老後2000万円必要

 

金融庁の老後資金に2000万円は必要というレポートについて、なにやら騒がしいですね。

 

これは現在65歳以上の方はもちろんのこと、若い世代のかたにとっても気になるところではないでしょうか。

 

当り前ですが、若い方も生きていればほどなくシニアになります。

 

今、年金なんかあてにしないと思っていても、多くの金額を厚生年金などで払っているわけで、つまり当事者なのです。

 

まあ、僕のスタンスとしては、周囲が騒がしくても、我が道を行くということになると思っていますが、みなさまはどう考えているのでしょうか。

 

ここでは、この問題をどう考えるべきかと、今後どうすべきかについて書こうと思います。

 

少しでも参考になれば幸いです。

年金2000万円必要という情報には何も新しいものはない

今回の金融庁の調査会のレポートは、すでの多くの方が漠然と考えていたことを平均値を出して白日のもとにさらした点で、僕は良いことだと思っています。

 

それを国民の反感をかう結果となり選挙に悪影響を及ぼすことを恐れて、報告書の受け取りを拒否している政府の態度には不誠実さを感じるし事態をより悪くしているのではないでしょうか。

 

実際の65歳の資産状況の平均値から試算する方法に弱点がないとは思いません。

 

それは収入状況が、平均値がピークになるようなきれいな山形の分布をしていれば、もっと説得力があるのだと思いますが、貯金ゼロの人が20%もいる状況を考えると、わずかな割合の富裕層があり、2000万前後である程度かたまり、左側の2000万未満が多くいる状況かと思います。

 

実際に老後に不安をかかえている人の割合はかなりいるのです。

 

加えて、2000万円では全く足りないという意見も多くあります。

 

しかし人間は、なるべく現実を直視したくありません。

 

「そのことは考えないようにしている」というのが実態であるとも考えられます。

 

確かに、いきなり2000万円必要といわれ衝撃は大きかったので、実際に運用会社への相談は倍増しているそうです。

 

しかし、日本ではお金を重視することへの偏見も強く、加えて、他国では実施している資産運用の教育というものが、全くありません。

 

それがいきなり資産運用といわれ、2000万円といわれれば、衝撃が走ってもしかたがなかったのでしょう。

 

ですが、この老後の資金不足は少なくとも10年以上前には明らかになっていたことです。

 

そして、政策の方向は年金の受け取り開始を出来るだけ遅らせようとしていたり、物価や光熱費がどんどんあがり、水道代もどうなるのかわからない不安のなかで、多くの人は節約を旨として暮らそうとしているわけです。

 

また年金の受け取り額は一方的に下がるものではなく、物価指数などを考慮しながらの調整機能もわずかではありますがついています。

 

年金は決して破綻などしませんが、1世代前の方々が年金で悠々自適の暮らしを得られていたことと比較すると文句もいいたくなることが本音ではないでしょうか。

 

定年にしても、ほんのちょっと前まで55歳だったのですが、今や75歳に一気に20歳もあがるような勢いです。

 

ほとんどの方はそのことも忘れているのではないでしょうか。

 

わずか1世代で、健康寿命が飛躍的に伸びたとも思えません。

 

全般に経済的に年金基金が苦しいのと比例して、受給者の生活も苦しくなっています。

 

しかも、その苦しみはただ苦しいだけであり、明るい未来はどこにも見えないし、孤独死も増えているのです。

 

憲法の幸福を追求する権利はどうなった?

 

ここで考えて欲しいのは、日本国憲法13条で保証されている幸福追求権です。

第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

僕は憲法のなかで、幸福追求権ほど軽視されている条文はないと考えています。

 

事実、少し前に世界各国の幸福度チェックという調査があったと思いますが、日本は先進諸国のなかで最下位でした。

 

この結果からみても、

 

立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

 

という13条は、最大の尊重 どころか、全く無視されているのではないかと思います。

 

もちろん人が幸せか不幸かはお金の問題だけではありません。

 

しかし、お金がもっとも価値がでるのは、矛盾するようですが、お金を持っていれば、お金を意識しないで生きられるからではないでしょうか。

 

その意味では、幸福を追求するという行為のなかに、安心して生きられる収入もしくは資産を得るということが含まれるのは自明のことだと思います。

 

政治や国と個人の関係を見直す良いきっかけ

とはいえ、僕はいかなる宗教的立場も政治的な立場にも立ちません。

 

その理由は、それらの活動が僕には非常に抽象的なことに思えてならないからです。

 

またそんなことよりも重要なことは、個人の確立をしっかりすることだと思っています。

 

それがなくて、なんらかの団体活動をしたとしても、そこに周囲に不本意ながら同調するような要素が少しでも入ると、何も変わらないと思っているからです。

 

例えば、男性中心のタテ型社会はいまだに根強くありますが、それが崩壊しない状態でなんらかの団体に所属すれば、その団体があらたな不具合を生むのは火を見るよりも明らかだからです。

 

つまり、形を変えた新たな支配がはじまるだけなのです。

 

それでは、幸福の追求は常に二義的なことになります。

 

西欧では2世紀も前に「社会に対する個人の絶対的な優位性」という考え方は確立していました。

 

では日本はどうだったかというと、法律とか技術とかの2次的に現れた事象に対する習得にのみ目が行ってしまい、その本質にある人間のあるべき社会だとか幸福の追求とかが完全に無視され、やがて全体主義的な国家体制となり戦争に突入したという歴史があります。

 

このような状況である現在の日本で生きるにあたり、僕が提案したいことは、政治とか国とかとはほどほどに付き合って、過度の期待もしないというスタンスです。

 

それを変えるには時間がかかりすぎますし、そんなことよりも、自分で何かを始めることで、明日から幸福の追求を自分及びかかわる周囲の人たちと始めるほうが現実的ではないでしょうか。

 

老後に幸福を追求するための3つの施策

では、老後に幸福を追求するために必要なことは何でしょうか。

 

僕は、以下の3つが非常に重要だと思います。

 

自分はシニアだと考える偏見を捨てる

周囲にまどわされず我が道を行く

収入>支出という形を作る

 

これらについては、具体的な方法も含め、深堀していこうと思いますので、ここではポイントだけ書くにとどめます。

 

自分はシニアだと考える偏見を捨てる

何かにつけて年齢という要素を重視しすぎる傾向が、特に日本では強いと思います。

 

英語では、兄弟はbrotherかsisterであり、兄弟、姉妹という本人との年齢差よりも兄弟・姉妹であることのほうを明らかに重視しています。

 

また仕事を探したり求人を出したりするときにも、年齢が大きなファクターになっており、法的に年齢制限は正当な理由がなければしてはいけないのに、抜け穴的な出し方をするのはよく知られています。

 

例えば、「若い人がたくさん活躍している職場です」と紹介していれば、若い人を探しているわけです。

 

ですが、冷静に考えてみてください。

 

年齢を重ねると能力が低くなるとか逆に高くなるという根拠って何でしょうか?

 

僕は孔子を尊敬していますが、30歳40歳50歳という10年ごとの節目でなにか達成するという形だけはどうしても納得できません。

 

例えば40歳は「不惑」であり、40にして惑わずと言っていますが、今の40歳はむしろさまよっている人が多いと思います。

 

年齢による偏見とは、年齢による甘えでもあります。

 

偏見は、物の見方とか世界観を狭くする効果しかありません。

 

真実は、裏表が一切ない意味で、年齢は全く関係ないのですから。

 

死ぬ瞬間まで活動し続けることだけが大事だと思います。

 

とはいえ、この偏見が消えることもなさそうですので、無視することが一番だし偏見をもった人とはそれなりの付き合いをすればいいだけです。

 

まずは、あなたが、この年齢という根拠のない偏見から自由になりましょう。

 

周囲にまどわされず我が道を行く

 

これも、年齢による偏見とかぶりますが、年齢以外にもなにかとあなたを定義付けたい動きは常にあります。

 

それは、教育かもしれないし、家柄かもしれないし、お金を持っているかとか才能とか過去の功績かもしれません。

 

でも、これらすべては、あなたの行動を制限する雑音にすぎません。

 

間違っても、そんなくだらない無責任な意見に耳を傾けたりしないでください。

 

特に僕が個人的に嫌いな言い方は、「〇〇さんだからできるけど、私は無理」という表現です。

 

僕は平凡な人間ですが、それでも、実にしばしばこの言い方をされ、その度に妙な疎外感がありました。

 

もしあなたが、こんなことを言っていたとすれば、すぐに辞めることをお勧めします。

 

なぜなら、それは自分を特別視することに他ならないからです。

 

特別な才能を要すること以外、すなわちほとんどのことで人ができてあなたが出来ないことはありません。

 

つまり、自分を特別視した逃げなので、なにひとつ生み出しません。

 

収入>支出の形を作る

 

ともあれ、まずは落ち着いて、一日も早く収入>支出の形を作りましょう。

 

それはあなたに心の余裕をもたらし、上記の偏見に惑わされない環境を得ることができます。

 

順番としては、まずは支出を徹底的に洗い出し、無駄な支出を減らしましょう。

 

支出を減らすほうがすぐに効果がでますし、収入が増えてもそれに伴って支出が増えてしまえば意味がないからです。

 

たとえば、古い大型の冷蔵庫は電気代がかかるので、小型の性能が良くて電気代がかからないものに変えましょう。

 

食費についても、安くて栄養がある旬の食材をつかったものに変えて、無駄な外食とか意味のない飲み会やつきあいとは縁を切りましょう。

 

収入についてはここでは書きませんが、収入>支出がしっかりと出来ていれば、老後についてのお金の心配からは解放されます。

 

重要なのは本気で取り組むこと

 

大事なことなので、最後にもう一度書きます。

 

老後2000万必要ということは事実だが、冷静に対応しよう

偏見から自由になろう

収入>支出の形をつくろう。

 

この3点です。

 

そして、偏見とは、何よりもあなた自身のなかにあることを自覚してください。

 

「私は〇〇だから、✖✖だ」とか、

「私は〇〇だから、△△でもしかたがない」とか、

 

こうした言い回しは真っ先に辞めてください。

 

そして偏見が強い人たちとか無意味な付き合いを断ち切り、生活を立て直してみてください。

 

それが出来れば、何も怖いものはありません。

 

本当に怖いものは、そんなところにはないのです。

 

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20190709 by okkochaan