これから人材派遣の営業を楽しくする方法ということで、いくつか記事を書いてみようと思います。
人材派遣の営業の基本は別に特別なこともなく、派遣に限らず他の業界の営業にも参考になると思うし、営業で精神的に参っている方とかに少しでも参考になればと思っています。
また、現在のコロナ下におけるコミュニケーションの取り方への問題の投げかけと、少なからず個人的な体験へのノスタルジックな思いもあります。
もしかすると、今後、マスクが当たり前になり、口元を見せることを特定の親しい人にしか見せないような時代が来てしまうかもしれません。
例えば女性と男性が食事を共にし、お互いに口を見せ合うことが、好意を示す具体的な意味を持つようになるかもしれません。
そうならないように願っていますが、万一、その場合には、過去にはそんな時代もあったんだなあと思っていただければ幸いです。
第一回は、古典的ではありますが、「虎の威を借りる」という成功すれば非常に効率的な営業法をご紹介します。
この手法を正しく読み取り、適切に技を駆使することにより、あなたが営業として成功することはもとより、あなたが会社にとってなくてはならない存在となり、場合によっては独立も視野に入れることができるようになります。
そして、この手法の最大のポイントは、なんといっても人材派遣の営業が楽しくてしかたがないような状態になれることです。
この話に関係がある自己紹介
私は人材派遣の営業に30年近くかかわってきました。
それは経営的なことではなく、(経営は業界の特色というより経営という独立した分野と考えています)実際にスタッフや求職者、求人する企業とかかわってきた年数です。
しかし、決して自分にとって派遣業も営業も適職だと思ったことはありません。
営業を始めた時がすでに30歳を越していたので、かなり遅い方でした。
特に営業をはじめたばかりのころは、営業が嫌でたまらず、スーツの内ポケットに1カ月ぐらい辞表を忍ばせていたこともありました。
そこから立ち直ったころのことは、以下の記事で書いています。
当初は東京都内を中心とした実に雑多な顧客を担当していました。
大企業や外資企業あり、また個人営業に近い今ではなかなか与信も通りそうもない企業あり、実際に夜逃げして騙された会社もありました。
その後、金融業界、それも外資金融業界に特化したため、私が英語がすごくできたり、金融に詳しいとか思っている方もいたようですが、決してそんなことはありません。
ちょっと話がそれますが、日本人の社会は、自分とは違うことをしている人を川の向こう側にいる人とイメージする傾向が強いです。
そのため、私が英語ができたり金融に詳しいと思ったりする錯覚が生じるのですが、とんでもない誤解です。
事実、私は外資の女性たちから、好意的な笑いをもって、「なにわ節だね]といわれたことが何度かあります。
自分と違う能力をもったりすると、それを各人のなかで無意識に定義づけし、安心するために、このような操作が行われてしまうのですが、それは、相手を正しく理解することから外れてしまうので、私はあまり良いこととは思いません。
ただこのことを逆利用して名をなしている方が日本社会では多数いるわけです。それを「専門家」といいます。
飯を食うための方便として、あたかもかつての偽坊主のように生きることが可能なので、もしあなたが何らかの道で「専門家」になれそうなものがあれば、それを利用すると良いでしょう。
さて、この話は私が金融の「専門家」になる最後の一般営業をしていたころのことになります。
M氏との出会い
M氏は、新規顧客の開拓で出会った私のセールス先の担当者ですが、私はこの方に本当にお世話になりました。また私は、彼を深く尊敬しています。
ある超大手の製造メーカーを営業していた私は、営業の定番通り、受付で担当者の名前を聞き出し、電話をしました。
こうした大手企業でのアポイントを貰える確率は決して高くはありません。私はその企業に興味がありなんとか取引のきっかけを作りたかったので、若干緊張気味で電話をしたと思います。
すると意外なことに、たった一本の電話でM氏(これからMさんと書きます)は訪問を了承してくれました。
Mさんの所属はその超大手企業の子会社であるサービス会社でした。身分的なことは忘れてしまったのですが、親会社から出向という形だったように思います。
そのサービス会社そのものもかなりの人員がいて、親会社を含むグループ企業の福利厚生全般も担当し、それだけでも大変な仕事になりますが、そのほかにグループ企業への人材派遣、20人近くいる受付の管理手配、土産物などを扱っているショップ経営など多岐にわたっていました。
Mさんの担当は受付と人材派遣、ショップ経営など比較的ソフトな分野になりますが、それは私の営業先としては十分すぎる条件を備えていました。
ただ、その親会社は世界的にも大手の製造・販売業であり、工場内を安全靴をはき、ヘルメットをかぶって回ったり、長靴をはいたりするのが似合う企業であり、そうした中で、Mさんのやっているソフトな部分は軽視されてしまう傾向があったかもしれません。
Mさんの容貌は実に貫録十分であり、中国風にいえば、まさに大人の風格がありました。ちなみに、このような方に派遣業界で私はお会いしたことがありません。
つまりMさんは、どこから見ても、その親会社の業種にふさわしい方であり、考え方も小さなことにはこだわらず、常に大局を見て仕事をなさっていました。
逆にMさんが私をどうみたのか、ストレートに聞いたことはありませんが、その後、上司とともにMさんを接待したときに、Mさんが私の美点をいくつか数え上げてくれたのが聞こえてきたことがあります。
もしかすると、Mさんも私のような人間を派遣会社の営業として会ったのは初めてだったのかもしれません。
私にMさんが現状に対するぼやきをなさったことはありませんが、現在の会社での状況に鬱々たるものがあったようにも思えます。
Mさんへの営業活動【虎の威を借りる作戦】
私がMさんに対して営業し、狙っていたのは、当然ながら人材派遣の依頼です。
大手企業の子会社の派遣会社の悩みは何かといえば、まず第一にスキルのある派遣スタッフの枯渇があげられます。
またスタッフがいたとしても、即動けることを派遣先は求めますので、すぐに派遣できるスタッフが少ないということです。
ほとんどの場合、子会社派遣会社では、退職者を登録してもらい派遣したり(退職手続きの書式のなかに子会社への登録フォームまで入っていたりします)一般の登録は募っても、わりと簡単な事務職の代替要員としての派遣依頼に応えたりしています。
多くの登録者をかかえ、そのストックから人選するというよりも、案件もしくはスタッフがまず存在し、そこからない方を探る(案件⇨スタッフ、もしくはスタッフ⇨案件)というイメージです。
そうすると、例えば短期間でエクセルの作業を仕上げられるスタッフだとか、通訳・翻訳、交通が不便な場所への継続的な派遣などはお手上げになってしまいます。
グループ内に派遣会社を作る意味としては、グループ内でのやり取りで解決できれば、グループ外にお金が流れないようにするためです。
また最近では、こうした派遣会社にも規制が入っており、派遣先が親会社やグループ会社のみでない企業への派遣もしっかりやらないといけなくなっています。(当時はこの問題はありませんでした)
しかしグループ企業であることでのやりずらさもあります。
これには、
1.派遣業にはつきものの主に派遣スタッフのスキル不足に起因するクレイムが遠慮なく強くきてしまう
2.かつての上司と部下の関係があったりして、やりずらい場合
3.他の会社に派遣依頼を出さないので、確実にスタッフを見つけなければいけない
などがあげられます。
まさにこうした不自由な点に大手子会社の派遣会社を攻略するビジネスチャンスがありました。
私のような一般の派遣会社からみれば、同じグループ内の派遣会社からのお墨付きをもらえれば、極端な話、会社の紹介などする必要もなく信用を得ることができるのです。
これを「虎の威を借りる作戦」と言います。
もし、Mさんから紹介をされて派遣依頼を貰うことができれば、現場側としても、Mさんの会社以外の派遣会社に頼みたいと思っていたりもするけれども発注そのものができなかったという壁を壊すことができます。
この場合、派遣先は、私をMさんの会社と同一のものとして扱ってくれて、あらゆる派遣ニーズを独占的にいただくことができるようになるわけです。
また万一、クレイムが生じた場合にも、Mさんにうまく間に入っていただくことすら可能かもしれません。(かなり虫のいい話ですが)
では現実の営業活動はどうだったかというと、うるさがられない程度に訪問するということだけでした。
特に提案をするとか、資料を作ってそれをもとに話をするとかは、あえて一切やらず、Mさんの質問があれば簡単に答えるぐらいでした。
いまでも覚えていますが、ある日の私の営業日報は、お昼にMさんを訪問し、「Mさんと散歩と食事」の一行だけでした。
営業日報というのは、通常は、少なくとも3つぐらいの有力情報を入れ、それができない場合は、20から30社ぐらいの訪問記録(会社名とか派遣利用人数とか)を求められます。
その日の私の日報は、上司にしかられても仕方がないレベルでしたが、上司には笑いころげるぐらい受けてしまい、私の日報が実に面白いと言ってくれました。
まあ、この上司も派遣会社にはいそうもない、かなり異色の方で、私は公私ともにかなりお世話になったのですが。
その日のことは、何を話したかあまり覚えていません。
夏の暑い日で、屋上のコンクリートには容赦なく夏の暑い陽が照りつけており、どこにも影はなく、なにもない殺風景な屋上でしたが、Mさんは、こうした場所が好きらしく、屈託なくリラックスされていました。
私はあたかもMさんの友人であるかのように、「いやー、これは暑いですよ。僕には耐えられません。」とか言ったような気がします。
Mさんとの関係は、見込み客と営業との関係というより、雑談の仲間といった感じに近く、その傾向は時間の経過とともに強くなりました。
それは私の営業スキルというよりも、Mさんの人柄が大きかったように思います。
その日は、暑い屋上での散歩が終わってから、Mさんは地下のうなぎ屋に誘ってくれて、うなぎをごちそうになりました。食事の費用は伝票が切れるので心配ないとの話でした。
そこでひとつだけ覚えているのは、Mさんの息子が音楽を専攻していて、イタリアに留学しているという話を聞いたぐらいです。
おそらくMさんも音楽には相当造詣が深いだろうと推察しましたが、私の音楽の知識は少ないので、話したことはありません。
Mさんとは何度か食事をしたはずなのですが、覚えているのはそのうなぎ屋だけで、あと会計はいつもMさんが持ってくれたことぐらいです。
私は特に自分に言い聞かせて、営業的な話を避けていたわけではないのですが、Mさんと私の関係は、何かそうした俗世間のことは後でやればいいやといった雰囲気が自然に出来上がっていて、私は何もいわず、訪問を続けていました。
初めての依頼と失敗
そうこうするうちに、Mさんから初めての依頼を受けました。
ある技術系に特化した子会社のエンジニアの方が、エクセルでの集計処理をしてくれるスタッフを派遣してほしいというのが依頼内容でした。
すでに以前のスタッフが組んだマクロのシートがあり、スタッフはそのマクロを読み解いて作業をする必要があります。
この派遣は、二重の意味で失敗しました。
第一には、当然ながら要望に応えられるスタッフの選出です。
これは、それなりに対応できそうなスタッフにお願いできたのですが、その仕事に対して現場のエンジニアから強いクレイムがMさんのところにきてしまいました。
第二には、人選とも大いに関係するのですが、二重派遣の問題がありました。
日本の労働法は雇用者が複数あることを嫌い、違法としています。旧来の徒弟制度から脱却しようとして労働基準法が成立していますので、労働者の利益を不当に下げないためには当然のことと言えます。
二重派遣の場合は、雇用主が複数いることになります。
簡単に言えば、派遣会社Aが別の派遣会社Bにスタッフを派遣し、スタッフは派遣会社Bのスタッフとして派遣先Cで働くことを言います。
この場合、派遣会社Bが派遣先Cの仕事を請け負っているのであれば、二重派遣になりませんが、派遣と請負の線引きの問題もあり、こうしたあやふやな派遣は極力さけなければなりません。
しかし派遣先CはMさんからの派遣を望んでおり、Mさんとしては自社でできないので、私に頼んだという逃げも打ちずらい状況でした。またMさんとしてもビジネス上、ただ働きもできないことも当然です。
結局、二重派遣をさけるためには、ある割合で、同一のスタッフをMさんからの派遣の時期と私からの派遣の時期に分けるのが最良だろうということになりましたが、これにはスタッフからの抵抗が予想されます。
このちょっとだけダークな派遣が、この理由で断られることも多かったのですが、理解してくださるスタッフもいて派遣することができました。
契約は私の会社から週3日、Mさんの会社から週2日というものでした。
そこまでは、良かったのですが、肝心のスキルが現場が求めるレベルより低いということで、Mさんは、かなり現場のエンジニアから怒られたそうです。
Mさんは、「いやー、あの人は、昔からとにかく厳しい人なんだ」とすまなそうに言います。
その後、2人目のスタッフを派遣しましたが、同様の結果となってしまいました。そのスタッフに聞いたところ、以前、マクロを組んだ人のスキルが特段に高いためというより、マクロを組むにしても、その人の癖や趣向があって、それは当人でなければ理解しずらい部分であり、そのために作業がやりずらいとのことでした。
これはわかりやすく言えば、台所の調度品の場所を探すのに似ているかもしれません。調味料がどこにあり、鍋がどこにあるかとか他人の台所を使うとなればわかりずらいですね。
つまり、彼女の話では、後の人が見てもわかるように設定の記録を残すとかすべきことなのだそうです。
その後、Mさんと話をしましたが、Mさんは大人なので、現場のエンジニアに相当いわれたはずなのに、苦笑いしながら、むしろ二重派遣を避けるために、週5日を派遣元を3日、2日と分けたことに初めから嫌な予感があったと言いました。
この場合、悪いのをスタッフのスキルとか私の人選とか現場のヒステリーとかマクロを組んだスタッフのせいにせず、二重派遣を避けるための姑息な手段を使おうとしたことが原因であると断じた事こそがMさんの実に尊敬すべき点だと今ではわかります。
この二重派遣を避けるためのイージーで姑息なモデルはもしうまくいけばその後も続いたかもしれませんが、この初回の失敗で、あえなく断念することとなったのです。
企業との直接取引への道
その後、Mさんは方針を変更し、派遣依頼を私に振る場合と自分でやる場合とに分けることにしました。
当然ながら私に依頼がくるのは、決して簡単でない案件になりますが、それは私の望むところでもありました。
今でもよく覚えているのは、冬の寒い朝の8時に、その企業に向かう電車の始発駅でMさんと待ち合わせをしたときのMさんの姿です。
はずかしながら、Mさんは私よりも早く駅についており、オーバーを羽織った姿も寒そうに見える冬の朝でした。
Mさんは私をその企業に紹介する目的だけのために、わざわざ冬の寒い朝に同行してくれたのです。
その企業の労務担当者の方も、いかにも工場で長年勤めあげたということがすぐにわかる温和で誠実で良い方でした。
私はあたかも、学校で工場見学に来た生徒のように、その工場のいろんな部署を安全靴にヘルメットをつけて見学させていただきました。(その工場は実際に学校からの見学ツアーも頻繁に受け入れているようでした。)
その上で、どのような派遣ニーズがあるかについても詳しく説明をいただきましたが、工場での労働といっても、製品の品質にかかるチェック業務とかあたかもロケットの監視センターのようにモニターがたくさん並んでいるオペレーションセンターでの庶務とかでした。
製品の品質にかかる業務は遺物が混入していた場合、その遺物をスケッチしなければなりませんので、視力と簡単な描画能力が必要です。
Mさんの丁寧な紹介のおかげで、私は独占的にその会社からの依頼を直接受けることができるようになり、20人以上は派遣したかと思います。
そのほか、親会社の本国から役員が来た時の通訳とか翻訳を派遣させていただきましたが、これはまた別の企業でのことです。
Mさんは他の派遣会社と同じように付き合いがあったのかどうか聞いたことはありませんが、Mさんは私に対し、他の派遣会社の話をしたことは無く紹介された企業でも他の派遣会社の姿は見ませんでしたので、まさに独占状態になったのです。
その分、人選はきついものがありましたが、その企業もMさんと私が二重写しに見えるらしく、スタッフが紹介されるのをじっと待ってくださっていましたので、私はその地区に通えそうなスタッフのほとんどすべてに対し電話をし紹介の依頼をするなど、力を入れて人選をしたのです。
それにしても、私はMさんから一方的に恩恵を受けてしまい、私はなんとなく居心地が悪いので、何かで恩返しをしたいと思っていました。
成績があがれば上司も黙っていません。おまけにお酒が大好きな上司だったので、彼とともにMさんを接待をしたことはあります。
その時、二軒目のパブで、ダンスタイムになったときに、男性客はチークダンスをやりたがる状況のなかで、Mさんが失礼ながらその体形からは全く想像できないフラメンコのようなステップを踏んだ見事なダンスを拝見しました。
まるで映画のシーンのように、いつの間にか踊っているのはMさんと相手の女性だけになり、周囲から驚嘆の拍手がわきおこったのでした。
Mさんて何者なの?と私はうなりました。
それはそれとして、なにかMさんに恩返しができないかなと考えていたのですが、ある日、意外な方向からそのチャンスがやってきたのです。
ショップ経営のヘルプ
ある日、例によって昼時を狙ってMさんを訪問した時に、Mさんの会社が経営している土産物を扱っているショップの話になりました。
そのショップは私も興味津々だったのですが、Mさんの話では、ショップの経営状態がイマイチで役員会でその存続も話題になっているとのことでした。
当時は輸入雑貨といえば、あのロス疑惑の三浦和義氏の生業である輸入雑貨商が思い浮かび、輸入雑貨といえばスッチー、客室乗務員が思い浮かびました。
別に書くかもしれませんが、当時、私は受付の派遣依頼が毎日のようにあるため、客室乗務員の方を多数登録してもらい、リスト化したうえで、事前にフライトスケジュールを貰って管理し、当日朝の派遣依頼であっても即対応するという体制を作り上げていました。
そのなかで、特に親しくさせていただいていた方にこのショップについて話してみたところ、面白い提案を貰うことができました。
それは、客室乗務員には関税がかからず持ち帰ることができる土産物の枠が1万円あるとことでした。
微々たるものかもしれませんが、複数の客室乗務員がフライトのたびに土産物として持ち帰り、それをショップに仕入れてもらって販売すれば良いのではないかというものです。
さっそくMさんに提案してみたところ、興味を示してくれたので、彼女とともにMさんに会いに行きました。
ただ、残念ながらこれはMさんから最終的に断られました。
ショップの事情か、コンプライアンス上なにがしかの問題があったのか客室乗務員の彼女が気に入らなかったのか、理由はよくわかりません。
ただ結局そのショップは最終的にクローズし、その店長だった女性はMさんのアシスタントとして、私ともやり取りする立場になりました。
その店長だった女性も良い方ではありましたが、客商売をやっていたわりには、ちょっと固いイメージがあり、どちらかというと事務向きの性格の方で、私はショップがうまくいかなかった一因もここにあるのではないかと思いました。
Mさんとの別れ
その後、Mさんは突然、親会社に戻り、しかも地方勤務となってしまいました。
あれだけお世話になったのに、送別もろくにせず、またMさんに感謝の言葉も十分に伝えられず、私は子供と同じだと言われても仕方がないと今でも恥ずかしく思っています。
Mさんとその後、会うこともなかったことを思えば、本当に人生即別離なので、今を大事にしなければならないことが痛いぐらいにわかります。
Mさんの後任の方は、営業一筋にやってこられた学歴もない方で、文字通りのたたき上げでした。
この方も本当に良い方でしたし、一般的にはMさんよりずっと話やすく気さくな方でした。
Mさんは、例によって、私をしっかり後任の方に引き継いでくれました。
ちなみに、Mさんと後任の方が担当の間は、私の自宅に盆暮れにはかならず役にたつ品物が贈られてきていました。
非常用の食糧だったり、非常用の道具だったりが多かったように思いますが、あえて自宅に贈る点に細やかな気遣いを感じたものでした。
時折、私はなつかしいというよりも、Mさんにまたお会いしたいと強く思うことがあります。
そして、当時の私が話せなかったことを話し、感謝の気持ちをお伝えしたいと思っているのです。
20210210 by okkochaan