こんにちは、おっこちゃんです。
先日、禁煙法案について自民党内で2つに割れていることと喫煙についての僕の考えを書きました。
タバコは不当にいじめられているという方向で書いたのですが、自分ではタバコを吸わないけれどもパートナーが喫煙者であって、いつも美味しそうに吸っていた話などもいただきました。
今、国会は他のことで忙しそうなので、厚労省から出された禁煙法案がバタバタのなかでサクッと通ってしまうのか、審議が見送られるのか、そのあたりはわかりません。
しかし、僕はいろいろ考えた結果、タバコをやめることにしました。
方法は、いきなり無理やり吸わない方法をとります。
この方法が自分には一番向いていると考えるからです。
【タバコをやめる理由】
1.願い事をかなえるため
昔からよくとられてきた、願い事をかなえるために好きなものを断つということです。
2.経済的な理由:
僕は、主夫をしているので、タバコもスーパーで買うことが多いです。
メビウスのスーパーライトという割と人気のある銘柄を吸っているのですが、1日あたり30本ぐらい吸っているので、一箱440円なので、一日あたり660円、一か月あたり2万円をタバコにかけていることになります。
もしタバコを吸わなければ、欲しいネットビジネスの教材とかツールとかを買うことができます。
また、コストについていえば、スーパーでいつも旬の新鮮で安くておいしい食材を買おうと努力しているのですが、その努力がタバコへの支出で消えてしまう感覚があります。
3.時間的な理由
タバコを吸うためのすべての時間、異動、場所探し、喫煙時間など正確に測ったことはありませんが、おそらく1日あたり1記事は楽に書ける時間を割いていると思います。
簡単に言えば、この時間がもったいないです。
理由は以上です。
よくいわれる「健康のため」は理由に入っていません。
ただ健康についていえば、メリット・デメリット比較でもタバコは圧倒的に分が悪いです。
メリットの代表的なものとして、コミュニケーションがありますが、現在仕事もしていないので、あまり意味がありません。
まあ、あまり力を入れての禁煙でもないのですが、僕自身、禁煙を成功させるために気を付けていることを書きます。
過去に2回、失敗しているので、僕は自分の失敗パターンもある程度はわかります。
それにしても、僕にタバコを吸わせようとする「ニコチン脳」は、まさに悪魔的な知恵で狡猾にささやきかけるのです。
このやりとりが面白いところがあって、なかなか禁煙をやめられず、禁煙するためには、喫煙しなければという、おかしな理屈でタバコを吸っていました。
それと、ここでタバコをやめるの成功してしまったら、立派すぎるのでないか?お前は駄目な人間でなければ、人の心が読めない、それこそ上から目線で断定的にタバコを毛嫌いするような本当の意味での無能でダメな人間になってしまうのではないか?という罪悪感が、僕のなかにあります。
だから、僕がタバコをやめる理由も、「願い事をかなえるため」「経済的な理由」「時間的な理由」でなければならないのです。
【一回目の失敗】
タバコをやめて1か月ぐらいした、ある熱い夏の日のことでした。
タバコを吸いたい気持ちは常にありましたが我慢することは困難ではありませんでした。
ある日、宇都宮から日光に車で向かいました。
旧道のおおきな杉並木を見ながら走ると右手にパチンコ屋がありました。
実は当時、パチンコはかなり好調で、禁煙してもパチンコはやっていました。
僕は最大1時間と決めてパチンコ屋に入り、結局30分で1万円ほど勝ちました。
パチンコ屋はタバコの誘惑が強いところですが、僕は、そのような環境でも微動だにしない自分に満足していました。
それから、中禅寺湖に行き、湖岸のウッドデッキのある喫茶店兼みやげ物屋さんのようなところでコーヒーを注文しました。
僕はコーヒーを飲んでもタバコに心を動かされない自分に満足したかったのです。
熱い夏の日でしたが、中禅寺湖は、湖岸から吹いてくる風も心地よいです。
僕はコーヒーの香りを楽しみ、タバコがなくても、コーヒーだけでも楽しめるなと思いました。
しかし、その時です!
湖岸からなにかボートにでも乗っていたかと思えるシニアの男女数人がはいってきました。
彼らは非常に活動的で、会話も活発で、そして、男性の方もしぶくかっこよかったのです。
そして、彼らはタバコに火をつけ、実に美味しそうに吸い始めました。
それから僕は、フラフラと売店でタバコを買い、せっかく禁煙できそうなので迷いはありましたが、結局「一本だけならいいんじゃない?」という狡猾なニコチン脳の悪魔のささやきを聞いてしまったのでした。
【二回目の失敗】
ある日、車のラジオでパイプを使った禁煙法の宣伝をしていました。
それはアメリカの製品ですが、それを使った禁煙成功率は80%を超していたかと思います。
パイプを通してニコチンの量を段階的に減らして無理なく禁煙にもっていくという手法です。
なお、タバコに本数の制限はありません。
タールの量を5ミリ単位で減らす手法だったと思います。
この手法はすぐれていて、自分の禁煙の誓いを紙に書いたりもしたのですが、無理なく禁煙できそうでした。
そして約1か月かけて、タバコを吸わなくなり、それから1か月ぐらいたったある日のことです。
親戚の方が亡くなり、葬式に行きました。
そして火葬場に行き、酒を飲んでちょっと退屈な時間となってしまいました。
喫煙者である息子が喫煙所に行くというので、一緒に行きました。
タバコを吸いたいわけではなく、退屈だっただけです。
そして、息子の姿をして現れたニコチン脳の「一本だけならいいんじゃない?」という甘い誘惑に、「そうだね。特別な場合だし、この場で吸う一本だけなんだからいいかな、実際、飲むときだけちょっと吸うこともあるって人もいるし。」と思って吸ってしまいました。
【失敗を踏まえた反省点】
2回の失敗に共通することは以下の通りです。
1.タバコを吸わない苦痛は乗り越えられた
2.禁煙して1か月後ぐらいに失敗している
3.吸いたい気持ちもあったが抑えられるものだった
4.執念深いニコチン脳が、甘く一本だけならいいんじゃない?とささやく
特に、最後に書いた、時々吸うこともあるという人がいらっしゃることは僕も知っています。
なんで、時々吸うなんてことが出来るのか・・・
僕には不可解ですが、僕の場合は、節煙も時々吸うことも、どちらも不可能です。
だからきっぱりと、やめる。
これが一番だと思います。
そして、最後の難関ですが、禁煙の快楽というか喜びという問題があります。
マーク・トウェインに、「禁煙は簡単だ。僕は何百回もやっている。」という名言がありますが、意外なことに禁煙には快感がともなうのです。
僕の場合は、禁煙の初期において、唾液がたくさん出てくるので、自分がニコチン中毒であることや、ニコチンを体が求めていることもすぐわかります。
これは肉体的苦痛(どちらかというと、かゆみの感覚に近い)なので、水やお茶を大量に飲むなどして乗り越えることはできます。
次に、ニコチン脳とのエンドレスかと思えるような対話が始まります。
例の「一本だけならいいんじゃない?」が出てくるのもこのあたりです。
そして、ニコチン脳に打ち勝つたびに達成感を味わうことが出来ます。
ただ、このニコチン脳は、本当にしぶとそうです。
勝ったと思った次の瞬間に、負けたりするのです。
そして、ニコチン脳が「ありがとう。君は僕がいないと生きていけないんだよ。人生無理することなんかないさ。」と優しく言ってくれます。
僕自身、これまでの実績ベースでの判断だと、禁煙に失敗する可能性の方がずっと高いと思っています。
しかし、やっと1日達成したところではありますが、今度は何気に成功するかもしれません。
あんまり本気で禁煙してしまうと、ニコチン脳も必死でかかってきますので、さりげなくフェードアウト作戦をとろうとしています。
20170303 by okkochaan