酒を主食とした横山大観とあまり知られていない逸話
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先人の生き方を知ると、嫉妬してしまうぐらいうらやましく思うことがありませんか?

 

僕の場合、「いいですね。そんなに自分の好き放題、やりたい放題やれて」という気持ちになることが多いです。

 

でも、これではいけない、嫉妬の心は何も生まないから僕自身もやりたいことだけやる生き方をしなければと強く思います。

 

誰もがそんな生き方をすれば世の中はハッピーで楽しくなるのではないでしょうか。

 

周囲に気を使ってばかりの生き方には、自己憐憫のいやらしさが見え隠れしている気がしてなりません。

 

だから、あなたも僕も、やりたいことをやり好き勝手に生きましょう。

 

もし、周囲に気を使い、人のために身を粉にして働くのがやりたいことならば、それもまた好き勝手なことなのです。

 

さてここで書くのは横山大観は89歳で亡くなるまで、50年も日本酒を主食としたという驚くべき話です。

 

大観が亡くなった後に調べたところ、動脈硬化も起きておらずアルコール中毒でもなく、血管年齢は60歳ぐらいだったそうです。

 

もちろん、ボケてもおらず亡くなる2年前に一度重体になった時には、酒を含ませた綿で唇をうるおすと回復し、再び絵筆をとったそうです。

 

酒を学習した大観

大観はもともとスプーン2はいぐらいで真っ赤になるぐらいの下戸だったそうです。

 

それが、師である岡倉天心に説教されて飲むようになりました。

 

説教の内容は定かではありませんが、おそらく「酒も飲めないでどうする」といったような根拠のない精神論ではなかったと思えます。

 

仮に天心から発された言葉がそうであったとしても、芸術家として、現れた自然の事象の見えない本質をつかむためのテクニカルなアプローチとして酒という媒体が重要だという内容だったのではないでしょうか。

 

そうでなければ、下戸である大観がなんども吐いたりしながらも酒が飲めるようになった説明がつきません。

 

夏目漱石がロンドンに留学して、ころびながら何度も自転車に乗れるように努力したことと同じ意味を感じます。

 

いずれにせよ毎日2升3合をキンピラなど簡単なつまみだけで飲んで、ご飯はほとんど食べないという食生活が確立したようです。

 

これは栄養学的にいうとどうなのでしょうか。

 

欠落したものもあるかもしれないですが、かなりいい線いっているように思います。

 

もともとコメにはすべての必要な栄養があると言われています。

 

僕の場合は、コメは農家から玄米で購入し、自分で精米所に行って5分づきという薄茶色の状態で食べています。

 

玄米では少々きついので、味も問題ないし体の調子もいいです。

 

また大観の飲酒には、医者の勧めもあったようです。

 

大観はもともと腸が弱いので、固形物よりも流動食が良いとの診断からです。

 

結局、天才である大観も、多くの日本人と同じくアルコール耐性がなく、若干の虚弱体質だったと思えます。

 

毎日2升の酒だとかなりの贅沢にも思えますが、別に脂ののったトロを食べるわけでもなく、コメ代もいらないので、さしたる贅沢でもないのかもしれません。

 

三原の酔心という酒

大観は、地酒の飲み比べをしたり、いろんな酒をならべて楽しむということはなかったようで、酒といえば広島・三原の酔心という酒一択でした。

http://www.suishinsake.co.jp/taikanから引用

 

ふだん酒を飲まない僕ですが、この酔心という酒は飲んでみたくなりました。

 

なにしろ、横山大観が50年間も他の日本酒に浮気もせずに主食として飲み続けた酒なのです。

 

軟水で醸造されたサッパリ系で辛口のお酒で香りもよく飲み飽きないようです。

 

大観が当時神田にあった酔心の東京支店から購入したのは偶然だったかもしれません。

 

しかし、その後に、大観と酔心の山根社長とのすばらしい話があります。

 

なんと酔心の山根社長が大観と意気投合し、大観の一生の飲み分を約束したというのです。

 

その約束は、大観が亡くなるまでしっかりと果たされました。

 

返礼に大観は一年に一つ自分で描いた絵画を贈ったそうです。

 

その絵画は、現在「大観記念館」として酔心山根本社にあります。

お宝紹介|株式会社醉心山根本店|蔵元紀行|地酒蔵元会

 

門外不出の作品があるようですが、一般公開の頻度が少ないのが残念なのと広島・三原まで頻繁に行けないので僕は観る機会がもてそうもないですが。

 

第二次世界大戦中ですら大観は酒の輸送を気にかけて、運輸大臣に手紙で懇願までしています。

 

なお、この大観記念館は上野池之端にある横山大観記念館とは違います。(ここも結構穴場なので、芸術に興味があるカップルの方はぜひデートコースに入れましょう!)

 

一生分の日本酒と横山大観の1年に一幅の絵の経済価値としては絵画のほうが今でははるかに高いでしょうが、89歳まで生きた大観に酒を提供しつづけた山根社長も実に豪気な人柄であったと思う話です。

 

お店に連日お酒を買いに来る上品な女性に、どなた様かと店員が訪ねてみると、それは大観の夫人だといいます。大観はまろやかでありながら辛口の醉心をいたく気に入っているということで、興味を持った薫(三代目・山根薫社長)が大観の自宅に伺い酒造りの話をしたところ、たちまち意気投合。「酒造りも絵画も芸術だ」と意気投合し、感動した薫が一生の飲み分を約束しました。
-引用:酔心山根本店HP-

僕も酔心を飲んでみたくなったので購入しようと思っています。

 

購入は山根本店のHPからも出来ますし、楽天であれば以下から可能です。

 

横山大観は民間薬にも詳しかったという逸話

横山大観は民間薬にも詳しかったのではないかと思われます。

 

植物を描きその本質的な美を見出すためには、その毒性や効能、性質を良く理解していた可能性は高いと思えます。

 

というのは、僕が愛読してやまない大塚敬節先生の「漢方と民間薬百科」(主婦の友社)のツワブキの項目に、以下の記述があるからです。

 

横山大観画伯の秘薬

昭和13年、下谷に横山画伯を診察に伺ったとき、画伯から親しく聞いた話である。

あるとき、築地のさる料亭に東都の名士が集まったが、その中には、塩田広重、南大曹など一流の名医が数人まじっていた。

そのとき、料亭の女中さんが、指を雨戸にはさんでひどくはらし、泣かんばかりに痛がった。

これを見た画伯は、お医者無用とばかり、自宅からツワブキをとり寄せ、葉を火であぶってもんでから、痛む指に巻いてやった。

すると、驚いたことに、たちまち痛みが軽くなり、一時間後には痛みを忘れて、お座敷に出られるようになった。

この様子を見た名医たちは、どちらが医者かわからぬ、といって大笑いしたという。

-引用:漢方と民間薬百科 大塚敬節著(主婦の友社)-

 

大塚敬節先生が横山大観とどの程度の関係があったのかは知らないのですが、少なくとも大塚先生は大観が主食を日本酒にしていることはわかっていたはずです。

 

してみると、日本酒を主食にするのは、大塚先生のお墨付きがあるのかもしれません。

 

最後に独断的雑感

最近、ドン・キホーテ(小説)についての記事を書いたためでしょうが、実は、僕のなかで横山大観の風貌からくるイメージはドン・キホーテそのものなのです!

 

横山大観は安定感のある人がらであり、騎士道の話になると狂気におちいるドン・キホーテとは違うのですが、なにか共通するものを強く感じてなりません。

 

気が向いたら、以下の記事をお読みください。

ドン・キホーテという小説が与えてくれるパワー

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

20191004 by okkochaan