ptsd tsumi
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心的外傷を与える罪に無自覚な人が多すぎると僕は感じています。

 

前回、カスハラとうつ病について書いていて、直接関係はないけれども、何度もくり返し思い出してしまった過去の嫌な事件がありました。

 

この体験を紹介し、その50年も前の事件が、僕にどのような影響を与えていたのかを考え、お読みになる方にも知っていただくことがこの記事の目的です。

 

まず、どの程度の影響があったかですが、50年も前の出来事であるにもかかわらず、その時の恐怖心とか嫌悪感とかはいまだに消えていません。

 

僕は実に長いあいだこの事件をたいしたことはないと考え、問題にしませんでしたが、今では、あきらかに心的外傷を受けたと考えているのです。

 

つまり、レベルは低いけれども、いわゆるPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)の軽い状態ではないかと思うのです。

 

事件のあらまし

おこったことを書きやすくするために、過去の自分をM君としてかきました。

登場人物

Y先生: 40代後半の男性。大柄で精力的な印象。授業中に関係ない話をよくするが、それが人気があり、本人も得意に思っている。

M君(過去の僕): 中学1年の男性。学校の成績は中程度。体つきも標準的であり、めだたずおとなしい性格。

あるなんでもない日のこと、登校してすべての生徒は教室で授業が始まるのを待っている。廊下には誰もおらず、しんとした状態である。このタイミングで遅刻してきたら全員の注目をあびて、さぞ極まりが悪いだろうと思われる時間帯である。

突然、教室の後ろのドアを音を立てて開け、Y先生が入口からM君を呼び出した。

M君は、どうして呼ばれているのか全く見当もつかず、Y先生のところへ向かった。

Y先生は、隣の組の担任であり学年主任でもあるが、授業でも関係することはゼロである。M君は、話をしたこともないし、授業を聞いたこともないので、なにかの間違いではないかと思ったほどである。

Y先生は、人気のある先生という認識がM君にもあったので、Y先生のややこわばった顔をみてますますわけがわからなくなった。

Y先生は、ついてくるように言い長い廊下を昇降口のほう向かって歩き始めた。昇降口にも玄関にも誰もおらず、その先には、おだやかな日がさしていた。

昇降口までくると、Y先生は、そこにあった一足の靴を指さして、「お前の靴か?」と聞いた。

服装にも靴にも、特にこだわりのないM君には、その瞬間、それが自分の靴であるかどうかわからなかった。

また、どうやらY先生は、靴を下駄箱に入れずに放置したことを注意しようとしているらしいと察したが、M君は、これまで靴を脱ぎっぱなしにしたことはなく、いつも通り、靴箱に入れたものと思っていたので、なおさらその靴が自分のものではないような気がした。

M君のこの逡巡を、Y先生は、M君がとぼけていると取り、いきなり激高し、「ここにお前の名前が書いてあるだろう!」と怒鳴りつけた。

そこでM君も確認すると、そこには確かにM君の名前が書いてあったので、M君も初めて自分がうっかりと靴を下駄箱に入れることを忘れたらしいと思った。(当時、靴に名前を書くのが義務となっていた)

しかし、それでもM君は、自分が靴を下駄箱に入れなかったということを覚えていなかった。その時の記憶は完全に飛んでいたわけだが、なんとか思い出そうとし始めた。

ここで、さらに少しの時間を要したからだろうか、Y先生はますます激高し、M君が自分の非を素直に認めない反抗的な生徒だと判断したらしく、もはやM君をののしるような状態となり、その目には憎しみの感情しか宿っていなかった。

しかし、Y先生は生徒にも好かれ、人気もある良い先生なはずだという思いと、たった一回の、全く自覚がない靴を下駄箱に入れ忘れたことぐらいで、ここまで激高し、ののしる姿にM君は強いショックを受けたのだ。

M君は、覚えていないことに対して、強い罪悪感はどうしても持てなかった。常習犯ならともかく、軽く注意すれば足りることに対し、この怒りは異常としか思えなかった。

ましてそれまでY先生とはなんらの接点もなかったので、個人的な恨みをかうことも考えられなかった。

M君は、下駄箱に靴を入れ忘れるのがほとんど初めてであること、また記憶にも全くないことをY先生に理解してもらいたかった。

そして、昇降口でどうだったかを一生懸命思い出そうとしたができなかった。

その結果、M君は何の弁明もできなかったので、ただのだらしない反抗的な生徒となってしまった。

M君は、Y先生に対して恐怖を感じ、理解されない絶望を感じた。

M君の素直で臆病な心は、良い先生であるY先生に怒られたことが、とても悪いことにも思えたのだ。

それでも、たった一回で怒られるにはあまりにも理不尽としか思えなかったのだが。

温厚で話が面白いという評判の先生と初めて接し、当初はそうした接点ができたことに期待すらいだいたのに、Y先生の思いがけない異常な激高ぶりに、心臓はバクバクといっていた。

そうして、言葉もでない状態になってしまっているのを、Y先生は、自分の非を認めず素直でない生徒であると決めつけ、一切の反論をゆるさない態度しか示さなかった。

 

事件後の心的外傷的なこと

この事件のポイントは、Y先生が自他ともに認める評判もよく人気も高い先生であったことです。

 

その後、M君が注意してみていても、Y先生への悪口とか悪い評判とかは聞こえてきませんでした。

 

このことが、M君がほかの人に相談しようという気持ちを全くもてない原因になりました。相談して、自分が悪いことを上塗りされ、また抗議したことがY先生の耳にも入り、より怖いことが起きそうな気もしたのです。また当時、そうした相談窓口など、どこにもありませんでした。

 

当時の教師といえば、生徒をぶつための棒をもち、それに「精神棒」だとか「根性棒」だとか名付けて、職員室で自慢しあうような、今では考えられない環境でした。

 

先生のなかには、涙をながしながら棒を振り回すという、今では笑うしかない「人情派」の先生もいたりしましたが、泣いて暴力をふるえば愛情ゆえに許されるとでも考えていたのかと思います。

 

その後、M君は、フランスの詩人、ボードレールが「学校は自分にとって監獄だった」という言葉や、エドガー・ポーの小説にでてくる「Mr. Goodman氏」がとんでもない悪党だったりすることを知って共感し、一日も早くここから脱出したいという思いから、真面目に勉強をするようになりました。

 

すると、ほとんど苦労した記憶もなく、気が付けば、M君は「優等生」になっていました。

 

M君は、クラス全員の前で「M君は模範生だ」と言われるまでになりました。

 

しかし、言った先生も含め、敬愛する教師など一人も存在せず、学校からも家庭からも、誰からも理解されないと思うようになっていました。

 

幸いなことに、M君は、その後も、その昇降口での激高から先生と話をしたことは一度もありませんでしたが、裏を返せば、Y先生は、正義感とか教師としての職務に忠実にしたがってM君を注意したと思っているわけで、そうして生徒の心に傷をつけたことなど夢にも思わず忘れてしまったことでしょう。

 

50年たっても、その時のことを昨日のことのように思い出すほど小学校を出たばかりの子供の心に忘れがたい傷を残しているなどと想像すらできないのです。

 

当時のM君は、「これが優秀で面白く為になる話を授業でし、生徒にも好かれている教師か」と思いもしましたが、ともかく顔をあわせるのにさえ恐怖を感じながら学校に行っていたのです。

 

Y先生について、もう一つ覚えているのは、Y先生は理科の先生だったので、静電気の実験に使うエボナイト棒をこする毛皮を得るために、猫を殺して毛皮を奪ったことです。

 

たぶんこれも、当時は動物虐待のことも話題にならなかったし、ノラ猫の命など誰もなんとも思わないような時代でしたから問題になりませんでした。

 

ただ、それを知った一部の生徒はさすがに眉をひそめていました。

 

とても残酷な方法ですが、ここでは書きたくもありません。

 

もう一つ、これに関連して覚えているのは、同級生のH君のことです。

 

H君は、成績も優秀だし体力があって運動もできる生徒でした。

 

もてるタイプというよりは、ガキ大将タイプであり、いつも男子の遊び仲間に取り囲まれていました。

 

僕の友達ではありませんが、嫌なこともなく、という関係です。

 

ある時、Y先生ではない体育の若い先生が、何かの授業をしていた時のことです。

 

何を注意したのか覚えていませんが、その先生がH君を注意しました。

 

おそらく、話をちゃんと聞いていないとか、無駄話をしているとか、その先生は無視されたと思ったのかもしれません。

 

それは対して罪のない、軽い注意で十分なことであり、僕の昇降口の靴の話よりも軽いものでしたが、注意そのものにはクラス全員が納得、というより何気なく流せる程度のことでした。

 

しかし、問題はそのあと、その体育の先生が、注意とは全く関係ないことでH君を非難したことなのです。

 

「お前は、勉強しなくてもできるらしいな。ノートもとらないんだろ。」

 

この突拍子もなくでてきた詰問は、まったく不当で度を越した指摘であることはクラス全員が思ったに違いありません。

 

その後、僕はH君の教科書を何かの機会でみることがあったのですが、H君はノートも取らないし、教科書に線を引いたりもしておらず、教科書はまるで読んだ形跡がない本のような状態でした。

 

つまり、H君は、一度読めば記憶してしまうような脳をもっているわけですが、これは決して珍しいことではありません。

 

問題は、その体育の先生が、ひがみとか侮蔑の感情を交えながら、その場の注意とは全く関係のないことで、H君をクラス全員の前で非難したことにあります。

 

H君は、何もいわず静かに耐えていました。

 

H君は、成績優秀でしたが、決して弁が立ち言葉たくみに反論したり仕返しを考えたりするような人ではありませんでした。

 

でも、僕が今思うのは、僕の昇降口でのY先生とのやり取りから生じたと同種の心の傷がH君に残ったのではないかということです。

 

優秀なH君は、その後、一流国立大学に入り、一流商社に入社しました。

 

どのような人生を歩んだのか、それ以外のことはわかりません。

 

あの事件がはたしてH君の心の傷になっているのか、だとするとそれがH君の人生にどのような影響を与えたのか、僕には非常に興味があることです。

 

僕の傷は、心的外傷というには、あまりに軽微であると言われてもしかたがないのかもしれません。

 

ただ、権威だとか規則だとかを盾に取って何かいってきたり、それに言葉もなく従っている人たちをみかけると、僕の心のある部分が確実に反応を起こします。

 

また、いい人だと複数の人が言う人に対しては、言われるほどに信用しなくなるし、ごくまれにですが、善良で温和そうな方の裏の顔が不意に浮かんで恐ろしくなったりすることがあるのです。

 

参考

椙山女学園大学 学生相談室活動報告 第6号 2011

この記事を書くに際し、特に参考になりました。

女子大の学生相談室での活動報告ですが、PTSDの分類とか、その解明についての実情とかがとてもよくわかりました。

 

ちなみに、僕がこの記事で書いたものは、若干違いはあるものの、以下の部分にあてはまると思いますので、引用させていただきます。

意図せずに、あるいは悪意なく行った言動が相手の気持ちを著しく傷つけてしまった「無自覚的加害行為者」

無自覚的加害行為者については、共感性が低くこだわりが強いなどの特徴をもつ教員が、まったく無自覚的に、むしろ善意によって加害者になってしまうことがある。

 

最後に

直前に、カスハラなどでくじけないで欲しいという思いで、以下の記事を書き、この記事はその続編となっています。

カスハラでうつ病なんかにならない方法

当初、カスハラについて対処法を考え提示してみるという軽い気持ちで書いたのですが、これを書きながら、50年も前のことが頻繁に脳裏をよぎり、ままよと思って、書いてみました。

 

50年もほったらかしにしたのは、僕が悪いのですが、煩瑣な日常に紛れて、忘れたふりをし、自分にも隠していることは、誰でもあるのではないかと僕は思いました。

 

また、この記事は、思いのほか書きづらくて、それは、自分が思い出したくないという習慣を長い間もっていたために、意味もなく書くことにストップがかかってしまったからだと思います。

 

しかし、書くことで、やっと気持ちがすっきりしました。

 

もし似たような悩みをお持ちの方がいたら、まずは発表するしないは別にして、書いてみることをお勧めします。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

つたない内容で恐縮ですが、感想やご意見がございましたら、ぜひいただきたく、お願い申し上げます。

 

20210511 by okkochaan