になることについては、口では言わないかもしれませんが、論外という状況ではないでしょうか。

 

もちろんタテ型社会の何が悪いんだという意見もあると思いますので、その理由を次に書きます。

 

タテ型社会が悪い理由

タテ型社会が悪い理由を、社会全体のパワーの観点と構成員である個々の幸福度という角度から考えてみます。

社会全体のパワーの観点

社会全体が群雄割拠の戦国時代の状況であり、古典的な戦争を常に伴うような社会であれば、社会はひとつにまとまることにより、外的に対して態勢を整えようとします。

 

この時、富と権力を少数者に集中させることは、古典的な社会であれば仕方のないことだったかもしれません。

 

しかし、あくまで古典的な社会であったならということです。

 

少数の支配者は権力を守るために、情報操作をします。

 

北朝鮮の拉致被害者の子供たちが日本に初めて来たときに、「日本は悪魔が住んでいる国」と教えられていたことを覚えている方もいらっしゃると思います。

 

これが情報操作であり、北朝鮮に関して言えば、安倍内閣も北のミサイルを同じように利用しましたので、日本人だって例外ではないのです。

 

しかしひとたび緊張がなくなれば、タテ型社会は窮屈以外のなにものでもありません。

 

会社などでも国のミニ版として似たような現象は起こっていますが、タテ型社会を維持するために行う規制とか子供じみた脅しとかは、何の生産性もないものです。

 

それは所属員を委縮させる方向にしか働かず、委縮は効率と自由な発想を妨げ、本来なら100出来る人が60とか70程度の成果に落としてしまうものと考えます。

 

結果、社会全体のパワーは著しく落ちます。

 

構成員である個々の幸福度

タテ型社会では一般的にその構成員である個人の幸福度は落ちると考えられます。

 

それは言論の自由を意識的、無意識的に圧迫します。

 

さらに重度になると「洗脳」というプロセスをたどることになります。

 

これが不幸でないわけがありません。

 

ある種の情感、例えば「清く貧しく美しく」のようなものがあることは認めます。

 

しかし、それは「あらずもがな」のことではないでしょうか。

 

また嫌でも上下関係をいたるところで意識しますので、相手によって態度を頻繁に変えることに疲れるし、それが原因で自己嫌悪におちいることもあるかもしれません。

 

「分を知らされる」ことにより、本来の能力を隠すこともあるだろうし、抑圧されて趣味やバーチャルリアリティーの世界に逃避することも考えられます。

 

結果、社会全体としてはパワーダウンし、社会は活力を失います。

 

以上から、僕の結論としては、こんなくそ真面目で退屈なタテ型社会を一刻も早く辞めて欲しいということなります。

 

それは、まさに百害あって一利なしなのです。

 

中心のない世界への恐怖に打ち克つ

タテ型社会で、富や権力を得ている少数の人たちも、タテ型社会を受け入れている人たちにも共通するものがあります。

 

それは、中心のない世界への恐怖です。

 

イメージとしては、気づいたら世界にあなた一人しか存在しないということを認めることへの恐怖に似ています。

 

つまり、うすうす、そうした世界の実態に気づいているからこそ、形のあるタテ型社会に依存しようとしているのです。

 

例えば宇宙の成り立ちはビッグバンから始まったという説が有力ですが、これすら確証があるわけではなく、まして、その前に何があったかについては、誰もわかりません。

 

もしかするとビッグバンは頻繁に、それこそ一秒間に数億回も起きているかもしれません。

 

また人間が社会的な動物であり、貨幣(すなわち債権)の歴史が仮想通貨の出現で大きく変わろうとしています。

 

(正式には、現在は仮想通貨とは言わず暗号資産(Crypto Asset)ですが、僕の好みと仮想通貨という言葉がまだまだ一般的なので、ここでは仮想通貨と書きます)

 

仮想通貨はまさに宇宙的な広がりを見せているのですが、実は仮想通貨はタテ型社会への強いアンチテーゼになっているのです。

 

仮想通貨には管理者がいないので、つまり、中心がありません。

 

国家がちゃんと存在するのは、その国の通貨がしっかりあるために外なりませんが、仮想通貨は国すら不要な世界なのです。

 

また取引所が力をもってきていて、取引所に対して主に規制がなされていますが、すでにバーチャルな取引所も出来ています。

 

こうなるともはやタテ型的発想(管理し支配しようとする発想)は無力です。

 

あなたの世界には、この仮想通貨の世界のように、実は中心というものはないことが真実なのです。

 

タテ型社会とそれ以外の世界との関係は、意識された世界と無意識の世界の対比にも似ています。

 

あなたは、暗い夜道を暗い懐中電灯でタテ型社会を照らしていますが、その周りをそれ以外の世界が恐ろしく深く取り囲んでいるのです。

 

ならば、いさぎよくそうした世界のありようを認めて、タテ型社会を千里のかなたのマッチ売りの少女が一瞬照らした世界と観ることが、出来るハズです。

 

僕はそう考えているので、今では、タテ型社会に哀愁すら感じています。

 

20190708 by okkochaan